翌日の朝は松江の旧市街を散策し、そのあと出雲大社を詣でた。出雲大社へ参詣するための支線が大社線という短い路線であった。終点の大社駅は駅舎が木造の大変立派なもので、そのものずばり出雲大社を模したものとされていた。私たちはその見事な駅舎の前で写真をとったりしたのを良く覚えている。
ところがその大社線は1990年に廃線となっているではないか。実はそのことを私は本日この文章を書くまで知らなかった。1990年というと20年以上も前のことで、大変恥ずかしいことでもある。このことは国鉄がJRになって数多くのローカル線が廃止されるに伴い、急速に私の興味を鉄道から奪っていったことを物語っている。この旅行も、私が友人にそそのかされて興味を持ち、全国を鉄道でめぐったわずか数年間の出来事の中のひとつである。
縁結びの神様で知られる出雲大社をあとにして私たちは出雲市駅へ戻り、ここから夜行の鈍行列車で京都へ帰ることにしていた。山陰本線を夜通し走る客車列車の夜行は、もちろん硬くて狭いシートで、空調もない。夏の暑い夜だったので、走ると風が入ってくるが、同時に虫も去来する。トンネルでは排気がこもって車内は曇ったようになる。そこでブラインドだけは閉めて、真っ暗な中を走っていった。餘部の鉄橋を渡ったあたりまでは記憶していたが、そのあとは全く記憶が無い。目が覚めると梅小路の機関区が見え、京都駅山陰線ホーム(たしか0番線だったか)に到着した。
夜の闇の中を、カタコトと走る客車列車の走行音は、今でも懐かしい。当時、流行り始めた携帯式の音楽プレーヤーでこの音を録音したことがある。客車列車の車内アナウンスに使われるチャイムは、ディーゼル列車や電車のそれとは違い、いい響きだった。扇風機が曇った車内の空気をむなしそうにかき混ぜ、薄暗い蛍光灯が木製の座席を照らしていた。山陰本線はこのような郷愁を誘う列車の宝庫だった。だが今ではどうなっているのだろうか。テレビドラマ「夢千代日記」に出てくるような裏日本の、行き場のないような哀しみも、坦々と走る列車の走行音によってさらに増幅された。そう言えば餘部鉄橋から列車が転落し、多くの死者を出した事故もこのあと何年か後に起こった。
京都で一部の友人とは別れ、私たちは「青春18きっぷ」のその日の有効分を使い果たすべく、さらに東海道本線を上った。ほとんど朦朧とした眠気の中を、大垣、岐阜と乗り継いで美濃太田駅に到着した。ここから越美南線の終点、北濃駅までの数時間は長良川沿いに走る。結構車窓風景のいい路線のはずだったが、混雑もあり、私は再び睡魔に襲われ、気がつくと美濃白鳥という駅に到着。終点まではわずかだった。
越美南線は越美北線とつながっていない。終点の北濃駅からは国鉄バスに乗って峠を越え、越美北線の九頭竜湖駅まで行く事になる。出発を待つ間、田舎の終着駅のまわりを散策したが、この日も大変暑かったことを覚えている。やがてバスが出発したが、このバスは猛烈な速さで坂を上り、ヘアピンの連続を振り落とされそうになりながら、見晴らしのいいダムの展望台に着いた。バスの運転手はここで少し休憩するという。この休憩時間をかせぐべく、猛スピードで運行したらしかった。もっとも途中に停留所はなく、乗客も私たちだけだったから、私はいきなはからいに感謝した。
九頭竜湖駅はまた、かなりローカルな駅だった。夏の強い日差しが照りつける中を、やがて一台の列車が到着してわずかな客を降ろし、そして私たちは再びローカル線の乗客となった。最初の少しの区間を除けば、平凡な福井の田園地帯を北上する。再び睡魔に襲われ、やがて福井駅に到着した。
福井から米原経由で向かった京都は今朝通った区間である。その区間を走る快速列車は、何とも都会的な感じで私を田舎のモードから都市のモードへと切り替えさせた。もっとも米原までの北陸本線の区間は、乗客も少なく私は冷房の聞いた車内で、心地よく睡眠をとった。福井駅で買ったアイスクリームが、とても美味しかった。
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