早朝の磐梯熱海駅を出発して、磐越西線を新潟方面へ向かった。今日の予定は新津から長岡を経由して越後川口まで行き、そこから飯山線に乗り換えて長野へ至る。松代温泉の国民宿舎を予約してある。いよいよ雪深いローカル線の旅である。
交通公社の時刻表には列車番号というのが記載されていて、ここには列車の種類がわかるようになっている。すなわち電車なのか、ディーゼル車なのか、といった区分が事前に把握可能である。だが私は客車おんちで普通の鉄道ファンなら誰でも知っているようなことを知らなかった。だからここが単なる数字、アルファベットの付かない数字というのが客車列車、つまり動力源を持たない車両であることを知らなかった。
会津若松で乗り換えた新津行きの列車は、その客車列車であった。先頭は勿論ディーゼル起動車だったと思う。だがそこに繋がった十両近くの列車は、ただの旅客車であった。そのことは走行する時の音でわかる。電気モーターの音はしないし、ディーゼル車の音でもない。石油臭い匂いもなく、静かで駅に止まると非常に静かである。3月の下旬とはいえ山間の村はまだ残雪が多く、しかもその日は少し吹雪いていた。そして私たちが乗る列車は、特に後へ行けば行くほど客はなく、最後尾は私たちだけだった。明治時代の列車のように硬いクロスシートは木でできており、それだけでもまるで「銀河鉄道の夜」に出てきそうな車両だが、さらには最後尾の接続部分とすべてのドアが空いたまま走るということであった。
それから何年か前、私は中学生の頃に大阪から宝塚までの区間を、福知山線の列車で行ったことがあった。その列車は朝5時台に大阪を発車する出雲市行きの鈍行列車で、今では考えられないような長距離を走る客車列車だったが、これもドアが空いたままである。私は友人たちとそこにぶら下がり、手を伸ばして列車から飛び出すような感じで乗ったことを覚えている。今では考えられないようなことが当時はできた。
それと同じ列車であった。私は嬉しくなり、片手で列車につかまりながら、吹雪く阿賀野川に落ちんばかりの姿勢を保ちながら、列車の最後部から前方を写真に収めた。この数時間は何と楽しかったことかと思う。そのような危険なことをしていても、車掌を含め誰も何も言わなかった。新津までに数時間は、寒かったが私にローカル線の旅の楽しさを教えてくれた。
越後川口から長野までの飯山線は、日本有数の豪雪地帯を走る列車で、その日もまだ数メートルはあろうかという雪の中を走り抜けた。この区間はディーゼル列車による運行だったが、野沢温泉などのスキー場などを経由して夕刻の長野駅に着いた。日本列島の裏側に出ると、3月でもこんなに雪が深いというのは驚きだったが、その後、日本海側でも3月まで雪が残ることは最近では珍しくなったようだ。
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