ハイドンという大作曲家が残した作品ということで、いくつかの演奏が幸運にも出回り、それゆえにまあ聞いてみることもできる作品にすぎないなあ、などと勝手に思いながら第1楽章を聞き終える。ここのところの四十番台の交響曲は、どれも不協和音を伴った疾走するような出だしで始まることが多く、なるほどこれが「疾風怒濤」の言われなのか、と思ってしまうが、実は何の関係もない話らしい。梅雨の蒸し暑さに加わって、降りそうで降らない雨の日が何週間も続いていることを嫌でも思い起こさせるような音楽に少々辟易してしまう。いったい、これは本当に長調に作品なの?

最終楽章に入って、音楽はいよいよこれまでになかったハイドンらしさを見せる。音楽が止まったかと思えば、また始まる、というような、後年の作品によく見られるような雰囲気が初めて登場するのである。このような、新しい仕掛けが散見されるという意味で、この交響曲は貴重なのかも知れないが、単独で聞くにはやや骨が折れる、というのが正直な感想。
ホルンの音が耳にこびりついて、しかもメロディーは印象に残らない。それも承知でこの作品を作ったのはもしかすると、これはハイドンの野心作ということか。A=フィッシャーの速い演奏で。
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