
今年はフランツ・ヨーゼフ・ハイドン(1732-1809)の没後200周年という節目の年にあたり、この作曲家の隠れファンでもある私は数多くのCDリリースを待ち望んでいるのだが、昨年のカラヤンと違っていささか盛り上がりに乏しいようだ。ハイドンが地味な作曲家としてコンサートでもほとんど取り上げられないのは、超越的なエピソードが満載のモーツァルトと違い、ハイドンの少年時代についてあまりよくわかっていないからだろうと推測される。詳しい伝記を読んでみたいが、日本語で書かれたハイドンに関する書籍は皆無に等しい。それでもCDのブックレットなどを読んでみると、彼は少年時代から合唱団に所属し、その音楽的才能を認められることとなったこと、そのことでパトロンを得て作曲を開始するようになったことなどがわかってくる。
最初に仕えたのがモルティン伯爵という人で、有名なエステルハージ公に仕えるまでの期間、だいたい1760年頃までに作曲された作品が現存する最古の作品群ということになる。有名な交響曲第6番から第8番までの「朝」「昼」「晩」はエステルハージ時代の幕開けとなる作品なので、それ以前に作曲された交響曲は、第1番を含みこれらをまたいで14曲あるとのことである。複雑な時代考証を考えていくとわけがわからなくなるので、私としてはまず交響曲第1番を聞いておきたいと思う。これが108曲に及ぶハイドンの交響曲の幕開けの曲として相応しいと思うからである。
ハイドン以前の交響曲については別の機会に譲るとして、ハイドンの創作の軌跡は、今日に至る輝かしい交響曲の歴史の最初の重要な礎を築いた点で最も価値があるだろう。そこでかねてから集めてきたハイドンの作品を少しずつ聞いていこうと思っている。うまくいけば素人なりにその流れを俯瞰してみたいとも思っている。
この作業のためには、交響曲全集が欠かせない。何せモーツァルトとは違って初期の作品からきっちりと作曲されているから、手を抜くわけにはいかない。そこで、今から約7年前、破格の安さで販売されたアダム・フィッシャー指揮オーストリア=ハンガリー・ハイドン管弦楽団による全集(有名なドラティによるものと異なり、すべてデジタル収録、それもエステルハージ城での演奏だから、その企画は本格的なものである)を買ってある時一気に80番あたりまで聞きとおした。そして今回その中から第1番から第5番まで再度聞いてみたが、やはりそれなりの完成度を持ち、特に第1番ニ長調は溌剌として実に気持の良い作品だということを再認識して嬉しくなった。第1楽章の出だしから快速なテンポは、これから始まる長い道のりの豊かな実りを予感させる。
(2009年2月25日)
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