2012年6月27日水曜日

モーツァルト:交響曲第25番ト短調K183(ニクラウス・アーノンクール指揮ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス))


1773年、3度目のイタリア旅行から帰郷したモーツァルトは、夏の2ヶ月間をウィーンで過ごし、数々の音楽的薫陶を受けたとされている。その中にハイドンの交響曲が含まれていたのは想像に難くない。ハイドンの交響曲第39番は、前にも触れたように4本のホルンを用い、ト短調で、しかも作風が劇的である。このような作風は、おそらく当時のちょっとした流行だったようで、若いモーツァルトがそのような作品をひとつ書いてみようか、と思ったとしても不思議ではない。というわけで、この25番の小ト短調は生まれた(のだろう)。

さて、初期の小規模で試作的な多くの作品と異なって、モーツァルトの交響曲ではこの25番が断トツで充実した作品となっていることは周知の事実である。クラシック音楽を聴き始めた頃は、映画「アマデウス」でも使用されたこの曲の冒頭を初めて耳にして、モーツァルトも実はこのような過激な作品を作曲していたのだ、という事実(歌劇「ドン・ジョヴァンニ」などを聞けば明らかなのだが)に少なからずショックを受ける。モーツァルトは「走る悲しみ」などと単純に理解できないものがある。いやそもそも絶対音楽をそのように形容すること自体に無理があるのではないか。

けれども、この曲は私にとって長い間、「苦手な曲」としてありつづけてきた。聞いていてちっとも楽しくないのである。いつも神経を逆なでされ、切羽詰まった挙句、早く早くと急かされているような気がしていた。この演奏に出会うまでは。

2006年のモーツァルト・イヤーになって、アーノンクールがウィーン・コンツェントゥス・ムジクスを指揮した初期交響曲の5枚組が発売されたのだ。この中に、25番が含まれていた。私はこのCDから、手紙の朗読部分をカットしてすべてをiPodに収録し持ち歩いているが、ここで聞ける作品集は、それがモーツァルトのごく若い時期に書かれたものであるとは到底想像できないような充実ぶりである。小ト短調も初めて聞くような新鮮さである。そしてこの第2楽章を聞く時、やはりこれはモーツァルトの音楽だなあ、と背筋がぞくぞくする。やっとこの曲の真価に触れたような気がした。おそらく演奏のレベルが作品に追いつき、そしてそれを超えたのだろう。

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