おそらくは王妃の歓迎式典のために作曲された実用本位の曲で、これまで続いてきた実験的要素は鳴りを潜め、ここではハイドン本来の祝祭的雰囲気が満開となっている。ハ長調にティンパニまで加わる編成は、どこか「ジュピター」を思わせるという向きもあるが、確かに第3楽章などはそういう感じで、聞いていて飽きない。
ハイドンの交響曲を聞いていて感じるのは、ホルンの重みである。この作品でもホルンが各楽章で大活躍する。そして弦楽器。第1楽章のアレグロから実にきびきびとしてしかものびやかに開放弦満開の雰囲気に聞き惚れる。

目的や用途に応じて、作品のムードを変えることなど、プロの作曲家にとって当然のことだったのだろう。だから、各作品の趣旨を無視してこれがいい、これは退屈だ、などと言うのは少し軽薄のようにも思う。けれどもこの曲のあたりを境にして、これからはむしろ「聞かせる」音楽が増えていく。ハイドンの昇進に伴って、オペラや劇音楽にも進出した結果、音楽に広がりが出てくることに加え、音楽の大衆化が進行し、ハイドンはますます人気作曲家となっていくからである。モーツァルトも新天地ウィーンで活躍を始め、18世紀の後半は、いよいよ古典派音楽の隆盛期を迎える。だがここにはまだ「芸術」という二文字は存在しない。それは19世紀に入ってベートーヴェンが「エロイカ」を書くまで待たねばならない。
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