2024年12月31日火曜日

バルトーク:ピアノ協奏曲第2番Sz95(P: マウリツィオ・ポリーニ、クラウディオ・アバド指揮シカゴ交響楽団)

今年世を去った音楽家のひとりに、イタリア人ヴィルテゥオーゾ、マウリツィオ・ポリーニがいる。彼の演奏するディスクが発売されるたびに大きな反響を呼び、私も数多くの録音に接してきた。しかし実演となると、接したのはわずかに1回。ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲演奏会のうちの一夜のみである。ポリーニの数あるディスクの中で、特に面目躍如たるディスクを選んでみた。

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今年中に何とかバルトークのピアノ協奏曲について語ろうと思ってきた。しかし12月になってもなお、私は第2番についてでさえ書くことができないでいる。そうこうしている間に大晦日になった。このまま年を越すわけにはいかない。今年亡くなったポリーニの演奏を取り上げる予定でいるからだった。

大晦日の夜10時になって、私はいつものように散歩にでかけた。北風が吹く寒い夜に、歩く人はほとんどいない。そびえる数多くのタワーマンションにも約半数の部屋には灯りがともり、紅白歌合戦などを見ているのだろう。私は少しほろ酔い気分で、いつものコースを歩いている。時折千鳥足になるが、気分がいい。モノレールが轟音を立てて、上空を通り過ぎてゆく。そして耳にはポリーニの演奏するバルトーク。

妻が仕事を持ち、毎日疲れて帰宅するとき、彼女はしばしば愚痴をこぼし、最悪の場合には癇癪を起すことが判明した。気持ちが高ぶって怒りに燃え、その矛先を私を含むいろいろなものに向けるのである。私は仕事を持つ大変さを理解しているからできるだけ理性的にふるまうのだが、それでもハチャメチャな言動はしばしば常軌を逸する。そんなある日、バルトークを聞いた。ピアノ協奏曲第2番であった。正直に言うとそれまで、私はバルトークが理解できなかった。そして思った。もしかするとこれは、彼女の音楽ではないか、と。

時に気違いじみたような音階の分離。リズムに脈略はなく、そのような部分が現代人の心理状態を表している。私のバルトーク理解の第一歩はこのようなものだった。

妻の心理状態が時に理解不能に陥るように、バルトークの音楽は理解不能と思うことにした。「理解できない」ということを理解できるようになると、どういうわけか少し理解できるような気がした。今ではこのポリーニとアバドの古典的名演奏を含め、このような支離滅裂に思える音楽が、極めて理性的に演奏されていることが理解できる。これはこれで、そのような状況を楽譜に書かれた音符から忠実に再現しているのである。時代劇のチャンバラシーンと同じである。

だから今となっては、上の考えは修正する必要があると考えている。妻にも大いに失礼でもある。実際ピアノ協奏曲第2番は「難解すぎた」第1番の反省から「大衆にとっての快さ」を希求した作品であると語っている。バルトークの音楽は、このように一見キチガイじみた印象を残すが、次第に体に馴染んでいくようになる。

3つの楽章から成っている。第1楽章と第3楽章はアレグロ。この2つの楽章は、作品を構成する対称構造をなしていることからも、同じムードを持っていると言える。金管楽器も大活躍し、ピアノとの奇妙で丁々発止のアンサンブルが面白い。このピアノ・パートはほぼ休みなく続き、ピアニストをして大いに疲れさせ、しばしばけいれんを起こすほどだと聞いたこともある。だがポリーニはこれをあっさりと弾きこなしてゆく。アバドの伴奏がまた、こなれた音楽のようにさらさらと流れてゆく。このことがもしかしたら、バルトークらしい粗野で野蛮なイメージを薄めている。

バルトークの音楽的構造がどのようなものかを理解するのは難しく、相当な音楽的知識があってもそれを音楽史の中に正確に位置付けられるだけの教養が必要ではないか。ピアノの超絶的な奏法はいうに及ばす、加えて民俗音楽を研究しつくした意味で、ハンガリーあるいはその周辺地域の地理的、文化的特性をも知っておく必要があるだろう。彼が後年アメリカへ移住したことも。だがそうでなければバルトークの音楽を楽しめないか、というとそうではない。素人的な聞き方でいえば、この曲の持つ「ピアノの打楽器的用法」であるとか、前衛的なリズムなど、感覚的、情緒的に聞くことも十分可能である。

さて、私が夜の散歩をしながら聞き入るのは第2楽章である。アダージョとはなっているが、それ自体が三部構成になっていて中間部はプレスト。ひとしきり遅く荘重なリズムが続いたあとで、速く疾走するような音楽が出てきて興奮する。ポリーニ&アバドの真骨頂が示される。ここではトーン・クラスターと呼ばれる、或る音域の音符を一気に同時に(掌で)弾く奏法を聞くことができる。

バルトークの音楽はインターナショナルであると思う。ハンガリーの民俗音楽に拠る作品も残しており、それらはもっと聞きやすいが、彼はそこから発展し十二音技法などとはまた別に、ロマン派後期から現代音楽に至る橋渡しをしたと言える。その前衛性がなかったら、後世の残る音楽家にはなれなかっただろうとも想像がつく。そのバルトークの音楽を、ハンガリーの土着性と結び付ける解釈から昇華して、今や古典的な音楽たらしめるまでに研ぎ澄ませることに成功したアバドとポリーニによる演奏は、今もって驚異的であると言える。 

2024年12月30日月曜日

呉祖強:琵琶協奏曲「草原の小姉妹」(琵琶:劉徳海、小澤征爾指揮ボストン交響楽団)

年末のNHKテレビを見ていたら、今年亡くなった世界的指揮者小澤征爾の追悼番組が流れた。その番組は、主として小澤の中国での活躍と中国における西洋音楽界への貢献について、追悼演奏会を挟みながら追ってゆくものだった。小澤征爾は旧満州瀋陽に生まれた。彼は生涯を通じ、中国に対し熱い思いを抱き続けてきた。それは病気に侵された後も続き、教え子たちは小澤の追悼演奏会を今年11月に企画した、というのである。

私はかつて短波放送を聞いていたことから、中国の国際放送局である北京放送(現・中国国際放送)のリスナーだった。1978年からということになっており、この年12歳。日中が国交を回復した年である。文化大革命を主導した毛沢東が亡くなってからまだ2年しかてったいない。多くの西洋音楽家が追放され、楽団員のレベルは底を打っていたと言っていい。そんな地方の楽団に、小澤はボストン交響楽団の音楽監督という立場ながら出かけてゆく。

瀋陽にできたばかりのオーケストラがあった。わずか4日間の間に彼は見事なブラームスの交響曲と、それに中国の音楽を演奏した。そのビデオがわずかに流れた。ある日私は北京放送で、小澤征爾がボストン交響楽団を率いて中国公演を行った際の録音を、短波特有のノイズに埋もれた中で聞いた記憶がある。この時は首都体育館という広大なホールで、北京中央交響楽団との合同演奏会ということだった。演目はベートーヴェンの交響曲第5番。今回ドキュメンタリーで流れたものと同じ曲だった。

小澤の「運命」はいくつかの録音が出ていたが、その中でもテラークに録音されたものが音質も良好で気に入っていた。その演奏と基本的には同じ。そしてあれから半世紀たった今でも同じ。今回弟子たちが演奏するのもまったく同じ(指揮は俞潞)。高い集中力と研ぎ澄まされたリズム感で音楽をドライブしてゆく。テレビのディレクターも同じことを思ったのだろう。時を隔てた2つの演奏を繋げて、まるで同じ演奏であるかのように編集している。小澤の演奏は、聞いたことがない新鮮な響きに驚きながら、ついつい最後まで聞き通してしまう。この魔法のような特徴は、どの曲でも同様に感じられる。こそが彼の魅力であった。

北京放送から流れたボストン交響楽団の初訪中の演奏会は、中学生の私を興奮させた。この時の演奏をカセットテープに録音して、何度も聞き返した。小澤の昔の訪中の様子は、今回のドキュメンタリーでも流され大いに興味深かった。そして1979年の訪中の際に、何度も取り上げられたのが、呉祖強の作曲による琵琶協奏曲「草原の小姉妹」だった。この曲は1973年に作曲されえいるから文革の最中である。CDの解説によれば、一般に中国における音楽文化は一個人の委ねられる独奏芸術としてではなく、むしろ即興的で機能美を有していることが優先される。共産主義体制下でのこのような音楽を、文革が終わって間もない頃にアメリカのオーケストラが演奏している。

そしてこの曲が、公演から帰国したあとにボストンで録音され発売された。初演も担当した龍徳海の琵琶独奏というのも、訪中時と同じである。さらにはどういうわけか、リストのピアノ協奏曲第1番(ピアノ:劉詩昆)、さらにはスーザの行進曲「星条旗よ永遠なれ」までもが収められている。私が購入して持っているこのフィリップス盤CDは、当然ながら今では廃盤だが、日本語の詳しい解説も付けられており、小澤のもう一つの側面を知る貴重な録音である。

呉祖強の琵琶協奏曲のストリーは、内蒙古の二人の姉妹が嵐に逢ってもなお人民公社の羊を守り抜いた、というもの。第1楽章「草原での放牧」、第2楽章「猛吹雪と激しく戦う」、第3楽章「凍てつく寒さの中、歩き続ける」、第4楽章「仲間たちを思い出す」、第5楽章「無数の紅い花が咲く」。社会主義礼賛の音楽は、今となっては過去の遺物か、それとも現在においてなお意味を持つ中国体制下の主流か(約17分)。

北京放送は当時、日本人よりも日本語が上手いとさえ思わせるような落ち着いた語り口だった。日中友好の時代が始まったものの自由に旅行などできる国ではなく、そういう時に中国各地を紹介した番組や中国語講座など、近くて遠い国を知る数少ない手がかりだった。今でこそ世界中に中国出身の音楽が数多くいるが、龍はまだ長い眠りから覚めたばかり。今の躍進を信じる人などいなかった。だが、その文化的存在の偉大さ故、簡単に西洋かぶれしてしまった日本人とは対照的に、西洋文化をすんなり受け入れているわけではない。これは政策的な側面というわけではない。

小澤は生前、自分の存在が「非西洋人にとって西洋文化が理解できるか」の実験台だと語っていたように思う。彼自身、真摯に西洋音楽に接し、その愚直なまでの姿勢ゆえに高い評価を得ていたと思う。1979年の訪中時、彼はすでにボストン響の音楽監督になって6年が経過していた。数々の批判にさらされながらも、29年間という長きに亘って音楽監督の座にあったのは驚異的である。そしてこの時代の小澤の音楽にこそ、その神髄があるように思う。この演奏はその小澤・ボストン響の、フィリップスへの最初の録音だそうである。

2024年12月18日水曜日

ブルックナー:交響曲第8番ハ短調(ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団)

ニューヨーク・タイムズ日曜日の音楽記事に「Karajan vs Karajan vs Karajan vs ...」という記事が掲載され、アメリカ、特にニューヨークの悪名高き評論家のカラヤン絶賛記事を目にしたのは1990年の春のことだった。この時私は、大学の卒業旅行と称して生まれて初めてアメリカ合州国を旅行し、カリフォルニア、フロリダ、そしてマサチューセッツを回ってニューヨークにたどり着いた。グレイハウンドのバスがストライキで運行中止となり、あろうことか満席となったアムトラックのチケットを辛うじて手に入れた私は、ボストンから5時間かかってマディソン・スクウェア・ガーデン真下にあるペンシルベニア駅に着いた。ニューヨーク郊外には当時伯父が暮らしており、私はそこに転がり込んで1週間余りの間、マンハッタンをくまなく歩いた。クラシック音楽に造詣が深い伯父は私に、カーネギーホールで開かれるコンサートのチケットを何枚も工面してくれた。

3月のニューヨークには毎年のようにウィーン・フィルが来ることになっている。丁度行き違いだったが、この年はレヴァインとバーンスタインが同行し、特にバーンスタインはブルックナーの交響曲第9番を演奏している。しかし新聞に載ったのはカラヤンの記事である。カラヤンはその前年の1989年7月、81歳で亡くなっているからもう故人ということだったが、なぜカラヤンの記事で紙面が埋め尽くされたのだろうか。それは前年のニューヨークでのカラヤン指揮ウィーン・フィルの演奏があまりに素晴らしかったからである。これは実演を聞いた伯父が話してくれた。最晩年、体のコントロールが効かなくなったカラヤンが、精力を振り絞って演奏会に臨んだのは、1989年2月のニューヨーク公演と、3月の最後のコンサート(ブルックナー交響曲第7番)だけである。そしてニューヨークで演奏された3回のコンサートのうちのわずかに1回が、ブルックナーの交響曲第8番だった。この歴史的な名演が、ニューヨークで語り種になったということである。

(インターネットの時代。この時の記事がたちどころに検索できた。その記事は1989年の公演についてではなく、膨大なカラヤンの録音から何を聞くべきか、ということを論じたものだった。一方、1989年の公演については短い論評が掲載された。この記事も検索出来たが、より興味深いのはこの時の公演のニュースがYoutubeに公開されていることで、第8番のコーダの一部を見ることができる貴重なものだhttps://www.youtube.com/watch?v=zBeVIrXf7Co

そのブルックナーの演奏は、前年1988年秋にウィーンでも演奏され録音された。私が愛するこの曲の愛聴盤はこの時の演奏である。カラヤンのあまりに突然の死後、ドイツ・グラモフォンから発売された追悼盤2枚組は、今でも宝物のように私のCDラックを飾っている。この演奏から聞こえるブルックナーの音楽は、ウィーン・フィルの例えようもない響きによって、どの演奏よりも美しい。カラヤンが残したブルックナーの交響曲第8番は何種類も存在するが、この最後の孤高の演奏は、もやは神がかり的とも言っていい。第1楽章の第1音から聞きほれてしまい、気が付くと90分近い曲が終わりかけている。これほど自然で力がはいらない演奏なのに、ひたすら磨かれて高くそびえたっている様はまさにブルックナーそのものである。記録によれば録音は1988年11月、ウィーン学友協会。エンジニアにはこの時でもあのギュンター・ヘルマンス氏がクレジットされている。1890年ハース版によっているのは旧録音に同じ。演奏時間は約83分。

ブルックナー最後の完成された交響曲である第8番は、最大の規模を誇り、演奏時間は80分に達する。演奏によって時間が大きく変わるのはブルックナーでは良くあることだが、それには版の違いというものも影響している。まずもとの楽譜には大きく2種類があり、1878年版(第1稿)と1890年版(第2稿)。これに編者による違いが付加され、現在良く演奏されるのが第2稿をベースとしたノヴァーク版とハース版である。私はそれほど気にならないのだが、マニアは版の違いを議論するのが好きなようで、多くの記事にはこの違いが語られている。大きな違いは第3楽章と第4楽章で、ハース版には存在するがノヴァーク板ではカットされているところが多い。私が所有しているわずか2組のCDでは、ショルティがノヴァーク版、カラヤンがハース版となっている。

ついでながらショルティの演奏を購入したのは、これが1枚もので手に入ったからである。若年層にとってCDの値段は大きな問題で、同じ曲でも2枚組は1枚物の2倍の値が付けられていたため、私はどうしても躊躇してしまった。ショルティの演奏はノヴァーク版によっている上に第2楽章などめっぽう速く、まるで1枚に収録することにこだわったような感さえある。今ではカラヤン盤も1枚ものとして発売されているようだが、長い演奏を1枚に収めるためにデジタル処理上のカットが施され、音質が悪くなったとの指摘もある。CDの収録時間を決めたのはカラヤンだと言われているが、その時に意識したのはフルトヴェングラーの「第九」だったと聞いたことがある。もしブルックナーの第8番を一枚に、ということになっていたらマーラーの交響曲などもすべて1枚で手に入ったのに、と思う。まあそういうことは、CD自体が古いメディアとなってしまった今では、どうでもよいことではあるのだが。

ブルックナーの交響曲第8番は4つの楽章から成っている。興味深いのは前半の2つの楽章が比較的短く(それでも約15分ずつ)、後半の2つが長い(約25分ずつ)。これにはいろいろな話がある。説得力がある説は、前半を長くしすぎると後半にクライマックスを築くのが難しくなると考えた、というものだ。第7番で前半を長くしすぎた反省から、というのである。真偽のほどはともかく、実演で聞いていると第3楽章こそが聴き所なので、全体が丁度いいバランスに感じられる。

カラヤンの演奏は2枚組なので、30分余りを聞いただけでCDを入れ替える必要がある。ストリーミング再生に慣れてしまった私は、なかなか第3楽章が始まらないのでおかしいなと思っていたら、そういうことだった。とはいえ今は、東海道新幹線を西へと向かいながらこの曲を聞いている。富士山が丁度いい塩梅に雪をかぶっている。多くの人がその風景を撮影しようとしている。私は富士山を眺めながら、ブルックナーの音楽が最高のBGMにもなることを発見した。おそらくただひたすら美しく、きれいに磨かれた曲だからのような気がする。何といおいうか、何も考えずに聞いていたくなるような曲なのである。

名古屋までの1時間余りは、この曲の長さと同じである。浜名湖を通り過ぎるところで第3楽章のクライマックスとなった。ブルックナーは次の交響曲第9番が未完成に終わった。マーラーの交響曲第10番も同じである。しかしこの第8番を完結させてくれていることを、神に感謝する必要があるだろう。それはマーラーの交響曲第9番も同様である。そして、そう考えていくとベートーヴェンの第9番がそうである。「第九」が後世の作曲家に与えた影響は計り知ることができないが、このブルックナーの交響曲第8番も、それを意識しているようなところがある。第2楽章をスケルツォとし、長大な第3楽章のアダージョに、クライマックスを含む聞かせ所が多い点など、「第九」を下敷きにしているのではないか、などと考えながら、滅多に聞くことのないこの曲を聞いた。

今年はブルックナー・イヤーで第8番も多くの演奏会で取り上げらられた。私も年内にこの曲について書き終えたいと思いながら、はや1年が過ぎようとしている。ミサ曲などを除けば、このブログで取り上げていないのは第2番と第9番のみとなった。いろいろな聞き方があると思うが、私はブルックナーの音楽を新幹線の中で聞くことに魅力を発見した。しかし耳元であの大伽藍のような音楽を再生するには限界がある。丁度最近私はスピーカーを30年ぶりに買い替えたばかりである。エージングが済んだら、このカラヤンのブルックナーを大音量で聞くことを心待ちにしている。

2024年12月6日金曜日

チャイコフスキー:交響曲第3番ニ長調作品29「ポーランド」(ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団)

上越新幹線「とき」に乗って新潟へ向かっている。東京はこのところ小春日和が続いているが、裏日本の天候はこれとは対照的に寒く、連日冷たい雨が降っているらしい。週末の夜、私は仕事を早めに切り上げ念願の旅へと赴いた。耳からはチャイコフスキーの交響曲第3番が流れている。

「ポーランド」の愛称を持つ曲だが、チャイコフスキーの交響曲中最も知られていない曲である。この曲の際立った特徴は、5楽章構成であることと、長調で描かれていることである。作曲された1875年頃は、チャイコフスキーにおける「傑作の森」ともいうべき時期にあたり、ピアノ協奏曲第1番や「白鳥の湖」などが書かれている。この2曲はいずれもメロディーの宝庫のような曲で、一度聞いたら忘れられないような旋律がそこかしこに溢れている。だが、同時期に作曲されたこの交響曲第3番には、そのようなところがない。

標題となった「ポーランド」の舞曲は最終楽章に由来するが、それまでである。全体としてどことなく散逸的であると思ってきた。最新の新しい録音なら少しは聴き応えがあるかとも思ったが、今日はカラヤン指揮ベルリン・フィルの古い演奏に耳を傾けている。とりとめのない第1楽章が終わって第2楽章に入ると、少しメランコリックながらも明るいメロディーが流れてくる。思えばこの頃は、チャイコフスキーがそれまでの重圧(「5人組」からの影響)を少しずつ脱して、独自の作風を確立してゆく時期にあたる。前作の交響曲第2番同様、ここで聞けるのはロシア土着的音楽から西欧の影響を受けたモダンなチャイコフスキーへの転換の序章である。

私たちは、歴史に残る大作曲家が独自の作風を確立した後の有名作品にのみ注目し過ぎであり、実際にはそこに至るまで長い試行の中にこそ、その作曲家の真の姿に触れる思いがすることを、そしてそれらの作品がしばしばのちの名作を超えて、若々しく瑞々しい香りを放つことを知っている。第3楽章のアンダンテは、前楽章の続きのような曲がしばらく続いたところで急に流れるようなカンタービレが聞こえてくる。ここはきわめて印象的である。明るい中にも寂しいロシアの風景を思わせる、陰影に富んだチャイコフスキー節がこの曲の中間楽章の魅力である。

第4楽章のケルツォが聞こえてきた。列車は早くも長岡に到着した。雨が降っている。前の2つの楽章と違って行進曲風であり、管楽器の乱舞が楽しくトロンボーンの響きが美しい。これらはカラヤンの真骨頂なのだろうか。そしてポロネーズのリズムによって特徴づけられる終楽章は10分近い長さのフィナーレである。初めて聞いたときはいかにも冗長で退屈だと感じたものだが。

車窓は夜のとばりが下りてほとんど何も見えないが、「とき」は新潟平野を快走している。壮大なフィナーレが終わると同時に小雨の降る冬の新潟駅に到着した。今夜は初めて新潟に泊まる。そういえばさっき、社内誌で「水の美味しいところは何を食べても美味しい」とある作家が書いていた。今宵は日本海の幸を、数ある銘酒と共にいただくこととしようか。

2024年11月25日月曜日

チャイコフスキー:交響曲第2番ハ短調作品17「小ロシア」(ロリン・マゼール指揮ピッツバーグ交響楽団)

合唱に親しんだ人なら、ロシア民謡「母なるヴォルガを下りて」を知っている人は多いだろう。チャイコフスキーの交響曲第2番第1楽章は、この有名なメロディーから始まる。

いつもは北へと向かう東北新幹線でこのブログの文章を書くことが多い。だが今日は違って東海道新幹線である。今年は11月に入っても20度を超える日があるなど、異例の天候が続いているが、それでも立冬を過ぎると次第に冬らしくなり、今日は朝からどんよりと曇り、その雲の合間からのぞく日差しもどこか寂し気である。この時期に聴きたくなる曲がロシア音楽である。新横浜を過ぎ、ひとしきり社内アナウンスが終わった頃から、チャイコフスキーの交響曲第2番を聴き始めた。

第2楽章を過ぎて三島駅を通過した。雲の上に頭だけを露出させた富士山の頂に、うっすらと雪が積もっている。今日はこの後、東海道五十三次を藤川から岡崎まで歩いた後、豊橋に戻って新幹線に再び飛び乗り、神戸から船に乗って九州へと向かう。門司、小倉をしばし観光、博多で一泊した後は、朝のフェリーで壱岐へ向かう予定である。目的地まで3日がかりで出かけ、壱岐では原の辻遺跡をはじめとする観光地をくまなく見て回り、発祥の地と呼ばれる麦焼酎とともに、地元で取れた鮮魚に味わう3泊4日の一人旅の幕開きである。

チャイコフスキーの交響曲第2番はこじんまりとした印象を残す曲である。副題に「小ロシア」と付けられているのは、この曲にウクライナの民謡が取り入れられているからである。舞曲風の民族的旋律が第4楽章などは全体に鳴り響いて、抒情的で美しい旋律の魅力に溢れており、案外気さくに楽しめる。だが、その親しみやすさの割にはあまり演奏される機会はなく、録音の数も少ない。かちてから名演の誉れ高いカラヤンの演奏も、第1番から第3番までの3曲は、わずか1種類が残っているだけである。第4楽章のコーダ近くで印象的なドラの音が鳴って、静岡駅を通過。華やかなうちに音楽が終わった。

解説によれば、交響曲第2番に流用されている民謡は3曲ある。まず第1楽章は有名な「母なるヴォルガを下りて」。ヴォルガ川はモスクワ郊外に源を発し、ロシア・ヨーロッパ領を南に流れてカスピ海へと注ぐヨーロッパ最長の川である。ソ連邦の時代、NHKが「ボルガを下る」というドキュメンタリーを放送したことがあった。鉄のカーテンの向こう側を取材した映像が流れることは極めて稀で、私は番組をとても興味を持って見た記憶がある。もう放送の中身は忘れたが、これがいつのことだったかと検索して調べてみると、1978年頃であることが判明した。私は当時11歳だった。

この時の取材班がまとめた著作が、中古で手に入った。水源からカスピ海のデルタ地帯まで、撮影の厳しかった当局との交渉の様子など、取材時のエピソードが満載のこの書物は、知られざるソビエトの内側を記録したものとして興味深いが、私としてはやはり番組を再度見てみたい。でもその可能性は少ないだろう。ボルゴグラードの岸辺で日光浴をする住民の姿や、広い河川を行き来する観光船、そしてキャビアの産地であるカスピ海のチョウザメ漁の映像など、子供の頃に見たテレビ番組が思いのほか明確に残っている。

第2楽章の中間部はウクライナ民謡「回れ、私の糸車」という曲が引用されているらしい。この楽章は全体にこじんまり、冒頭からティンパニがボンボンとリズムを刻む遅い行進曲風の静かな曲である。親しみやすく味わい深い。そして第3楽章はスケルツォ。祝祭的で豪華な第4楽章は、ウクライナ民謡「鶴」という曲が引用されてるそうだ。ここだけ聞くと、何かバレエ音楽を聞いているような気がしてくる。全体的に明るく、楽天的な行進曲は第4番以降の深刻な作品とは一線を画す。親しみやすいと言えばその通りなのだが、深みに欠けるきらいはある。

このたびこの曲を聞くに際して、いまさらカラヤンでもないなと思い、いろいろ探して見つけたのがロリン・マゼールによる2度目の録音だった。演奏はピッツバーグ交響楽団である。テラークの録音が隅々まで明瞭で、職人的な指揮と組み合わさって曲の輪郭を映し出す。

2024年11月12日火曜日

ブラームス:ヴァイオリンとチェロのための協奏曲イ短調作品102(Vn: ルノー・カピュソン、Vc: ゴーティエ・カピュソン、チョン・ミュンフン指揮マーラー・ユーゲント管弦楽団)

ブラームスには2つのピアノ協奏曲、1つのヴァイオリン協奏曲のほかに、もう一つ協奏曲がある。それが「ヴァイオリンとチェロのための協奏曲」という曲である。ところがこの曲は作品番号が102であることからもわかるように、これはブラームス晩年の作品であり(54歳)、すでに歴史に残る4つの交響曲を作曲し終えた後のことで、つまりは最後の管弦楽作品ということになろう。

しかし私は何と、この曲を最初のブラームス作品として実演で聞いている。ズビン・メータがイスラエル・フィルを率いて来日したコンサートにこの曲があったのだ。当時高校生だった私は「学生券」というのを買って大阪フェスティバルホールの最後部の座席を確保したが、小遣いも少ない時期にこの出費は大きかった。私はいっときも無駄にしないようにと、予め曲を聞いて親しもうとした。当時、我が家のレコード・ラックにこの曲を収録したレコードはなかった。こういう時、FM雑誌などを参考にNHKで放送される音をカセット・テープに録音するしかなかった。

ところが嬉しいことにこの曲が放送されたのだった。私がテープに収めたのは、ダヴィド・オイストラフとムスティスラフ・ロストロポーヴィチが独奏を務める決定的な録音で、伴奏をジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団が務めている。そもそもあまり録音の多くない曲にあって、この演奏は最高の評価を得ていた。そしてこの曲は、この2人の独奏にさらにスヴャトスラフ・リヒテルが参加してベートーヴェンの三重協奏曲をカラヤン指揮ベルリン・フィルと競演した演奏と並んで、当時のソビエトの知られざる巨匠が西側のオーケストラと競演した歴史的なものとして燦然と輝くものだった。

ところが私がこの曲を聞いた時の印象は、何ともパッとしない曲だということだった。そもそもヴァイオリンとチェロという楽器が競演したところで、いずれもがオーケストラの中に埋もれてしまい華やかさを欠く。そればかりかブラームスの何とも地味な音楽が続き、一体どこをどう聞いていいのかさっぱりわからない。私がエアチェックした録音も、あまりいい音質とは言えないのも事実で、30分余りの短い曲だったから何度も聞いたが、何度聞いても結果は同じ。どうもつまらない曲を聞く羽目になるという予想が変わらないまま演奏会当日を迎えたのである。

2人の優秀な独奏者を必要とする曲なので、あまりコンサートに上ることもない曲でもある。何か記念になるようなコンサートで取り上げられることが多い。しかしイスラエル・フィルの来日演奏会では、ヴァイオリンとチェロのソロをそれぞれの首席奏者が務めた。コンサートは後半の「春の祭典」に圧倒されて思い出に残るほど感動的だったが、この曲自体は何かつまらない曲であるという印象は変わらなかった。

その後、私は一度も実演でこの曲に接してはいない。CDは上記の2曲を1枚に収録したものを購入し、たまに聞いてはみたがどうもしっくりこないという印象はぬぐえず、そうこうしているうちに何十年もの歳月が流れた。「対立」と「和解」がこの曲のテーマであるという。私もそろそろこの曲と和解をしようと、久しぶりに聞いてみることにした。こういう場合、できるだけ新しい演奏で聞くことが経験上肝要である。録音が新しく、演奏もできれば若い人のがいい。そして見つけたのが、フランスのカピュソン兄弟が独奏を務める一枚だった。兄弟はそれぞれヴァイオリンとチェロの名手だから、この曲にはうってつけである。録音は2007年、新しいとは言ってももう17年も前のことではあるが。

まず驚くのは、曲が始まって最初のフレーズがオーケストラで大きく鳴ったかと思うといきなり2つの楽器による独奏が続くことである。これはいきなりカデンツァとなる珍しい曲なのだが、ここでのチェロはピチカートもあったりして何か奔放な感じである。しかしテーマそのものは陰鬱な感じで、気持ちが晴れない。ブラームスは北ドイツの生まれだが、この曲はスイスで作曲されている。しかし彼の音楽は、どこか地の底から隆起してくるようなエネルギーが、そのまま爆発しないか、しても粘性の噴出をするようなイメージである。

だが第2楽章は牧歌的なメロディーで、牧草地帯のスイスを思わせなくもない。総じて明るく伸びやかである。一方、第3楽章になると、まずチェロが印象的な旋律を奏で、ヴァイオリンが反復する。そしてオーケストラが力強くこれを繰り返す。このメロディーだけを覚えて、コンサートに出かけたことを思い出す。以降、このユダヤ的?なメロディーが様々に形を変えて進む。

さすがに聞く方の私も歳を重ねて、とうとうブラームスがこの曲を作曲した年齢を過ぎてしまった。そう考えると感慨深いものがあるが、たしかにいぶし銀のような曲で、秋の夜長に静かに聞くにはいいかも知れない。特にこのカピュソン兄弟による演奏は、意外にもスッキリとしてい点で、ともすればこの曲が粘っこくなりすぎるのを防いでいる。だが私は、この曲の後半に収録されているクラリネット五重奏曲の方が、もっと良く聞きたくなるいい曲に思えてならない。

2024年11月2日土曜日

ブラームス:ピアノ協奏曲第1番ニ短調作品14(P: アルフレート・ブレンデル、クラウディオ・アバド指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団)

例年になく高温の日が続く今年。それでもさすがに11月ともなるとようやく秋が深まって来て、今日は朝から雨が降り続いている。すっかり日も短くなり、夕方になると肌寒く感じる。私がブラームスを聞きたくなるのは、そういう季節である。だがこのブログでは、これまであまりブラームスの作品を取り上げてこなかった。別に避けていたわけではないが、人気ある作品となるとそれを語る人も多く、おいそれといい加減なことは言えまいとの気持ちがもたげ、そうでなくてもずっしりと重い重厚感のある音楽が、私を駄作文から遠ざけていた、という気がしている。

しかしブラームスの若い頃の作品は、若さゆえの野心と情熱に満ち、それでいて十分に内省的、ロマンチックである。交響曲を作曲し始めたのが遅かったので、とりわけそのような作品は忘れられがちであるとさえ思われる。その若い頃の作品、ピアノ協奏曲第1番が作曲されたのは1854年から1857年にかけてで、1833年生まれのブラームスの20代前半の作品ということになる。しかしこの曲は、晩年の作品に劣らず深い味わいを持っている。いまでこそ私にとっては、ピアノ協奏曲第2番がもっとも好きなブラームス作品となっているが、私も若かったころは、第2番の魅力よりも躍動感とエネルギーに溢れた第1番の方が好きだった。

ピアノ協奏曲第1番は長い。演奏時間は50分に達する。その壮大な音楽はむしろ交響曲と呼んだ方がいいくらいで、実際この曲は「ピアノ付き交響曲」といわれるくらい(第2番もそうだけど)、実際一時は交響曲として筆が進められた。初演時は退屈だと批判されたようだが、第2番よりも録音されたディスクは多いのではないだろうか。

その名演ひしめくあまたのディスクの中で、何が一番心に残っているかと言われれば、やはり(ほかの曲でもそうなのだが)最初にこの曲に親しんだ演奏ということになる。私の場合、それはアルフレート・ブレンデルによるものであった。競演しているのはクラウディオ・アバド指揮ベルリン・フィル。1986年フィリップスによる録音である。この組み合わせは1992年に来日し、私も生まれて初めてベルリン・フィルの演奏を聞いたときの思い出にもなっている。当時、アバドはベルリンの音楽監督にカラヤンの後継として就任したことで、さらに世界の注目を集めていた頃である。

第1楽章は荒っぽい音楽である。私はこの曲を初めて聞いた時、ブラームスのピアノ協奏曲なるものが一体どのようなものであるのか想像がつかず興味津々だったが、この第1楽章を聞いて、ずっしりとしたブラームスのオーケストラの音色と、華やかな音色のピアノが、溶け合うというよりも妙な化学反応を起こしているような音楽だと思った。だが不思議に印象は深く、何度も聞いてみたいと思った。それにくらべると第2番などはもっと長いし静かな感じで地味だと思った。程なくして私はもっぱら第1番を聞くようになった。

ブレンデルの録音は、当時の最新録音のひとつで大変充実したものである。ベルリン・フィルの演奏も目立ちすぎず、かといって控えめでもない。どちらも、そしてその競演も丁度いい塩梅である。その真骨頂は第2楽章で示される。はじめはよくわからないと思いながら聞いていた緩徐楽章も、歳を重ねるごとに理解が進んだというのもおかしな話だが、何かつぶやくような静謐な音楽がそっと心に響く。今回はイヤホンでストリーミングを聞いているのではなく、CDプレイヤーをアンプにつないで2台のスピーカーを鳴らしている。そのようにして聞くアダージョの美しさは比類がない。

第3楽章はピアノとオーケストラががっぷり四つに組んだ素晴らしい曲で、聞き進むうちに熱も帯びてくるものの、美しさを邪魔するわけではなく、その絶妙なバランスがとても素敵である。この曲の初演が不調に終わったのが理解できないほどだが、確かにクラシック音楽というのは、一度聞いただけではわからないくらいに難しいのは事実である。音楽は基本、ライブで楽しむべきものと思っている私も、ディスクで聞くことにも別の大きな価値を見出すべきだと思っている。

それにしても、秋の夜長に耳を傾ける落ち着いた時間が妙に懐かしい。この曲を聞いていると昔、CD一枚一枚を購入しては何度も聞いていたころが蘇ってきた。そういえば今年は息子が大学生になって家を出て行き、私はひさしぶりに自由な時間を取り戻した。それでもここまでの半年はいろいろ慌ただしく、しかも夏の猛暑に体も不調を極めた。環境の変化により、もぬけの殻のように何もする気が起きなかったこの夏を経て、ようやく音楽にでもゆったりと浸ってみるきっかけになればいいと思った。

2024年10月24日木曜日

ベートーヴェン:歌劇「フィデリオ」(2020年二期会公演ライブ映像上映、大植英次指揮)

2020年はコロナ禍により多くの社会生活が犠牲になった年で、クラシック音楽のコンサートも軒並み中止、海外からの演奏家の来日もほとんどがキャンセルされたのは、記憶に新しいところである。この年はくしくもベートーヴェン生誕250周年にあたっていて、ベートーヴェン作品のコンサートが数多く企画されていた。新型コロナウィルス流行の最大の犠牲者のひとりは、ベートーヴェンである。

そのベートーヴェン唯一の歌劇である「フィデリオ」が、コロナ流行の真っ只中だった2020年9月、二期会によって上演されていることを私は知らなかった。もともと随分前から企画されていたのだろうから、ギリギリの判断を迫られたと言って良い。あれから丁度4年が過ぎ、もう過去のことは忘れてしまいそうになるくらい日常を取り戻してきているが、パンデミック開始から半年がたったころの世の中は、まだまだ異常事態の中にあったのは確かである。

そのような状況で開催された「フィデリオ」は、歌手がすべてスケジュール調整のしやすい日本人だったということが幸いしたのかも知れない。新国立劇場で開催された公演のライブ映像がビデオ上映されることを当日になって知り、東京文化会館(小ホール)に出かけたのは、ようやく秋めいてきた10月20日のことである。いつものように上野公園は黒山のような人だかりで、まるで上海の繁華街にいるような感じ。しかし小ホールはひっそりと静まり返っていて、数えるほどしか入場者はおらず、贅沢に座って上演開始を待った。

ベートーヴェンが一生を費やして作曲した歌劇「フィデリオ」が、私は大好きである。何と言ってもあのベートーヴェンの音楽が、2時間以上にわたって楽しめる。序曲はいうに及ばす有名だし、いくつかの歌は独唱であれ重唱であれ、一度聴いたら忘れられないメロディーである。何度も改訂した序曲(今回は「レオノーレ」第3番が用いられたが終わると、いきなり若い頃のベートーヴェンの音楽が聞こえてくる。その生削りで中途半端なロマン性と無骨で単純な音楽は、少なくともドン・ピツァロが登場する頃まで続く。

ところが第2幕に入り、重唱が多くなっていくとストーリーなどを離れて、愛だの正義だのといった教条主義的理想論が、高らかに歌い上げられる。そのエネルギーは終盤にかけて半端なく、その高揚感がストーリーや歌詞の一本調子な退屈さをどこかへ追いやってしまうから不思議だ。総合的に見て音楽としてはベートーヴェンの最高傑作に入るのではないかと思っている。演奏会形式を含めるとこれまで3度の実演に接しているほか、あのレナード・バーンスタインがウィーン国立歌劇場を指揮した伝説的公演のビデオを含め、数多くのCDを所持している。

さて、新国立劇場で開催された二期会公演の「フィデリオ」は、いつものようにダブル・キャストが組まれたが、今回ビデオ上演で見たのは、以下の歌手陣の公演である。まず主役であるレオノーレ(フィデリオとして男装)は土屋優子(ソプラノ)。彼女は北海道生まれとある。その夫で刑務所に捕らわれている政治犯フロレスタンは、福井敬(テノール)。今や主役級を次々こなす我が国のトップ・テノール。刑務所の看守で小市民的だが憎めないロッコ役に妻屋秀和(バス)、先日も「夢遊病の女」での名唱の記憶が醒めやらないが、このような役にピッタリと思う。そしてロッコの娘で、レオノーレに恋するマルツェリーネに冨平安希子(ソプラノ)。容姿端麗でしかも歌声は響き、それは序盤の見どころである。

一方、フロレスタンを殺そうと画策する悪役ドン・ピツァロには大沼徹(バリトン)。官僚的で何を考えているかわからないような陰湿さが良く表現されていて、若干日本の警察ドラマを見ているような感じも否めないが、よくできたキャスト。そして登場場面は少ないが、重要な大臣ドン・フェルナンドには黒田博(バリトン)。貫禄十分で高貴さもある。合唱は二期会を中心に新国立劇場合唱団、藤原歌劇団も加えた混声舞台というのも面白い。オーケストラは東京フィルハーモニー交響楽団、指揮は大植英次である。

指揮が大植英次だったというのが、私がこの公演に注目した理由の一つである。プログラムによれば、ドイツに住む彼はコロナ禍で次々と公演が中止になる中、急遽「フィデリオ」の指揮の依頼を受けたのだという。おそらくは別の外国人指揮者が予定されていたのであろう。8月に帰国し、2週間の隔離を経て公演に挑んだようだ。バーンスタインを敬愛し、そのバーンスタインから直接多くの教えを受けた彼は、ベルリンの壁が崩壊した際に行われた歴史的な「第九」の演奏に立ち会い、「友よ」という歌詞を「自由」に変えて歌った伝説的演奏について詳しく語っている。

パンデミックで閉ざされた世界中の人々が願ったのが、そのような自由だった。その思いは「フィデリオ」の舞台、中世のスペインにおける圧政に苦しんだ正義の人の開放の物語に通じるものがある。いやベートーヴェンの音楽には、「第九」であれ「フィデリオ」であれ、自由への賛歌とも言うべき人類愛に満ち溢れており、それだけであると言ってもいいくらいだ。その人間賛歌を高らかに歌い上げるのは、第二次世界大戦が終わって復興したウィーン国立歌劇場の戦後最初の演目が「フィデリオ」だったことが象徴的であろう。

だから今回の演出を担当した深作健太が、舞台をナチス政権下のドイツ、そして冷戦時代の東ドイツ、さらには冷戦終結後でも戦禍の絶えない世界を俯瞰するような意味づけを行ったことは、それがコロナ以前から構想されていただろうにもかかわらず、一定の説得力を持っているとは言える。象徴的だったのは、最終幕で合唱団が付けていたマスクを敢然と外して歌うシーンだった。マスクこそが不自由の象徴だと言わんばかりである。これはコロナ禍における偽善的なものに対するささやか反抗だと私は解釈した。

しかし全般的に行って、私はオペラの作品にこのような政治的意図を感じさせないまでも、現実の世相を強調して見せることをあまり好まない。これでは純粋な音楽の物語が、余計な想念にかき消され興ざめである。頻繁に表示される文章のテロップも、それが意味するところを直接的に伝えすぎていると思う。とはいえ、もともと舞台が刑務所という暗い舞台である上に、ヘンテコな恋愛の歌も挟まれて、不得意な分野に苦労したベートーヴェンというのを感じるが、第2幕ではそれらが昇華され、まるでオラトリオのようになっていく。このようなビデオで観ていると、重唱の面白さが堪能できる。

大植の指揮は、ストレートかつ一気にベートーヴェンの音楽を聞かせるもので素晴らしい。序曲には「レオノーレ」第3番が用いられ、あのマーラーが考案した第2幕終盤での挿入はなかった。プログラム・ノートの大植のインタビュー記事におけるバーンスタインの証言では、「フィデリオ」はもともと3幕構成だったと推測されるとのことだが、だとするとその間に「レオノーレ」を差しはさむのは悪くない考えだと思う。

ビデオによる上演には字幕も付けられ、アングルも歌手を追っているので飽きることはない。ただ音質は、オーケストラについてはワンポイントマイクで録られたような貧弱さであり、それに歌手のボリュームが相当大きく乗っている。これはMet Live in HDシリーズなどでも同じだが、実際に聞こえる会場での音質とはかなりかけ離れている。そうでもしないとビデオとしてはやや物足りないものになるとの苦渋の判断だとは思われるが、世はAI時代である。このような音響工学にもその技術が取り入れられると、もう少し現実の舞台に近づけられるのではないかと思っている(いやそれ以上に効果的になってしまうのは良くないのだが)。

2024年10月16日水曜日

ベッリーニ:歌劇「夢遊病の女」(2024年10月6日新国立劇場、マウリツィオ・ベニーニ指揮)

新国立劇場24/25シーズンの幕は、オペラ「夢遊病の女」で切って落とされた。多くの美しく技巧的な歌唱力を持つ歌手を要とするベルカント・オペラ作品が、我が国で上演されるのは珍しい。ベッリーニの作品が新国立劇場に登場するのは、何とこれが初めてだそうである。このオペラが我が国で初めて上演されたのは明治時代にまで遡るそうだが(プログラムによる)、それ以降の演奏回数は多くはない。そのようなベルカント・オペラが、今シーズンには2作品も新しく制作される。もう一つはロッシーニの歌劇「ギヨーム・テル」で、これは画期的なことである。

オペラの鑑賞記を書くのはなかなか難しい。特にその新しい演出について、これを細かく書いてしまうと、これから出かける人に要らぬ予備知識を与えてしまう(いわゆる「ネタバレ」)。かといって、全公演が終了してからということになると、印象が薄れ文章に気持ちが乗らなくなってしまう。そこで、このような記録は下書きとして書き留め、後日アップロードするという手法を取ることになる。あらすじはすでに良く知られており、歌手の出来栄えは日によって違うから、これについてはあまり気にする必要はない。

ベッリーニ晩年(と言っても彼は34歳で夭逝した)の作品である「夢遊病の女」は、「ノルマ」や「清教徒」などと並んで、彼の代表的な作品である。もっと長生きしていたら作風はもっと成長し、新しい要素を取り入れてイタリア・オペラはまた違った発展を遂げたのではないかと言われている。ロッシーニとは少し異なり、歌そのものが麗しい旋律によって次から次へと登場するベッリーニの魅力は筆舌に尽くしがたいが、それはそのままヴェルディの初期作品へとつながる。「夢遊病の女」はスイスの素朴な村を舞台に甘美で流麗な音楽が横溢し、大活躍する合唱と合わせて聞き所満載である。

私は一連の公演の指揮がマウリツィオ・ベニーニと発表されたとき、買う気がなかったチケットを購入するか非常に迷うこととなった。メトロポリタン歌劇場などでベルカント・オペラのスペシャリストとして登場するこのイタリア人の巨匠によって繰り広げられるであろう演奏を、一度体験したみたいと思ったからだ。彼は今年6月の「トスカ」でもタクトを取り、その演奏は大変好評だったようだ。YouYubeには事前に開かれたプレトークの動画が掲載されており、その中で彼は、このたびの上演に対する思いを熱く語っている。東京フィルの優秀さに加え、3人の主役が申し分ないレベルだということがわかり、私は妻の分と合わせて座席を確保したのは、公演のわずか3日前だった。すでにプレミア公演が好評のうちに終了していたにもかかわらず、日曜日だというのに当日席も十分に残っていた。

主役であるアミーナを歌うのは、まだ20代の若いイタリア人、クラウディオ・ムスキオだった。彼女はシュトゥットガルト歌劇場の歌手で、今年7月の公演でアミーナを歌い、スタンディング・オベイションの成功だったという触込みだった。もっとも当初発表されていたのはローザ・フェオラだった。彼女は「芸術上の理由」から降板することが発表されていた。噂では、ベストなコンディションが保てないということだったようである。だが、私はむしろ実力のある若い歌手の方が、楽しみな要素も多い。定評ある歌手が常にベストだとは限らないのである。

一方、アミーナの結婚相手であるエルヴィーノを歌うのは、世界的に知られたイタリア人のテノール、アントニーノ・シラクーザである。もう還暦を迎える彼は、この役を200回以上も歌ってきた大歌手で、ベルカント・オペラに相応しい、朗々と歌い上げるリリカルな歌唱に定評がある。年齢を重ねるにつれてかつての輝きが減っているという噂もあるが、それでもこの年になって高い声を響かせるのには驚くばかりだ。

意外に見逃せないのが、ロドルフォ伯爵の重要性かも知れない。二人の主役に次ぐ彼の歌には、高貴でかつ威厳のある歌声が求められる。この役を日本人の妻屋秀和(バス)が担う。さらにはリーザに伊藤晴(ソプラノ)、養母テレーザに谷口睦美(メゾ・ソプラノ)という布陣である。申し分のない新国立劇場合唱団の指揮は三澤洋史で、ホームページに掲載されたビデオには練習の様子が記録されている。イタリア語の歌唱にこだわった歌唱は、ベニーニのお墨付きも得て、世界最高ランクの合唱が期待できる。

時間通りに幕が開いて、音楽が聞こえてくるかと思いきや、舞台に現れたのはアミーナと彼女を取り巻く10人程の男たちである。彼らはアミーナを中心に踊り、その間音楽は聞こえない。ひとしきりこの踊りのシーンが続く。以降、アミーナには常にこのバレエダンサーが取り囲むようにして踊った。これは彼女が抱えるもう一つの側面、すなわち彼女の深層心理を表しているのかも知れない。アミーナは孤児として育てられ、そのことが大きなストレスとなって夢遊病を患っているのである。

この舞台で最初に歌うのは合唱(村人)、そしてアミーナの恋敵リーザである。結婚式のシーンで、リーザは最初のカヴァティーナを歌う。ここは最初の聞き所である。そしてやがて祝福の渦の中に二人の主役が現れる。合唱団を含めて明るく祝祭的な歌が続く。一気にベルカント・オペラの世界に引き込まれてゆく。それにしても指揮のベニーニは素晴らしい。彼は歌手の一挙手一投足にまで配慮して、その歌に寄り添い、どんなフレーズにも巧く対応して音符を延ばしたりテンポを動かしたりするのだが、それがあらかじめ良く練習されたものとして完璧に示されるのだった。

オペラ上演で、このような歌手と指揮者の即興的な駆け引きは、しばしば見受けられる。しかし最近ではむしろ、指揮者が主導権を持ってグイグイと舞台を進める傾向が強い。しかしそれではベルカント・オペラの良さが伝われないと彼は考えているようだ。なぜならベルカント・オペラの主役は飽くまで歌であり、それを下支えするのがオーケストラであることをわきまえているからだ。

私はロドルフォ伯爵が身を隠して村に到着し歌うカヴァティーナ「この心地良い場所」で、涙を禁じ得なかった。妻屋の歌唱が良かっただけではない。ここまで聞いてきたそれぞれの歌手の水準が平均以上に高いことがわかり、ますます舞台に引き込まれていったからだ。それにしてもその歌詞は美しい。舞台には最低限のセットが置かれ、もう少し照明を生かすなど新国立劇場の装置を生かせばとも思ったが、演出は最近流行の奇抜さが先行する読み替えはなくオーソドックスな部類に入るだろう。むしろ心理的な側面に寄り添う必要から、余計なものを排除した傾向がうかがえる。そのことは舞台に集中力を与え、好感が持てる。

30分の休憩を経て始まった第2幕は、合唱団のシーンから始まる。3階席のサイドからはオーケストラも良く鳴るので、ともすれば歌声がかき消されがちである。しかし今回の公演はその心配がまったくなかった。脇役を含め大変完成度が高く、オーケストラにも一点の曇りももなく、合唱団とバレエは完璧だった。そこに3人の主役級歌手が、長いフレーズと技巧的な装飾を含めて次から次へと綺麗な歌を披露する。

最後のシーン、「不思議だわ」以降は本作品最大の見せ所である。ここでアミーナはひとり長大なアリアを歌う。その前半は夢の中で、後半は夢から醒めた状態で、ということになっている。ここの転換がひとつの見どころだとおもっていたが、今回のアミーナの歌唱は、驚くべきことに村の建物の屋上で歌うというもので、彼女がこの幕の最初からそこにいたとは誰もわからない。照明が当たって、舞台上十数メートルはあろうかという高さにスポットライトが当たり、白い衣装を着た夢遊病の彼女が立っていたのである!

3階席の高さもあろうかと思われる。隣のご婦人などははらはらしながら、その様子を見ている。だが彼女はそこにいるだけではなく、大一番の歌を歌うのである。村人を含むすべての登場人物は、屋根上の彼女を見上げている。客席全体が緊張する中、ムスキオは最後の歌を歌い切り、舞台が真っ暗になって終わったとき、満場の客席からは圧倒的なブラボーの嵐が沸き起こったことは当然のことだった。興奮冷めやらぬ雰囲気の中で、カーテンコールが何度も繰り広げられた。ベニーニも登場し、オーケストラも総立ちとなって拍手を送る。手をつないで何度も何度も舞台の奥と前を行ったり来たり。オペラを聞き終えた満足感に浸った3時間が、このようにして終わった。

新国立劇場のエントランスには巨大な生け花が飾られていた。名残り惜しそうに、その前で写真を撮るなどして余韻に浸りながら会場を後にした。私と妻はいつものように、初台の商店街を抜けて代々木八幡の方面へ。事前に予約してあった富ヶ谷にあるレストランで、しばしその公演の素晴らしさを語りながら、年に何回かはこのような舞台を見てみたいねと語り合った。

今シーズンのもうひとつの新制作の出し物であるロッシーニの「ギヨーム・テル」は、「夢遊病の女」と同様にスイスを舞台にした作品である。ロッシーニはベッリーニの少し前の作曲家だが、この「ギヨーム・テル」はロッシーニ最晩年の作品であり、一方ベッリーニは若くして亡くなってしまったから、音楽史的には「ギヨーム・テル」(1829)と「夢遊病の女」(1831)はほぼ同時期の作品である。この長大なオペラ・セリアを本当に見るべきか、私はカレンダーや財布と相談しなければならない。そして今シーズンにはないが、あのドニゼッティの「愛の妙薬」もまた、牧歌的な雰囲気に溢れるベルカント・オペラの代表作である。そういえばまだ見ていない作品は多い。もう少し長生きしてお金持ちになり、毎日芝居を見て暮らす老後こそが理想的であることに疑う余地はない。そういう日々を味わうことは、おそらくできないだろうが、少しでもそこに近いことはしてみたいと常々思っているところである。

秋の京都へ向かう新幹線の中で、この文章を書いている。持ってきたスマートフォンからは、ナタリー・デセイがアミーナ役を歌う決定的な録音を聞き続けてきた。まもなく第2幕が終わる。列車は三河安城を時刻通りに通過した。

2024年9月30日月曜日

第2018回NHK交響楽団定期公演(2024年9月28日NHKホール、尾高忠明指揮)

この曲が演目に上れば演奏が誰であれ聞きに行こう、と思う曲がいくつかある。私にとってチャイコフスキーのバレエ音楽「白鳥の湖」はそのような曲のひとつである。このたび新シーズンの幕開きとなるNHK交響楽団のC定期公演に、この曲が掲載されていたのを発見したのは、つい先日のことだった。しかもプログラム前半には、同じチャイコフスキーの「ロココ風の主題による変奏曲」が演奏される。ここでソリストを務める首席チェロ奏者の辻本玲の、私はファンである。そういうことからこのコンサートに行くことに決めた。

今年の夏は例年にない猛暑で、しかもそれが9月に入っても続くという異例のものだった。クラシック音楽というのを、私は暑い日に聞こうとはあまり思わない。特にこれはヨーロッパの文化であって、その気候風土は地中海性のそれである。空気は乾燥し、冬は寒い。寒い日にゆっくりと耳を傾けることで、例えばブラームスの響きが堪能できる。少なくとも私はそう感じている。

だから今年の9月は、なかなか音楽会に行く気にはなれず、しかも体調を壊したこともあって咳がひどく、これでは公演の時間を静かに座っていることも困難な状況だった。唯一、前もって買っていた東京フィルの定期(ヴェルディの歌劇「マクベス」)も、東京に住む甥に譲る羽目になった。このまま猛暑が続けば体調は回復せず、音楽を聞く気もしないままではないか。そうするともう9月末だというのに、N響定期も危ないな、などと考え始めていた。

しかし何とか猛暑も落ち着いて体調も少しは良くなり、2日目の公演に間に合うこととなった。もっともこの日のチケットは相当数が売れ残っていたから、私は迷わず1階席を買い求めた。指揮は正指揮者の尾高忠明である。1階席とは言っても端っこの方だから、オーケストラを後から見る感じ。ただ前から3列目というのはとても迫力がある。頭上にはパイプオルガンがそびえている。

NHKホールの舞台は、いつからか前面に拡張されて広くなっているにもかかわらず、オーケストラは奥に配置されて舞台の前が大きく開いている。どうしてこういうことになっているのかよくわからない。しかも「ロココ」のような小規模な作品では、さらにオーケストラがこじんまりとしており、大きすぎるホールにやはりそぐわない。辻本玲はチェロを携えて指揮者とともに登場、ゆっくりと、そしてたっぷりとした演奏が始まる。

8つの変奏から成るこの曲は、チェロと管弦楽のために書かれた数少ない作品のひとつだが、演奏時間は20分足らずと短く、有名である割には実際に演奏される機会は多くない。主題が次々と変奏されてゆくのを真横から見るのは悪くないが、辻本のチェロは、その体格のように恰幅のいい演奏で、健康的で若々しく鳴りっぷりがいい。だからかもしれないが、とても充実した印象を残す。彼はいつもチェロ・セクションの最前列で大きく体を揺らしているが、これはテレビで見ても印象的で、その演奏を間近で楽しむことができた。アンコールはカタロニア民謡「鳥の歌」。この曲もチェロの代表的小作品だが、それをオーケストラの弦楽メンバとともに演奏した。定期公演とはいえ、ソリストが身内ということもあるのか、あるいは指揮者が長年に亘って関係を築いてきた日本人からか、どことなくリラックスした雰囲気を感じる。しみじみといい時間が流れた。久しぶりに聞く実演、そして音楽好きだけが会場にいるという安心した雰囲気に嬉しくなった。

N響は何年か前、ソヒエフの指揮により「白鳥の湖」を演奏している。私はこの時も勇んで出かけ、大いに感動したのだが、今回はその時とは異なり、演奏される曲はオリジナルの順である。ソヒエフは独自に曲順を変えて、それはそれで面白かったが、今回はむしろストーリー性を重視したということか。ただ主要な音楽、特に後半に続くダンスの数々は、この曲の最大の聞き所で、管弦楽曲を聞く魅力を伝えて止まない。尾高が指揮棒を持たずに演奏を始めると、舞台の並んだオーケストラからとてつもないボリュームの音楽が流れ出した。

尾高の指揮で聞くシベリウスやエルガーを、私はこれまでに何度か聞いているが、その醒めた、ややシニカルな演奏とは対照的である。最近大フィルで聞いたブルックナーなどもそうだったが、最近の尾高の音楽は、どこか吹っ切れたようにとても迫力に満ちている。そして今日のチャイコフスキーも、まさにそうだった。広いNHKホールの奥にまで音楽を届けようとすると、あのような音量になるのかも知れないが、その結果、ややバランスを欠いていたような気がする。少なくとも前から3列目の私には、ちょっと音圧が大きすぎた。ソヒエフなら、このあたりのバランスは天才的で絶妙である。

しかしそのようなことは、いわゆる「贅沢な苦言」であって、演奏そのものの素晴らしさは、ソリストとして時に会場の視線をくぎ付けにするコンサートマスターの郷古廉を始め、トランペット(彼はソロ部分で起立して演奏したので、私の位置からも良く見えた)、そして大活躍のハープと、絶好調のN響の音を堪能することができたのは言うまでもない。それにしても「白鳥の湖」は、チャイコフスキーが作曲した作品の中でもメロディーの素敵な曲のオンパレードである。チャイコフスキーには時に大変平凡な作品も多いのだが、チャイコフスキーにしか表現できないようなものが沢山ある。そして「白鳥の湖」の音楽は、充実した大音量のワルツや踊りの音楽が目白押しで、飽きることはない。次から次へと繰り出される音楽に興奮し、酔っていく。技量の高いプロのオーケストラが、バレエ音楽を真面目に演奏するという贅沢さ!管弦楽を聞く醍醐味を感じる。

ため息が出るような、あるいはあまりのメロディーの美しさに涙さえ禁じ得ない瞬間を何度も経て、1時間余りにわたる演奏が終わった時、3割程度しか埋まっていない客席からは、大きなブラボーが飛び、さらにそれがオーケストラの退場後も続くこととなった。ソロ・カーテンコールに登場した指揮者とコンサートマスターは、舞台のそでで遠慮がちに挨拶をした。前日のコンサート(第1日目)にはテレビ収録があったはずである。おそらくもう少しバランスのいい音量で、この演奏が聴けるのではないかと今から待ち遠しい。

2024年9月8日日曜日

過去のコンサートの記録から:オッコ・カム指揮ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団(1982年2月8日、大阪フェスティバルホール)

コンサート・プログラム
記憶が正しければ、1981年末に朝比奈隆指揮大阪フィルの「第九」を聞いたその翌年、すなわち1982年は高校入試の年だった。大阪府の高校入試は私立・公立とも3月に行われていたから、2月とも言えばもう直前の追い込みの時期である。ところがどういうわけか私は、この頃に生まれて初めてとなる来日オーケストラの公演に出かけている。それも同じクラスの友人を誘って。

北欧からヘルシンキ・フィルが来日し、我が国でシベリウスの作品を取り上げる全国ツアーが開催されたのだった。これは第10回TDKオリジナル・コンサートという、実に1971年から続く来日オーケストラ公演シリーズの10周年で、当時は民放FM局に同名の番組があって、NHKとは一線を画したクラシック番組としてなかなか楽しい番組だった。この番組は、来日した演奏家や当時の日本人演奏家によるコンサートの収録が主な内容で、調べたところによると1987年に終了しているようだが、コンサートはその後も「TDKオーケストラコンサート」として続けられている。

来日公演のライブ録音盤
1882年にロベルト・カヤススにより設立された北欧で最も古いオーケストラは、この年創立100周年、そして数々の初演を行ったシベリウスの没後25周年という節目だったようだ。この時の来日では当時の首席指揮者オッコ・カムと、我が国のシベリウスの第一人者渡辺暁雄が担当した。プログラムによれば公演は東京厚生年金会館、大阪フェスティバルホール、それに福岡サンパレスの3か所で、3日間で交響曲全曲演奏となる(これはTDKの主催公演の話で、これ以外にも全国各地で公演を行っているようだ)。これらはすべてPCM収録され、番組で放送された。私がでかけた公演は、このうちの大阪のもの(2月4日)で、交響詩「フィンランディア」、交響曲第5番、それに交響曲第2番という、もっとも有名な曲の組み合わせだった。とはいえクラシック音楽を聞き始めた中学生にとってシベリウスの音楽は未知なもので、特に第5番などは一度も聞いたことがなかった。それよりも初めて聞く外国のオーケストラがどのような音を出すのか、興味津々だった記憶がある。

カム指揮BPOのCD
オッコ・カムは当時まだ30代の気鋭の指揮者で、しばしば日本も訪れていたようだが、何と言っても第1回カラヤン・コンクールの覇者として知られていた。このシベリウス・チクルスはいまでも語り草となり、この時の録音はCDにして発売されている。しかしまだコンサート2回目の私には、実演でオーケストラを聞くこと自体に興奮し、演奏自体はほとんど記憶が残っていない。私は受験を控えていたというのに、このコンサートで演奏される曲を何度か聞き通した。我が家にあったカラヤン指揮フィルハーモニア管による疑似ステレオ盤が、交響曲第2番を収録していた。この演奏は再生装置が貧弱だったせいか、ひらべったくてまったくつまらない印象でしかなかった。カムがベルリン・フィルを指揮したレコードも発売されていた。私はそれを聞くことはできなかったが、おそらく彼がベルリン・フィルにの残した録音はこれ1曲だけである。それは今では簡単に聞くことができる。若々しい演奏である。

TDK音楽テープの広告
当時のプログラムが今でも手元にある。曲目や指揮者の解説だけでなく、北欧の音楽、しかもフィンランドのそれについて小さい字で詳しく書かれ読みごたえがある。ピアニストの館野泉が文章を寄せ、10年間のこの番組の全放送記録も掲載されている(小澤征爾が日フィルを指揮していたり、若い内田光子がソリストとして登場していたりと興味は尽きない)。そして広告にはTDKの音楽用カセットテープのラインナップが出ているのは大変懐かしく、そういった広告も含めて過去のプログラムというのは味わい深いものだと思う(買う時は高く閉口するのだが)。

実際のコンサートでは、初めて聞く外国のオーケストラに興奮したが、その技術的な水準はそれほど高いとは思わなかった。ただご当地の音楽というだけあって、その表現は堂々としたものがあり、私を一定の感動に導いたのは確かであった。私は、このコンサートが放送された際に、もちろんエアチェックしてカセットテープに保存した。そして初めて聞いたシベリウスの音楽に親しみを持つことになったのだから、このコンサートの企画は成功したと言える。極東の若き学生に、初めて実演で母国シベリウスの音楽を届け、彼をその音楽好きにさせたのだから。

私にとっての第2回目のコンサートは、このようなものだった。ただ私はそれから40年以上が経過した今でも、フィンランドという国を知らない。シベリウス以外の音楽もほとんど知らない。カムという指揮者は、今でも存命で時に演奏会に登場しているようだが、私はあれ以来、一度も彼の指揮する音楽に接してはいない。フィンランドという国は、私にとっていまだに遠い存在である続けているということかも知れない。

2024年8月27日火曜日

過去のコンサートの記録から(プロローグ)

私はこれまで、計392回のクラシック音楽演奏会に出かけている。これは、仕事や家庭を持つ一人の音楽ファンとしては多い方だと思うが、経済的、時間的なゆとりのある方や、音楽関係者と比べるとけた違いに少ないだろう。人生最初のコンサートが1981年のことだったから、42年間に年平均9.3回という計算になる。このブログを書き始めたのが2012年のことで、それ以降の演奏会については詳細な感想を記してきた。またオペラについては、それ以前に見た公演を思い出しながら記述をした。残る1981年から2012年の間の約30年間のコンサートについては、良く覚えているものもあれば、記憶にないものもある。しかし私は、それこそ最初から誰の演奏で何という曲を聞いたか、最小限の記録をしてきたので、ある程度振り返ることができる。いつかやろうと思っていたことを、ここで一気に記しておきたい。

だがその前に、自分のお金で出かけた最初のコンサート(1981年12月)までの音楽体験について、思い出しながら少し書いておこうと思う。

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特に音楽家の家系でもない私の家に、祖父母が所有いていたVictor製の古いステレオ装置があった。独立した2台のスピーカーとターンテーブル、アンプ、チューナーが一体型になった、割に大きなものだった。ここで聞けるのは、SP、EP、それにLPのアナログ・レコードだった。SPレコードには江利チエミの歌謡歌や軍歌、さらには柳屋小さんの落語などがあったように記憶している。78回転という高速で回るレコードは重く、しかもわずか数分で片面が終わり、盤面を裏返す必要があった。

音声は当然ノイズを伴ったモノラルで、当時の水準からしても古色蒼然としており、これをじっくり聞く気はしなかった。むしろ私はドーナツ盤のレコードを買ってもらって、「帰って来たウルトラマン」や「NHKみんなのうた」のような音楽を聞いていた。まだ幼稚園の頃だったと思う。小学生になって私の通う地元の小学校には各教室に、簡易なポータブル式のレコードプレーヤーがあった。休み時間になると奪い合うようにしてこれに群がり、当時流行していた「黒猫のタンゴ」などを聞いたのを覚えている。

これらはいずれもクラシック音楽ではない。最初のクラシックの経験は、その小学校1年生の時、猛暑の体育館で聞いた地元のオーケストラの演奏だった。初めて聞く生の音楽に、私はとても興奮した。この時聞いたモーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」が、記憶に残る最初の西洋音楽体験だった。

クラシックのLPレコードは、我が家にも数枚あった。けれども、それらを再生する装置がなかった。ある時それらのレコードを、満足いくステレオ装置で聞いてみたい、と父は考えた。確か私が9歳の頃、最新のVictor製コンポが我が家に届いたのだ。出入りしていた日立のショップにたのんで組んでもらったようだった。だが私は、それに勝手に触れることを禁じられた。盤が汚れたり、針が痛むことを恐れたのだろう。仕方がないので親に頼んで「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」のレコードをかけてもらった。するとそれまで聞いたことのない生々しい音楽が流れ出てくるではないか!これが最初の録音メディアによる音楽体験で、演奏はゲオルク・ショルティ指揮ウィーン・フィルのドーナツ盤だったということがわかっている。

剛直にしてしなやかな音楽は、私を一気にクラシック好きにした。そこでもう少し長い曲を聞いてみたいと思った。クラシック音楽は一般に長く、1時間にも及ぶ曲を物音立てず静かに聞くものだ、という観念があって、それでも飽きない音楽とはいったいどういうものだろう、と思った。私は一枚のLPをリクエストした。それはベートーヴェンの「英雄交響曲」で、ジャケットには田舎を散歩するベートーヴェンの険しい表情が描かれていたように思う。演奏はブルーノ・ワルター指揮コロンビア管弦楽団。そしてこれを最後まで聞き通したのだった。小学校3年生の時だった。この演奏(というか曲)は私を一気にクラシック好きにした。今でもCDで買いなおすなどして手元に持っている。ただ録音のせいか、再生装置のせいか、平べったい印象の演奏で、何か感動したというよりは50分にも及ぶ曲(しかも「エロイカ」)を最後まで聞いたという優越感に浸っていたように思う。

私が音楽を聞いて喜ぶのを見て、母は私を初めての演奏会に連れて行ってくれた。それは彼女もかつて歌ったことのあるアマチュア・コーラスが合唱を務めるベートーヴェンの「第九」で、外山雄三が指揮する大阪フィル。この時初めてコンサート・ホールというところに行って、長時間静かに座っているという経験をしたことになる。何やらわからないまま終わったが、最後に大きな拍手に包まれた演奏だったことを覚えている。年末と言えば「第九」、「第九」といえば年末で、大阪でも数多くの「第九」演奏会が催されていた。中之島にあるフェスティバルホールからの帰り、北新地から曽根崎まで歩き、美味しい中華料理を食べた。たしか小学校5年生くらいだった。

この頃になると自由にステレオ装置を触ることができたから、私は家にあった数十枚のレコードから、モーツァルトやベートーヴェンの交響曲を中心に、様々な曲を聞いていった。モーツァルトはジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団による質実剛健そのものの演奏、ベートーヴェンは第3番(ラファエル・クーベリック指揮ベルリン・フィル)、第4番(オットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管)、第5番(アルトゥーロ・トスカニーニ指揮NBC響)、それに第9番(ウィルヘルム・フルトヴェングラー指揮バイロイト祝祭管)、ベルリオーズの「幻想交響曲」(シャルル・ミュンシュ指揮ボストン響)といったものである。

中学生の私はラジオを聞くことを趣味にしていたから、クラシック音楽の多くはFM放送で楽しむことが多かった。今とは違い、それこそ一日中クラシック音楽の番組を放送しており、民放にもクラシック音楽の番組があった。カール・ベームの「ジュピター交響曲」を土曜の朝の民放FMで聞いて興奮してしまい、学校に行っても音楽が耳から離れることはなかった。

中学2年生になったとき、1年間の米国滞在を終えて帰国した父親のスーツケースの中から、当時発売されたばかりのレナード・バーンスタイン指揮ウィーン・フィルによるベートーヴェン全集の10枚組LPがどかんと入っていた。すべてライブ録音されたこの全集こそ、私を決定的にクラシック好きにした。当時、友人が毎日のように我が家へ遊びに来ていたから、彼らにも片っ端から聞かせてはカセットにダビングして手渡した。演奏による音楽表現の違いを味わうようになったのも、このころからである。そして当時の友人を誘い、小遣いをはたいてとうとう実際の演奏会に足を運ぶことにした。と言ってもそれほど選択肢があるわけでもなく、郊外に住む私の家から会場まで一時間以上かかるから、演奏会が終わるとまっすぐに帰って来る必要があった。

私はどういう演奏会がいいか考え、そして無難な選択をした。当時我が家に来ていた新聞広告を見て、年末恒例の「第九」の演奏会の学生券を購入することにしたのである。演奏は朝比奈隆指揮大阪フィル。地元のショッピングセンター地下に新しくできたプレイガイドで、そのチケットの一番安い席を買い求めた。たしか3000円だった。当時の大阪フェスティバルホールの2階席最後列は、ティンパニーの音が視覚よりずれて聞こえるような遠い席であるのもかかわらず大勢の人がおしかけ、私の隣に陣取っていた数人の学生と思しき太った男が、コーダが終わると一斉に「ブラボー」と叫んだ。これは少し不自然な感じがした。演奏会はワーグナーの楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」から第1幕への前奏曲に始まり、アンコールには残った合唱のみで「蛍の光」が歌われた。高校入試を間近に控え、暮も押し迫った12月30日のことだった(注)。

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(注)この演奏会、1981年だと思っている。しかし、Webで検索しても当時の演奏会に関する情報は今のところ得られていない。私にできる唯一の方法は、大阪フィルへメールを出して、当時の第九の演奏会情報を検索してもらうことである。だが、もはやそれはどうでもいい気がしている。私は1980年代の前半の中学生時代に、朝比奈の指揮する年末の第九の演奏家に行ったことは確かであり、それは私が初めて自前でチェット購入した演奏会だった。

2024年7月18日木曜日

「映像の世紀」コンサート(2024年7月15日大阪フェスティバルホール)

NHKの人気ドキュメンタリー番組「映像の世紀」が放映されたのは、いまからもう30年程前の1995年ことだそうだ。私はこの年アメリカに住んでいたから見ることはなかった。しかし、この番組は好評を得て何度か再放送されているだけでなく、続編も制作され、現在は「バタフライエフェクト」と名付けられた新シリーズが毎週月曜日の夜、放送されている。私は「酒場放浪記」を見た後、この番組を見るのが月曜日の日課となっている。

「映像の世紀」の音楽を担当したのが、私と同郷の作曲家、加古隆である。この番組のテーマ音楽「パリは燃えているか」で大変有名になり、その他に映画やテレビ・ドラマの音楽も数多く手掛けている。東京芸術大学を卒業し、パリ国立高等音楽院で学んだという経歴は、作曲家として申し分のないことだが、その彼が私と同じ高校の出身であることを知ったのは、実は最近のことだった。先輩にそんな卒業生がいるというなら一度は聞いてみたいと思っていたところ、何とその名のコンサートのチラシが、いつも音楽会の前に配られる大量のそれらに混じっていたのである。東京公演の指揮は秋山和慶で、舞台には大型スクリーン配置され、映像も上演される。

私はこのコンサートのチケットを買おうと「ぴあ」にアクセスしたものの、何と売り切れだった。クラシック音楽のコンサートで発売と同時に売り切れになることは稀で、そんなに人気があるのかと思っていたら、同じコンサートが大阪でも開催されることが判明、しかもそちらのチケットに当選してしまった(購入する権利を得た、というだけのことである)。大阪公演の指揮は沼尻竜典、管弦楽は大阪フィルハーモニー交響楽団である。どちらの公演も指揮者、オーケストラとも贅沢な布陣である。もちろん作曲の加古は、ピアニストとして演奏する。さらには元NHKアナウンサーの山根基世がナレーションを務める、とある。テレビのドキュメンタリーと同じである。

大阪に帰省するなら家族や友人も誘おうと声をかけ、改装されたフェスティバルホールに出向いたのは公演2時間前の13時頃だった。久々に会う友人と遅い昼食をすませ、懐かしいホールへと向かう。私が初めて聞いたコンサートが、このフェスティバルホールだった。まだザ・シンフォニーホールが完成する前の大阪で、数々の語り草となる大阪国際フェスティバルを開催する場所として、このホールがあった。もっともクラシック専用ではない多目的ホールではある。だが響きは悪くない、というのが印象だ。ここでバーンスタイン指揮イスラエル・フィルとか、マゼール指揮フィルハーモニア管といった来日オーケストラを聞いている。

「映像の世紀」で流れた数多くの作品が映像とともに演奏された。この番組のダイジェストとも言えるような編成は、世界最初の映像であるフランスのリュミエール兄弟らによる映像でスタート。帝国の崩壊、二つの大戦へと続く歴史が白黒フィルムで蘇る。音楽は映像に合わせて変化し、時々様々なバージョンによる「パリは燃えているか」が挿入される。いつものように帽子をかぶる加古は、なかなかのピアノを聞かせるが、単なるムード音楽ではなく、かといって純粋なクラシック音楽でもない。ジャズの影響もあり独特の雰囲気を醸し出している。

この映像を見ていると20世紀というのは、熱狂と殺戮の歴史であったことがよくわかる。テレビ番組同様、ナレーションの内容がやや安っぽいが、それよりも当番組の主役は何と言っても映像そのものである。テレビ番組同様、映像から音声が流れることはない。淡々と進む音楽と映像に見とれていたら、「第3部ヒトラーの野望」が終わったところで早くもインターミッションとなった。オーケストラの音量はPAによるもの、すなわち拡声器によって増幅されているが、これが好き嫌いの分かれるところだろう。演奏中、舞台は譜面台の上を除いて消灯、指揮者とピアニスト、それに舞台右袖にいるナレーターのみにスポットライトが当たっている。スクリーンを見やすくするためだが、雰囲気は出ていて通常のコンサートとは一味違う。

第2次世界大戦の終わるところにさしかかったところで、オーケストラは不協和音を奏で、なにやら不安な音楽が続いた。この時映像は流れず、いわば間奏曲のような部分で聴衆の想像を掻き立てる演出(オペラでもよくある)なのかと思っていたが、あとでマイクを持った加古が、ここで映像にトラブルがあったと話し、そのシーンのみを急遽やり直すというハプニングがあった。映像なしと映像付きと、2回この音楽を聞いたのだが、映像に付けられた音楽はより説得力を増していることが分かった。このシーン、広島の原爆が炸裂する最も重要なシーンだったのだ。

映像が次第にカラーとなり、冷戦やベトナム戦争の悲惨なものがさらに生々しくなってゆく。大戦が終わっても平和は訪れず、人類はただ同じことを繰り返している。戦争の映像に死体もそのまま映し出されるのは、テレビ番組と同じポリシーであり、そのことをとやかく言わない。音楽はやや情緒的であるが、これは陰惨なテレビ映像を中和するのに役立っていると好意的に解釈している。そして21世紀になってもなお、人類は戦争をやめていない。ウクライナやガザでの惨劇は現在進行形のものだ。映像は綺麗なHD仕様になっているが、映し出される人間の怯えた顔、泣きわめく女性や子供の顔は、100年前に撮影されたモノクロ時代のものと何ら変わっていない。

音楽を楽しむコンサートというよりは、映像で見る20世紀の戦争と動乱の歴史に焦点を当てざるを得ない。いやそのことがむしろこの演奏会の趣旨でもあるのだろう。余計なものを挟まず、淡々と100年余りの映像がダイジェストで流れた。アンコールに演奏されたのは最新のシリーズ「バタフライエフェクト」からのもの。蝶の羽根のような微弱な羽ばたきでも、それが重なり、大きくなれば世界を動かす力になる。そういうメッセージが込められていた。

2024年7月16日火曜日

日本フィルハーモニー交響楽団第762回定期演奏会(2024年7月12日サントリーホール、広上淳一指揮)

日フィルの定期会員になって最後のコンサートに出かけた。7月12日のプログラムは、前半にリゲティのヴァイオリン協奏曲、後半にシューベルトの「グレート・シンフォニー」、ヴァイオリン独奏に米元響子、指揮が広上淳一である。

リゲティのヴァイオリン協奏曲は見るからに難曲だが、この曲を実演で聞くのは昨年の3月に続いて2回目である。この時の独奏はモルドバの奇才パトリツィア・コパチンスカヤで、その演奏は聞くものをどこか違う世界に導くような演奏(というか演技)だった(https://diaryofjerry.blogspot.com/2023/03/)。昨年はそのリゲティの生誕100周年だったこともあってこの曲がしばしば上演されることとなったようだ。今回の米元響子による演奏もまた、以前から計画されていたとのことである。しかしコロナ感染症の影響で中止されてしまった、と開演前のプレトークで広上は語った。

米元響子は数々のコンクールに入賞した桐朋学園出身のヴァイオリニストで、現在はヨーロッパで生活しているようだ。その彼女が今回の演奏を希望したのは、すでにこの曲を熱心に練習し、初演したヴァイオリニスト、サシュコ・ガヴリロフにまで教えを乞うため、わざわざ出向いて行ったということのようである。そういう事情を知った広上は、この曲の演奏がすこぶる難しい曲であるにもかかわらず、再度プログラムに載せることにしたと話した。そしてあの自由奔放な第5楽章のカデンツァは、この初演時のガヴリロフのものを弾くとの触れ込みだった。

舞台に多数の打楽器と、まるで室内楽のような必要最低限の弦楽器の椅子が配置されていた。そこへ係員がとても分厚く、しかも譜面台を大きくはみ出すほど大きな楽譜を持って現れ指揮台に置いた。やがて木管楽器奏者が出てくると、彼女はわざわざ3つの楽器(2種類のクラリネットとリコーダー)を見えるように最前列を回って着席。特徴的な楽器として、このほかに3つのオカリナやホイッスルまで登場する。

米元のヴァイオリンが、まるでチューニングのように始まった時に、その音色の豊かさに驚いた。さらには広上の指揮が、この曲を知り尽くしているかのように自然にこなれているのを見て、昨年聞いた時の印象と随分違うことに気が付いた。まるで別の曲を聞いているようだった。いやむしろ昨年のコパチンスカヤは、その派手な衣装や振舞いに目を奪われて、音楽そのものへの集中力を欠いていたのかも知れない。音楽の表現は、このように多彩であり正解がない。

ミニマル音楽のような第1楽章、暗い第2楽章、奇妙な感覚にとらわれる第3楽章と進む間、私はしばしば襲われる睡魔に出会うことはなかった。それどころか、この1990年に作曲された現代作品が、すでに聞き古された音楽のように思えてきたのだった。ユダヤ人として家族の多くを収容所で失ったリゲティの音楽は、決して楽しいものではない。かといって陰鬱、あるいは厭世的といった常套的形容詞で語られるような単純なものではなく、どこか無機的に響きながらも時に鮮烈である(第4楽章のエンディング)。このような不思議な感覚は、変則的な調弦や分散和音といった音楽技法を駆使した結果で、独特の浮遊感や無常観を表現することに成功している。

30分ほどの曲の最大の見せ所は第5楽章のカデンツァだが、ここでの米元は実に鮮やかだった。いや彼女の独奏は全体に亘ってとても落ち着いたもので、広上のサポートに支えられて見事な完成度だったと思う。まるで弾きこなした曲のように軽々と演奏し、聞きならされたように聞こえ、古典作品のようでさえあった。会場は5割ほどしか埋まっていなかったように思われたが、盛大な拍手に応えて彼女は、クライスラーの「レチタティーヴォとスケルツォ」を演奏した。聞いた席が良かったからかも知れないが、音楽がとても豊穣に聞こえた。米元のヴァイオリンは、とても聞きごたえがあると思った。

休憩時間を挟んで演奏されたのは、シューベルトの大ハ長調、いわゆる「グレイト」と呼ばれる交響曲である。この作品は「天国的に長い」と言われる。どういう意味だろうか。私はまだ天国というところに行ったことがないのでわからないが、まるで天国にいるように幸せな時間が長々と続くという意味だと考えている。今一つの解釈は、天国というところが退屈なところだとするものだが、私はこの曲を退屈だと思ったことがない。いや演奏によるというのが正しいが、いい演奏で聞くと「いつまでも聞いていたい」という錯覚に捕らわれる。どちらにも成り得る要素を秘めた曲だから「天国的」と言ったのだろう。さすがシューマンである。

さて私は、これまでサヴァリッシュ指揮N響の名演でこの曲に開眼し、ミンコフスキのリズミカルな演奏で「グレイト・シンフォニー」の大ファンになった。以来、機会があるたびに演奏会に足を運んでいるが、ベートーヴェンの「田園」のように、誰がどう演奏しても素晴らしい曲として、この「グレイト」を挙げることができる。そしてこのたびの広上淳一による演奏は、このかつての名演奏に勝るとも劣らない感動を私にもたらした。第1楽章の冒頭から丁寧で確信に満ち、決して細部をおろそかにしない真面目な指揮は、一見ひょうきんな姿に見えることも多いが、今日の演奏からはそう感じることは少なく、むしろどの一音をとってもこうでなければならないという音へのこだわりが、逐次追及され、実現されてゆくまさにその有様が目の前に展開されていくのだった。

第1楽章のコーダでテンポをぐっと落とし、大見得を切ったかのような作戦に出たことが良かった。オーボエとクラリネットを代表とする管楽器の安定感も絶賛したい。ホルンのふくよかさや弦楽器の豊かな響きは言うに及ばない。それが第2楽章の中間部で鳴り響き、突如訪れる休止。私がブルックナーのさきげけを感じるのはこの瞬間である。

もっとも嬉しかったのは第3楽章のトリオ。ここを丁寧に、できれば少し速度を落としてロマンチックに演奏して欲しいと私はかねがね思っている。クラウディオ・アバドの演奏が、意外にも丁度いい感じで気に入っている。いや本当はもっとゆったりと演奏してもと思うのだが、あまりにやりすぎると大時代的過ぎてしまうのだろう。そういうわけで、感情過多になる一歩手前であることが望ましいのだが、今回の演奏はまさにそのような感じで、この曲がいつまでも鳴っていて欲しい、とまさにそう思ったのである。

おそらく繰り返しを省略していたが、それでも1時間にも及ぶ演奏が終わった時、もうくたくただよ、言わんばかりに少しふらつきながら退場する指揮者に、惜しみない拍手と歓声が送られた。たっぷり2時間のコンサートが終わった。これで今シーズンの演奏会がすべて終わった。梅雨末期の大雨が降るアークヒルズを抜けて家路を急ぐ。公私にわたって忙しかった週末のひととき、ひさしぶりのコンサートが私の心を癒してくれた。

2024年6月27日木曜日

R・シュトラウス:交響詩「ツァラトゥストラかく語りき」作品30(ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団[72年])

クラシック音楽作品には文語体での表現が多い。ヴェルディの歌劇「椿姫」もタイトルからして古風だが(最近では「トラヴィアータ」と原語の名称で表しているのを見かける)、その中のヴィオレッタのアリア「ああ、そはかの人か」というのには私は驚いた。これはあまりにわかりにくいので「あら、あなたなのね?」という表現に変わりつつある。でも、古くから慣れ親しんだ言い方は、そう簡単に変えられるものではない。「タンホイザー」の「夕星のうた」やモーツァルトのモテット「踊れ、喜べ、汝幸いなる魂よ」なども有名だが、もともと聖書と同様、宗教的作品、たとえばバッハのカンタータなどはその宝庫と言える。

でもさすがに20世紀の作曲家シュトラウスともなると、もうこういった古風な表現は似合わないと思うのだが、何と交響詩「ツァラトゥストラかく語りき」は、いまだにこの表現のままである(ひと頃、「ツァラトゥストラはこう語った」という表現に改まった時期もあったが、最近では再び文語調に戻っている)。ニーチェの原作がそのままだからだろうか、それとも文語調で表現した方が格調高く、より厳粛な感じになるからだろうか。明治維新以来、西洋音楽を崇高なものとして輸入したわが国では、このような表現の方が愛好家の自尊心をくすぐるものとして、もてはやされる傾向にあるのが真意かも知れない(ついでながら通はこの曲を「ツァラ」と略して呼ぶ。同様に「ティル」というのもあるが、「ドン・キホーテ」を「ドンキ」とは言わない)。

というわけで交響詩「ツァラトゥストラかく語りき」は、難解なムードと大袈裟なオーケストレーションによってさらに神がかり的になり(もっともニーチェは「神は死んだ」と言ったのだが)、聞いてみると明るい感じがする曲である。実際にはこの作品は、シュトラウスの若い頃、20代の後半に作曲された。当時まだブラームスは健在だったことを考えると、その表現の豊かさ、大胆さには驚かされる。

「ツァラトゥストラかく語りき」はオルガンの低音が静かに鳴り響く中、ファンファーレが勇壮に飛び出し、ティンパニの強打がそれに続く。これを何度か繰り返したあと、爆発的に開始されるのが「導入部」である。この曲はSF映画「2001年宇宙の旅」で使われて大変有名になったため、クラシック音楽に縁のない人でも知らない人はほとんどいない。ところが驚くべきことに、その後の音楽になると有名どころか、まずほとんど知られていないのである。同じシュトラウスの管弦楽曲では、「ドンファン」や「英雄の生涯」のほうが有名であるくらいである。

だがコンサートでまさか「導入部」だけ演奏して終わり、というわけにもいかないので、通常は通して演奏される。30分強の長さの作品は切れ目がなく、「導入部」を含め9つの部分から成っている。オーケストラの編成は大規模で、オルガンのほかにハープや数多くの打楽器、管楽器が使われる。シュトラウスの管弦楽作品の醍醐味が味わえるので人気もあり、録音も多い。

ツァラトゥストラとは「ゾロアスター」のドイツ語読みである。ゾロアスターとは「ゾロアスター教」すなわち古代ペルシャにおける拝火教の始祖である。ゾロアスター教の教義がどういうものであるかは、それだけで大掛かりな読み物になるレベルだが、哲学者のニーチェはこの中に「神の死、超人、そして永劫回帰の思想」を発見し、この書物を書いた。この作品を読んだシュトラウスは、その内容にいたく感動しインスピレーションを得たようだ。おおよそ音楽で表現できないものはない、と豪語していたシュトラウスは、山にこもって知覚したその教えを説くツァラトゥストラの教義のいくつかを選び、それを音楽にした。以上が、もっとも簡潔なこの作品の解説である。

さて。音楽はこの人間主義の賛歌、神からの開放といった近代思想の核とも言うべきものが、音楽で表現されてゆく。様々な要素(調性や楽器、あるいは音型など)が何を意味し、それがどのように展開されてゆくかがこの音楽を解く鍵だが、それには音楽的知識が不可欠である。これは難解であるため、私のような素人はそのレベルに達していない。以下は私の解釈メモであり、間違いや欠陥が存在するかも知れないことをお断りしておく。

1.導入部(Einleitung)または、日の出(Sonnenaufgang)
2.世界の背後を説く者について(Von den Hinterweltlern)
3.大いなる憧憬について(Von der großen Sehnsucht)
4.喜びと苦しみという情熱について(Von den Freuden und Leidenschaften)
5.墓場の歌(Das Grablied)
6.学問について(Von der Wissenschaft)
7.病より癒え行く者(Der Genesende)
8.舞踏の歌(Das Tanzlied)
9.夜のさすらい人の歌(Nachtwandlerlied) 

導入部(日の出)は「自然」、その摂理である宇宙の営みが端的に示されている。これがいかに輝かしいものであるかは、以降の音楽がかすんでしまうほどに圧巻であることから明らかである。すべてに超越したような音楽を冒頭に置いているのは、この作品がバランスを欠いているからではなく、おそらく意図的であると思っている。短い導入部が終わって、オルガンが通奏低音として残る。

続く「世界の背後を説く者について」は意外にも明るい曲で、私は結婚式に似合いそうだと思っていたくらいだが、弦楽器が次第に増してゆくコラールのメロディーである。これはすなわち、キリスト教を意味している。「世界の背後」すなわち「自然の摂理」を支配するのは、キリスト教の神であると皆が信じた。しかし神はは所詮人間が考え出したものだ。自然を支配するのは神ではなく、人間であるという近代の思想が暗示されている。

輝かしい太陽(ハープ示される)に「大いなる憧憬」を抱くのは人間である。この作品では、様々な感情や概念が音楽上の動機(モチーフ)として表現されるというとても野心的な試みがなされている。人間は自然を前に慟哭の情さえ禁じ得ない。「喜び」すなわち「苦しみの情熱」を抱き、それを悪としてきた神に対し、人間の徳がこれに代わると説くのである。

「墓」とはこういう神を創造した旧い人間たちの墓場のことだろう。この墓へ赴き、死んだ人間を蘇らせよう。自然に対する憧れ、恐怖が昇華し最良の形で知性化されたのが「学問」である。学問は人間に勇気を与えた。この学問が病い、すなわち神の思想に支配された人々を目覚めさせる。

学問によって神からの呪縛から逃れようとする近代の人間、すなわち「病より癒え行く者」がたどり着いた泉のほとりで少女たちが踊る。シュトラウス音楽の聴かせ所である。踊りは動きのあるテンポに乗ってやがてワルツとなる。これは「生」の喜びを象徴している。それまでに登場したモチーフが次々に登場し、音楽はクライマックスを築く。様々な楽器が飛び交い、ヴァイオリンやチェロのソロが印象的である。

しかし終曲「夜のさすらい人の歌」は、やや悲観的なムードの曲である。結局、超越的な思想は世間に受け入れられることは難しい。諦めの境地を彷徨いつつ、静かに曲を閉じる。おそらくこの部分こそが、シュトラウスがニーチェに抱いた着想の本質なのだろう(永劫回帰)。

古今東西の様々な演奏がひしめくなかで、ヘルベルト・フォン・カラヤンが指揮した3つの録音が極めてこの作品に合っていると思う。この曲はカラヤンのためにあるのではと思うくらいである。3種類のどれがいいかは難しいが、もっとも古いウィーン・フィル盤が映画に使われたものだそうだ。それに対し、最新のデジタル盤は音質に関する限り最高であるには違いないが、カラヤン晩年の演奏でやや統率力を欠いているという向きが多い。結局のところ70年代の絶世期の演奏は、もっともバランスよくこの曲の魅力を最大限に表現している。

2024年6月14日金曜日

日本フィルハーモニー交響楽団第761回定期演奏会(2024年6月7日サントリーホール、大植英次指揮)

日フィルの定期会員になった今年のプログラムは、いくつか「目玉の」コンサートがあった。この761回目の定期演奏会もそのひとつで、指揮は秋山和慶となっていた。ところが事前に到着したメールを見てびっくり。指揮が大植英次となってるではないか!私の間違いだったかも知れない、といろいろ検索すると、秋山は骨折して療養を余儀なくさせられ、代わって大植が指揮することになったのだという記載にたどりついた。そのうち一枚のはがきが送られてきて、正式にその経緯がわかった次第。

私は大植の最近の演奏をきいておらず、久しぶりに聞いてみたいと思っていた。5月の神奈川フィルの定期を考えたが、こちらは別の演奏会とかぶってしまい断念。またそのうちに、と思っていたらその日が急に訪れた。これはこれで嬉しい。というわけで、梅雨入りが遅れている暑い東京の人混みをかわしながらサントリーホールへと急ぐ。

プログラムは当初と同じだった。前半にまず、ベルクの「管弦楽のための3つの小品」で、これをリーアという人が室内オーケストラ用に編曲した版。これが日本初演だという。大植はこの曲を、楽譜を見ながら非常に丁寧に演奏したと思う。舞台のプレイヤーの人数は、もともとのこの曲の大編成から大幅に減らされているが、それでもそこそこの規模である。20世紀の音楽によくあるように、数多くの種類の打楽器が並んでいる。

どうも私はベルクが苦手である。新ウィーン学派の中ではシェーンベルクが最もとっつきやすく、次がウェーベルン。ベルクは「ヴオツェック」「ルル」といった歌劇作品もあって、この3人の中では音楽のジャンルに幅もあり、もしかすると取り上げられる機会は最も多いのではないだろうか。だが私はこれまで、楽しんで聞いた記憶がない。その前衛性(といっても1世紀も前の話だが)をいまだに理解できていないのだろう。

この日のコンサートのもっとも注目に値する曲は、次のリヒャルト・シュトラウスによるホルン協奏曲第2番だったと思う。ホルン協奏曲と言えば、モーツァルトによる素敵な4つの作品だけがとりわけ有名だが、それから100年以上が経って誕生したシュトラウスのものこそ、その最高峰と言っていいだろう。だがこの曲が演奏される機会は非常に少ない。それはおそらく、この曲が極めて難しいことから、ソリストとして弾ききるだけの(しかもライブで)実力を兼ね備えた人があまりいないからではないだろうかと思っている。このたびソリストとして登場したのは、日フィルの首席ホルン奏者の信末碩才という方。このお名前、「のぶすえさきとし」と読むらしい。プロフィールによれば栃木県小山市の出身で、まだ若いが今や我が国を代表するホルン奏者とのことである。

さてホルンの響きの素晴らしさは当然のこととして、まず私が聞き惚れたのはバックを務める大植指揮のオーケストラであった。このシュトラウスの音楽が、何ともビロードのような響きであったのだ。各楽器が絶妙に重なり合い、調和的な残響を残しながら、あのシュトラウスの豊穣な音楽に艶のある一体感を与えている。中欧の響き、というのはこういう音楽なんだろうか、などと考えた。大植は大フィルの音楽監督を務めていた頃に、あのバイロイト音楽祭で「トリスタンとイゾルデ」を指揮して、この音楽祭に登場した最初の日本人となったが、もしかするとワーグナーの響きを体現する指揮ということで注目されたのではないかとさえ思った次第。大植のバイロイトへの出演はこの時限りとなったが、この響きはその表情を創出する術があるように思えてならない。

ホルン協奏曲はまた、シュトラウスの磨きのかかったメロディーがアルプスの自然を思わせる美しいもので、演奏上のミスがなかったわけではないが、それでも良くこのような曲を人前で弾くなと感心させるに十分なものであった。オーケストラの曲、たとえばワーグナーの楽劇などでホルンの超重要なソロが出てくるときは、聴衆としても大いに緊張するのだが、それはごく短いものである。しかしこの曲では、そのようなシーンが延々と続く。20分足らずの間に、3つの楽章があり、オーケストラの中にも2台のホルンがいて掛け合う。必死に弾く、というわけにはいかず、あくまで難なく演奏しているように流麗に、かつ自然に演奏しなければならないのは超絶的であるとさえ言えるだろう。曲が終わって大拍手に見舞われ、幾度となく舞台に呼び戻されたソリストにとって、この日は忘れられない節目となったに違いなく、だからこそ日フィルの好意的な定期会員は、みな拍手を惜しまなかった。

休憩の後、後半のプログラムであるドヴォルジャークの交響曲第7番が始まった。大植の指揮は、このような中欧の音楽に相応しく、丸で今回のプログラムは彼のために編まれたのではないか、とさえ思った。昨今、ドヴォルジャークであれブルックナーであれ、音型のはっきりとした、鮮明で明瞭な演奏が主流になっている。これはイタリア人指揮者がドイツの名門オーケストラに着任して、その傾向を変えたとも言える。アバドやシャイーといった指揮者の演奏するこれらドイツ伝統音楽に、新しい息吹を吹きかけ、新鮮な側面を打ち立てた功績は大きい。ここにいわゆる古楽器奏法が登場し、ビブラートを抑えたすっきり系の演奏が持てはやされるようになった。

だが大植の目指す音楽は、その対極にあるような気がする。強いて言えば、どこか懐かしい響きなのである。かといってドイツ的なずっしりしたものでもなく、ちょっと軽めのアンサンブルを感じる。今回の演奏では、その様子がよくわかった。ドイツのオーケストラにフランス人の指揮者登場したときの演奏のように、ちょっと艶があり、残響が重なる。残響などは聞いているホールに依存するパラメータであると思っていたが、必ずしもそうではないのかも知れない。

今では独特の演奏とも思えるような大植の音楽は、これはこれで大いに楽しく、そして聞きごたえがあったと思う。もともとブラームスの影響が強かったドヴォルジャークの交響曲である。秋山だっからもう少しメリハリがあって、若々しい演奏になっていたかも知れない。これはおそらく指向する音楽が違うのではないかと思った。大植の指揮で、私はかつて一度だけ、ブルックナーを聞いているのだが、ブルックナーだけでなくブラームスやマーラーの曲も聞いてみたい。そんなことを考えた。

2024年6月10日月曜日

日本フィルハーモニー交響楽団第255回芸劇シリーズ(2023年6月2日東京芸術劇場、カーチュン・ウォン指揮)

今シーズンの定期会員向けにメールが来て、アンケートの回答者から抽選で、コンサートにご招待するという内容だった。対象の公演は6月2日(日)のマチネで、場所は東京芸術劇場(池袋)である。昨年死亡した坂本龍一の作品を中心に並べた企画ということである。単独で料金を支払ってまで行こうとは思っていなかったが、抽選で当たれば行ってみるのも悪くはない。そこでアンケート・フォームから応募をしたら、後日メールが来て当選してしまった。2名分あったので、久しく会っていなかった関東在住の甥に声をかけた。

プログラムは、作曲家としての坂本龍一をクラシックの系譜の中に位置づけてみようというもので、監修は早稲田大学教授の小沢純一氏となっている。彼は開演前に舞台に登場し、プレトークを行った。内容はほぼプログラム・ノートに書かれている通りだったのだが、それぞれの曲を選んだ経緯や理由を説明し、生前の交流やソリストを含め、坂本の作品と、関連の深い作曲家の作品を紹介することとしたとのことである。

プログラムは坂本がよく口にし、その影響を強く受けたと思われるドビュッシーの「夜想曲」で開始された。この25分程度の長さの曲は、女声合唱を伴うこともあってなかなか演奏される機会が少ない曲である(いわゆる「コスパ」が悪い)。ところが検索をしてみると、私は過去に一度だけ聞いている(シャルル・デュトワ指揮フランス国立管弦楽曲、1990年)。小沢氏のプレトークによれば坂本は、この「夜想曲」の中で表現される「雲」についてよく語っていたということである。曲の第1曲がその部分。ゆったりとした時間の流れの中で絶えず変化していく様を表現する音楽は、どことなく東洋的な生命観に通じるものがある。

続く作品は本日最大の聞き所となる曲で、坂本龍一の「箏とオーケストラのための協奏曲」である。ここで私は白状しておかなくてはならないのだが、YMO(イエロー・マジック・オーケストラ)などで有名な彼を少しは知っていただ、ほとんど作品に触れることもなかった。東京生まれの坂本は、東京芸術大学を卒業している。作曲家としてデビューし、数々の作品を発表するが、いわゆる流行音楽のみの作曲家ではなかった。本日のプレトークやプログラム・ノートには語られていないが、坂本としてはそのキャリアの最初に目指したのは、むしろ純音楽であろう。私はそのような初期の作品にも目が向けられるのかと思っていた。

事実、数年前に放送されていたNHK教育テレビの音楽番組で、彼は西洋音楽の解説をしながら若い人たちへの講義を行っているのをたまたま目にしたとき、その内容に少し興味を持った。団塊の世代らしく学生時代から、一般的な音楽教育、すなわち西洋音楽の基礎的な教養や系譜に反感を持って接していた彼も、綿々と続く西洋音楽の歴史があること、それを踏まえたものとして今日の音楽があり、芸術としてが発展していることの重要性を語っていたのを覚えている。

このたび初めて聞いた「箏とオーケストラのための協奏曲」は2010年に作曲・初演されているから、いわば晩年の作品である。この時期にも彼はクラシック音楽を作曲していたことに驚いたが、さらに不思議なことにこの作品は、初演時にたった2回演奏されただけで、その後14年間一度も演奏されていなかったということである。自在に箏を操り、オーケストラと競演する奏者を見つけるのは大変かも知れないが、箏は我が国の伝統楽器であり、その奏者は多くいるはずであるにもかかわらず。

私は詳しいことはよくわからないが、箏にも何種類かあって初演時には何と「十七弦箏」を前方に4面並べ、楽章ごとに楽器を変えて演奏したということである。これによって箏の表現力が隅々にまで示された。しかし今回の舞台では、「二十五弦箏」が使われ、これ一面で足りるというのである。その箏だが、私が普段目にする横長の木の色をしておらず、長方形で幅は広く、黒いものだった。今回のソリスト遠藤千晶は、和服姿で登場したが、その広い箏の全面を、身を乗り出しながら縦横無尽に弦を抑えては弾く。その表現はこの和楽器のすべての要素をあまねく示し、新鮮な響きが次々と脳裏を刺激して飽きさせることはなかった。

全体で4つの楽章があり、特に第3楽章などはこれでフィナーレかと思いきや、そのあとに静かで抒情的な音楽が流れてくる塩梅で、その美しさに聞き入った。あとでプログラムを読むと、この4つの楽章は四季を表し、「冬」「春」「夏」「秋」という順序だそうである。秋を最後にしているのも興味深いが、終わってしまった曲をもう一度聞くことができない。いずれにせよ、和楽器と西洋楽器が見事に融合した素晴らしい曲だと思った。指揮のカーチュン・ウォンは通常暗譜で指揮するが、今日は1曲ごとに楽譜を手に取って掲げ、作曲者への敬意を表すことを忘れなかった。

休憩の後はポピュラーなプログラムで、映画音楽などから以下の作品が演奏された。まず坂本が音楽を担当した代表的な映画「ラスト・エンペラー」(1987年、ベルナルト・ベルトリッチ監督)より「The Last Emperor」。約6分の短い曲だが、「戦場のメリークリスマス」(1983年、大島渚監督)とならぶ坂本の映画音楽作品の代表作で、米国アカデミー賞作曲賞を獲得している。

続く作品は武満徹の「波の盆」から「フィナーレ」である。この曲は武満の残した映画音楽の中でもとりわけ美しい抒情に満ちており。私もこの1月に尾高忠明の指揮で接している。この曲をプログラムに入れたのは、指揮者カーチュン・ウォンの提案だったとのことである。映画と音楽を深く結びつけた我が国の作曲家との共通性を意識することになる。たった4分ながら、ここで私は尾高の演奏のようなスコットランド民謡風の演奏ではなく、より立体的なマーラーのような表情を持つ曲に変貌したことに驚いた。

プログラム最後の作品は、1992年バルセロナ・オリンピック開会式の音楽「地中海のテーマ」。東京音楽大学(今度は混声)が再登場。舞台中央にピアノが運ばれ、ハープ、チェレスタ、それに数々の打楽器を含めオーケストラの規模が最大限に膨れ上がった。さらに両翼にはスピーカー、ピアノの音を強調するための小さいスピーカーまでもが舞台に並べられた。

就職して上京した頃、バルセロナ・オリンピックは開催された。私は通信会社にいて国際テレビ映像なども担当していたから、同僚の何人かがスペインへ出張していた。そういうこともあって、この開会式は興味深く見た覚えがある。事前の話題をあまり知らなかった私は、何と坂本龍一が指揮をしていた姿に驚いた。なんとも賑やかでてんこ盛りのような曲。今回改めて聞くと、その様子がよくわかる。ミニマル風かと思えば、ジョリヴェのようなピアノも登場し、何が何やらわからないのだが、解説によればカタルーニャ地方の様々な伝承音楽にも題材を取っているとのことである。愛と情熱の国らしく、壮大で華やかな曲は、このコンサートの終わりに相応しいものだった。

カーテンコールが続いていたら、係員が開け放たれたピアノの蓋を閉じた。これでアンコールを確信した。曲は「Aqua」という短い曲だった。日曜日の会場には、ほぼ満員ではないかと思われるほどの盛況ぶりだった。私はそれまでに聞いたことのない音に触れ、それなりに満足だった。長いエスカレーターを下って外に出たときには、小雨が降り始めていた。甥を誘ってイタリアン・バルに出かけ、ビールを飲みながら軽く食事。梅雨入り前の時間を楽しく過ごすことができた。

2024年5月30日木曜日

ヴェルディ:歌劇「椿姫」(2024年5月25日新国立劇場、フランチェスコ・ランツィロッタ指揮)

今や我が国を代表するソプラノ歌手と言ってもいい中村恵理のことを、私はほとんど気に留めたことはなかった。実際過去のコンサートの鑑賞記録を手繰ってもヒットしない。彼女は新国立劇場オペラ研修所の出身ということなので、もしかしたらと思って過去の私が行ったすべての作品の公演プログラムに目を通したが、脇役を含めいまだ接したことがないようだった。

私はこの3月に「トリスタンとイゾルデ」、さらには4月に「エレクトラ」を見て、1回のオペラ公演に高い料金を払って出かけるのはこれで一区切りとしよう、などと勝手に心に決めていた。ところが「トリスタン」を見た際にロビーに掲示されていた、これからの公演の広告を見て、我が国にヴィオレッタを歌う中村恵理なるソプラノ歌手がいることを発見した。そのプロフィールには大阪音楽大学卒業と書かれていた。私は大阪府豊中市で育ったから、この学校のことを良く知っている。私の出身の中学校や高校の音楽の先生に、この大学の出身者も多かった。上空をジェット機が高度を下げて航行し、近くからは焼き肉屋の匂いも漂ってくるような下町に、ヨーロッパで活躍するディーヴァがいるという事実が私を興奮させた。

その彼女が、ここ新国立劇場でヴィオレッタを歌うのは2回目だそうである。最初の登場は2年前、コロナ禍の真っただ中でのことで、この時は代役ということだったようだ。それでも彼女はこの難役をこなし、評価は一気に高まった。いや、それは極東のオペラ後進国でのことで、彼女はすでにヨーロッパにおいて、ミュンヘン・オペラなどいくつかの歌劇場で多くの役をこなしていた。その一つに何と、あのアンナ・ネトレプコの代役でヴィオレッタを歌った、という経歴があることに驚いた。「椿姫」のヴィオレッタともなると、マリア・カラスの歴史的録音が数多く残されており、各地の歌劇場で語り草となっている亡霊に付きまとわれて、そうそう簡単には歌えない役だと思っていたから、なおさらのことである。

興味深くなって私は彼女の経歴をネットで検索してみた。すると何と、彼女は私も住んでいた兵庫県川西市の出身というではないか!これで私は、彼女が主役を歌う「椿姫」の公演に行くことを決めた。幸い妻も土曜日なら行けるというので、私は2階席最前列のS席を2枚買い求め、さらにはそのあとに代々木上原で、以前から行こうと思っていたフランス料理レストランの予約も済ませた。これは2人にとって、久しぶりの祝杯である。今年3月に東京を離れた長男の大学入学を、二人で祝うというのが目的だった。受験を控えて昨年は、私たちも結婚記念日や誕生祝いを自粛してきた。その期間が晴れて解けたのである。

ヴェルディ中期の傑作「椿姫」。原作では「ラ・トラヴィアータ(道を踏み外した女)」と呼ばれる。「フィガロの結婚」「カルメン」などと並んで、あらゆるオペラ作品中最も有名で愛されるこの作品こそ、私をオペラ好きたらしめた筆頭の作品である。そのことはこれまでにも書いた。これまで何度聞いたかわからない録音の数々、旋律もほぼ覚えてしまった作品を、実際に見るのはまだこれが3回目であるが、その数は最も多い。我が国では毎年、どこかの劇団が上演している超人気作品である。私にとって、これはオペラ経験の原点回帰とも言うべきもので、そのタイミングに相応しい公演に、注目の彼女が主演するというのである。

人気取りのような公演ではあるものの、土曜日ということもあってか客席はほぼ埋まっている。やがてピットに入った東京フィルハーモニー交響楽団の左手奥から、指揮者のフランチェスコ・ランツィロッタが登場するのが見えた。舞台は四角形の鏡の舞台が斜めに傾いて設置され、頂点の一つが舞台の前にせり出している。奥の壁も鏡になっていて、フローラの館に集う人々がまとう色とりどりの衣装が鏡に反射する。評判の照明装置が大変綺麗である。その中にヴィオレッタ(中村恵理、ソプラノ)とアルフレード(リッカルド・デッラ・シュッカ、テノール)がいる。間髪を入れず始まる「乾杯の歌」。新国立劇場合唱団は上手すぎて、こういう雑然とした場面もきっちりと機械のように歌い、やや「作られ感」のある喧噪である。

若いイタリア人の指揮は流れるように進み、あれよあれよと正念場のアリア「ああ、そはかの人か~花より花へ」と進む。舞台中央にはピアノが一台置かれているだけ。彼女はその周りをまわりながら、丁寧に、しかもよく通る声でこのソプラノの難曲を歌い切った。歓声に包まれる会場。アルフレードの若々しい歌声もとても好感が持てる。第1幕が終わっても休憩時間にはならず、長い休止のあと第2幕第1場へと続く。舞台のピアノはそのままで、天井になぜかこうもり傘が二つ。これだけでパリの社交界から田舎の館にチェンジ。二人の楽しい生活も束の間、アルフレードの父ジェルモン(グスターボ・カスティーリョ、バリトン)が登場して、世間体が悪いからとヴィオレッタに別れるよう求める。カスティーリョの声は、もしかするとこの公演で最も素晴らしいものだ。ベネズエラのエル・システマ出身とプロフィールにはある。その歌声での力強さと気品は、この役に必要なものがすべて備わっていた。

ヴィオレッタが泣く泣く手紙を綴るシーンや、思いがけず彼女を抱きしめるジェルモン、アルフレードの直情径行なふるまい。この第2幕は演出によってはドラマチックなものだ。しかしこの演出では舞台の転換が少ない上に、音楽が綺麗に流れて行く。歌唱のレベルは見事なのだが、演出上の工夫がちょっと平凡に思えた。そのことによって、第2幕第2場のクライマックスでさえメリハリに乏しい。闘牛士の歌もバレエはなく、動きに乏しいというのも淋しい。最高潮に達したところで歌われる三重唱など、映画で見るとそれぞれの思いが幾重にも重なって映るのだが、これは想像するしかないのは舞台で見る時の悲しさだろうか。

第3幕に入る前の長い休止も、休憩時間とはしないのが今や通例だが、時間はかかっても第1幕、第2幕、第3幕とゆったり見たいと思ったのは、この公演の完成度がすこぶる高く、弛緩することなが一切なかったからだ。歌手、オーケストラ、合唱団の3拍子が揃うことは、この作品ではなかなかないことだ。第1幕の最初から、私は気分が高揚して涙腺も緩む。だからこそ、もっと長い時間この舞台に浸り立った。実演で観る時は、家のリビングでビデオで観るのとは違う体験を期待しているのである。

第3幕の前奏曲が終わって病気に伏した彼女は、何とベッドではなくピアノの上に横たわっている。ジェルモンからの手紙を切々と読むヴィオレッタのシーンは、2階席最前列でも良く見えないからオペラ・グラスに頼るしかない。彼女は最も重要なアリア「過ぎ去りし日々」を、このピアノの上に立って歌うことになった。外に向かって開けられた扉の背後の色が、黒い舞台に映えて、謝肉祭の朝を表現したりする。だが、そこに登場するアルフレードやジェルモンは、そろそろと登場しており、何か普通の訪問者のようで丸で表現的ではない。総じて、演出に不満の残る舞台だったが、歌唱とオーケストラ、合唱と指揮はいずれも高水準で難点を見つけることができないものだった。

幕切れてヴィオレッタは病に倒れるのではなく、幕が下りた舞台の上で最後を歌う。そのために舞台の一部がオーケストラ・ピットにせり出していたのだ。彼女は歌詞では死に絶えるが、直立したまま魂は生き残り、より強い女性としてこの社会に抗う生命力を表現する。この希望的な終幕は、この演出のもっとも特徴的なものだったと言える。

舞台に残った中村恵理には多くの歓声が飛び交い、何度もカーテンコールを繰り返すうち、3時間に及んだ公演が終了した。久しぶりに見たヴェルディの傑作は、やはりこの作曲家の偉大さをひしひし感じるものだった。ヴァンサン・ブサール(演出)も述べているように、この作品は同時代の話をそのままオペラにした斬新なものである。それが当時の女性の社会的立場を、否が応でも明らかにした。だがそのことによって、今日にも通用する普遍的なテーマを持ったこの作品は、愛すべき歌唱性と通俗的なストーリーを持ちながらも、高い芸術性を勝ち取ることができた。

このような作品がヴェルディには目白押しある。9月には演奏会形式ながら「マクベス」が上演される。この作品は私がまだ実演で見ていない作品だから、行かない手はないだろう。梅雨前のうっとうしい空模様もこの日は一休み。吹く風はさわやかで、代々木までゆっくりと歩く私たちも、気分は大変爽やかだった。

2024年5月15日水曜日

ブルックナー:交響曲第7番ホ長調(クリスティアン・ティーレマン指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団[ハース版])

ブルックナーの交響曲第7番は、第4番「ロマンチック」の次に親しみやすい曲だと言われる。これはたしかにそう思うところがあって、私も第4番の次に親しんだのが第7番だった。その理由には2つあるように思う。ひとつはブルックナー自身が「ワーグナーへの葬送音楽」と語った第2楽章の素晴らしさである。全体の中で最も長い「アダージョ」は、「非常に荘厳に、そして非常にゆっくりと」奏でられ、優美でロマンチックなメロディーが延々と続く。「ロマンチック」の第2楽章などはもっとも美しい部分はあっという間に通り過ぎるが、この曲はなだらかに、次第に規模を増してゆく。最高潮に達したところで、待ち構えていたティンパニやシンバルが一斉に鳴る(ノヴァーク版)。

もうひとつの理由は、第5番での複雑極まりない「形式的要素」、第6番でのわかりやすい旋律に溢れた「歌謡的要素」の2つの側面を「ほどよく調和させようと試みた(N響プログラム「フィルハーモニー」4月号)」点にあるのではないだろうか。第1楽章の冒頭を聞くだけで、その宇宙的な広がりと、まるで空から何かが舞い降りてくるような錯覚に捕らわれてしまう。一気にブルックナーの世界に入り込む。私が最も好むブルックナーの音楽のひとつが、この冒頭である。ソナタ形式の第1楽章に、この2つの要素の両面がよく表れているように思う。

ブルックナーがこの曲を作曲したのは、第3楽章からだったようだ。スケルツォの第3楽章はなかなか立派で聞きごたえある曲だが、第2楽章があまりに素晴らしいので、どことなく拍子抜けしてしまうようなところがある。ベートーヴェンの「エロイカ」が、これと同様な気持ちを抱かせる。

第4楽章が短いというのもこの曲のバランスを悪くしている。第3楽章を含め後半の楽章は、明るく楽天的でさえある。第4楽章のリラックスしたムードは、次第に高揚し最後は一気に駆け抜けて終わる。

録音された第7番の演奏は、古今東西に非常に多い。曲がいいからどの演奏も興味が尽きない。私はまず、この曲をスクロヴァチェフスキ指揮の演奏で聞いている(ライブと録音)。カラヤンが最後にリリースしたCDがこの曲だった。私も聞いているが、カラヤン指揮ウィーン・フィルのブルックナーは、第8番の名演奏に尽きると思っており、そちらに譲りたい。定評あるヴァント盤やヨッフム盤に交じって、珍しくジュリーニもウィーン・フィルでライブ収録しているが、ちょっと個性的で何度も聞く気にはなれないところ。一方、マゼールもブルックナーを演奏していて、マニアには評価が高いのだが、どことなく人工的で好き嫌いが分かれるだろう。

さて、そういう状況の中で最新のリリースがティーレマンの指揮するウィーン・フィルとの全集である。この11枚組CDはSONYから発売されているが、何とウィーン・フィルがブルックナーの全交響曲を録音するのは、これが何と初めてではないか。例えば第0番のような曲も収録されているようだ。私は専らSpotifyで聞いており、全曲を聞いたわけではないが、少なくともこの第7番に関する限り、その演奏は大変すばらしく、近年のブルックナーの最右翼たるものになっていると確信している。

何といっても聞いていて飽きないし、その世界にどっぷりとつかっていることができ、たいそう心地よい。ティーレマンとう指揮者は、時に意味不明な「溜め」を打ったかと思うと、案外あっさりとした素っ気ない部分もあって、これがベートーヴェンだとちょっと不思議な感覚になるのだが、ブルックナーではうまく嵌っている!ウィーン・フィルの優美で洗練された音色も嬉しいし、それを優秀録音が支えている。

なおこの曲の特徴として言及しなければならないことのひとつに、ワーグナーが「ニーベルングの指環」の演奏で考案したワーグナー・チューバが、第2楽章と第4楽章で用いられている点である。この音色が厳粛なムードを与え、時にワーグナーの楽劇を聞いているような錯覚に捕らわれる点で効果満点である。なおティーレマンの第7番は「ハース版」である。しかし第2楽章のクライマックスで打楽器が登場しないわけではなく、シンバルが鳴っている。

それからもう一つ。我が国のブルックナーファンには避けて通ることができない朝比奈隆の歴史的名演奏についてである。私は大阪の生まれで、生まれて初めて自腹をはたいて聞いたオーケストラのコンサートが、朝比奈の指揮する大フィルの第九だった。時は1981年、まだ中学生だった。この頃は、まだ朝比奈のコンサートも席に余裕があって、学生席というのがあったのかは忘れたが、昔のフェスティバルホールの2階席最後列で聞いた覚えがある。その朝比奈がブルックナーゆかりの土地、オーストラリアのリンツを訪れ、大フィルと聖フロリアン教会でこの曲を演奏したのは1975年、すなわち私の初コンサートの6年も前のことだった。

私は朝比奈の指揮する音楽が、どことなく息苦しくて生気を感じず、あまり評価していない。これに対し、我が国にはこの指揮者を熱烈に支持する人は多く、特に晩年になるにつれて神がかり的な人気を博したのは不思議だった。しかし、ライブ収録された聖フロリアン教会でのブルックナーの第7番の演奏は、大変真摯で大いに好感が持てる。録音がいいということもあるだろうが、この演奏は彼の代表的な遺産のひとつである。朝比奈自身もっとも感慨深い演奏として、この日のことを語っている。深遠な第2楽章が終わり、第3楽章に移る時間に鳴り響いた教会の鐘の音が、奇跡的な瞬間だったようだ(ハース版)。


2024年5月14日火曜日

パク・キュヒ(朴葵姫)ギター・リサイタル(2024年5月12紀尾井ホール)

私はふだんあまりソロ楽器のリサイタルに出かけない。特に毛嫌いしているわけではないのだが、何となくソロ楽器の曲は、CDなどメディアで再生して聞く方が感慨深いような気がしている。こう書くと、私は元来「音楽はライブに尽きる」と公言してきたので、矛盾しているではないか、と言われるような気がする。確かにそうだ。もしかしたら器楽曲のライブの魅力に、まだ気づいていないだけかも知れない。オーケストラやオペラのような大規模な音楽にひと段落がついてきたので、ここは小さな編成の音楽会にも足を向けてみようと考えた。

「ぶらあぼ」というサイトがあって、ここには我が国で開催されるすべてのクラシック音楽のコンサート情報が掲載されている。日付や会場、それにジャンルを絞って検索もできるので便利である。5月12日の午後は何の予定もない。もらったチラシにも、この日のコンサートのものはなかった。そこで「ぶらあぼ」(https://ebravo.jp/)へ行き、日付を指定して検索を実行してみたところ、たちどころに多くの公演がヒットした。その中に私の好きなギターリスト、パク・キュヒ(朴葵姫)のリサイタルがるではないか。場所は紀尾井ホール。あまり好きなホールではないが、こじんまりとした曲を聞くのは悪くない。

当日券もまだ残っていることが判明し、ローソン・チケットか何かで予約して出かけた。プログラムは、最近リリースされたバッハなどバロックの曲を中心としたもので、後半にはバッハを敬愛していた南米パラグアイの作曲家、バリオスの作品も登場する。

  • D.スカルラッティ:ソナタニ短調K.32、ニ長調K.178、イ長調K.391
  • J.S.バッハ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第3番ハ長調BWV1005
  • J.S.バッハ:前奏曲・フーガとアレグロ変ホ長調BWV998
  • バリオス:最後のトレモロ、大聖堂
  • J.S.バッハ:シャコンヌ(無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番ニ短調BWV1004より)

韓国と日本で育った彼女は、数々のギター・コンクールで優勝した実績があり、その目覚ましい活躍はすでに15年以上前から続いている。私もアルバム「スペインの旅」というものを聞いて感銘を受け、すでにこのブログでも取り上げた(https://diaryofjerry.blogspot.com/2020/07/g.html)。

パク・キュヒの演奏の特徴は、その音色のやさしさにあるように思う。これは主観的な感想に過ぎないし、他のギターリストに詳しくもないので、間違っているかも知れない。おおよそ韓国の文化は日本のそれより大陸的で、激情的であることが多い。しかし彼女の表現は、決して過激でもなければ鷹揚でもない。むしろ繊細でとても静かに心に響く。

もともとギターという楽器は音量が小さく、その前身ともいうべき楽器リュートがバロック以降に消えていったように、ギターという楽器のために書かれた曲は少ない。音楽の規模が大きくなり、演奏会場も広くなっていくにつれて、流行らなくなってしまったのだろう。しかしギターの魅力は、その繊細なセンチメンタリズムにある、と私は通俗的に考えており、クラシックだろうがポップスだろうが、ギターの魅力を感じさせる曲は綿々と続いていった。20世紀になってギター曲を作曲したイベリア半島の作曲家や演奏家を中心に、ギター曲の見直しがなされたのではないか。その最大の功績者が、スペインの伝説的なギタリスト、アンドレス・セゴビアだった。

ギターの活躍する音楽は、ファリャやグラナドスなどのローカルな作曲家にとどまらず、バッハやスカルラッティのようなバロック音楽をギター曲に編曲して演奏することによって、大きく広がっていった。今回パクがリリースした作品集「BACH」も、彼女が満を持して演奏したこれらバロックの作品が収録されている。今回のコンサートも、まずはD.スカルラッティのソナタ3曲から始まった。

私の座席は当日の朝に買った特には指定されていなかった。こういうことは初めてで、ぴあなどでは通常座席を指定して買う。座席をおまかせにしても、決済時には座席の位置がわかるのが通常である。ところが今回は違った。これは異常なことである。当日に窓口で「整理券」をチケットを交換したところ、私の席は何と前方中央という大変いい席だった(座席はどの位置も均一料金だったことを考えると、これは大いに幸運だったと言える)。しかも左隣は空いており、右隣の女性も演奏が始まる直前に前に席に移動した。こんなに前なのに、両隣が空席というのは誠に嬉しい。そういうわけで大変望ましい状況で始まったコンサートだったが、スカルラッティの3曲が終わった時にある大きな男性が入って来た。

彼は、私の隣の席の女性が移動した先の座席の客だった。しかし係員に誘導されて入場した彼の座席は、すでに彼女によって占められていたため、誘導員は仕方なく彼は彼女の元の席、すなわち私の座席に座るよう勧めた。そもそもコンサートには遅れてくる方が悪いのであって、彼女に悪気はない。しかし私にとっては大いに迷惑な話であった。あろうことか、彼は悪臭を放っていたからだ。

そういうわけで、次のバッハの無伴奏ソナタ第3番は、私にとって最悪の状況下でのコンサートとなった。こういうことがあるから、やはり演奏会というのは難しい。もしかすると無理して出かけなかった方が良かったのだろうか。集中力も欠き、演奏はおそらく素晴らしいのに、私は楽しめる状態ではなかった。私のまわりにいた方々も同様に感じたのではないだろうか。

これには続きがあった。前半終了時に彼はその移動した女性に声をかけ、後半のプログラムでは再び女性と座席を交代したのだった。そのことによって私は悪臭から解放された。後半のプログラムは、そのようにして再び私は深遠なギターの世界に戻ることになった。彼女のギターに当たる光が、演奏する際のゆらぎに合わせてこちらに反射する。その自然の光の美しさに見とれながら、耳はバリオスの音楽を浴びている。バロック音楽のどちらかというと形式的な音楽の枠を解き放たれ、さすがに20世紀の音楽は表現が多彩である。

バリオスの演奏が終わった時点で彼女はマイクを取り、今回の演奏に寄せる思いを語った。ギターリストにとってバッハの作品は、初期の頃から学習するが、おいそれとは演奏できない至高の作品である、というような意味のことを語った。彼女は満を持して、続く「シャコンヌ」を演奏した。

ヴァイオリンで聞くオリジナルの「シャコンヌ」も、無伴奏ソナタとパルティータ中最大の聞き所である。10分を優に超えるその長さと宇宙的な広がりは、聞き手を魅了してやまない。それをどうやってギターで表現するか。弓の長いヴァイオリンは、音を長く響かせることが可能である。しかし同じ弦楽器でもギターは、一度はじくとその音はたちまち減衰していく。これはピアノでも同様である。しかしギターで聞く「シャコンヌ」はまた、もしかしたらギターのために作られてのではないかとさえ思えるほどの魅力を放っていることを私は発見した。

演奏が終わって再びマイクを取った彼女は、「シャコンヌ」の余韻に浸るべくアンコールに何も演奏しないことも検討したという。しかし悩んだ末、バッハを尊敬していたもう一人の作曲家、ヴィラ=ロボスのプレリュード第3番を演奏することにした、と話した。このようにして、1時間半に及ぶコンサートは終了した。今にも雨が降り出そうかというような陽気の中を、赤坂見附を目指して紀尾井坂を下った。

そういえば私はギターのリサイタルとしては、人生2度目である。1回目は彼女の師匠でもあった福田進一で、大阪・中津にあるごく私的なコンサートに母の紹介ででかけたのである。こじんまりとしたカジュアルなレストランのようなところで開催された演奏会には、まだ駆け出しの頃だったこともあって、その取り巻きのような方々か詰めかけていた。音楽家が有名になるには、いろいろ難しいことも多い、と思った。彼は発売されたCDにサインをして渡してくれたことを思い出した。

思いがけず行くことになったパク・キュヒのリサイタルは、全国各地と韓国で順に行われるとのことである。

2024年5月12日日曜日

東京交響楽団第96回川崎定期演奏会(2024年5月11日ミューザ川崎シンフォニーホール、ジョナサン・ノット指揮)

マーラーの「大地の歌」が好きで、生で聞ける演奏会が待ち遠しかった。今シーズンの東京交響楽団の定期演奏会にこのプログラムがあることを知り、チケットを手配したのが4月ころ。私にしては早めに確保した演奏会だった。にもかかわらず客の入りは半分以下。私の席の周りににも空席が目立つ。マーラーは人気があるし、ジョナサン・ノットという東響の音楽監督も割合好評だと思っていたから、これは意外だった。

プログラムは前半に武満徹の「鳥は星形の庭に降りる」という曲(1977年)と、ベルクの演奏会用アリア「ぶどう酒」という作品(1929年)。ベルクの方は十二音技法の作品で、これを現代音楽と考えると前半はそういう曲が続く。どちらも私は初めて聞く作品で、「ぶどう酒」には独唱(ソプラノの高橋恵理)を伴う。合わせて半時間程度の長さで、丁度いいと思っていたら睡魔に襲われた。残念でならない。

今日も関東地方は快晴で気温が上昇している。眠くなるのは仕方がないが、初めて聞く曲でも一生懸命耳を傾けようと意気込んできたはずである。前日には夜更かしもせず、睡眠を十分にとって目覚め、昼食も軽めに済ませたつもりだった。これはどういうことだろう。だが音楽は過ぎ去ってしまい、もう二度と聞くことはできない。コンサートに集中できないのは、もはや歳のせいなのかも知れない。

コーヒーを飲んで眠気を覚まし、後半の「大地の歌」に挑む。座席は舞台に向かって右側の真横で、オーケストラが半分しか見えない。ハープやマンドリンといった楽器が犠牲になっている。そして歌手は向こうを向いて歌う。代わりに指揮者や木管楽器が良く見える。このような席でもサントリーホールではそこそこ音がいいと思っているが、ミューザ川崎シンフォニーホールではどうもそうはいかないように感じた。いやもしかしたら、これは指揮者の無謀な音作りによるのかも知れない。

私はジョナサン・ノットという指揮者とは、あまり相性が良くないようだ。これまでに出かけた彼のコンサートで感動したことがあまりない。むしろ音量がやたら大きく、指揮が目立ちすぎるのである。この結果バランスが悪く、せっかくオーケストラが好演しても音楽的なまとまりに欠けるような気がするのは私だけだろうか。似たようなことが、バッティストーニ指揮の東フィルにも言える。今回の演奏会の場合、私の着席した位置からは、二人のソリスト(メゾ・ソプラノのドロティア・ラングとテノールのベンヤミン・ブルンス)がオーケストラの音に埋もれてしまう。正面で聞いていたらもう少しましだったかも知れないが、それでもこの指揮者は力強い指揮で音楽の情緒を壊していると感じることが多いから、あまり変わらなかったのではないか。

真横での鑑賞の今一つの問題点は、各楽器の音がばらけてしまう点にある。サントリーホールでは上部に設えられた反射板のお陰か、その欠点はやや補正されている。しかし川崎のホールはむき出しである。にもかかわらず、正面の座席が少ない。2階席からは螺旋状になっており、左右非対称というのも落ち着かないが、いわば大きな筒の中にいるような感じである。そうだ、東響の定期演奏会は通常、サントリーホールでも行われるから、そちらの方で聞くのがいいのかも知れない(チケットは若干高い)。

結局、私はこのマーラーが残した最も美しい作品を、あまり楽しむことができないまま演奏会が終わってしまった。ここのところ、勇んでいくコンサートが期待外れに終わることが多い。客観的にはオーケストラが巧く、欠点は少ないのにそう感じている。原因は、次の3つのうちのどれか、もしくはその組み合わせである。①聞く位置が悪い、②体調が良くない、③耳が肥えてしまった。今後は厳選したコンサートをいい位置で聞くこととしたい。そう切に思った演奏会だった。

なお、「大地の歌」を聞くのは2回目。1回目のインバル指揮都響の演奏があまりに良かったので、その時の感銘を超えることができなかった、ということかも知れない。それにしてもノットの音楽は、どことなく無機的で表面的だと感じている。

2024年5月11日土曜日

日本フィルハーモニー交響楽団第760回定期演奏会(2024年5月10日サントリーホール、カーチュン・ウォン指揮)

今季日フィルの定期会員になった理由のひとつが、このカーチュン・ウォンの指揮するマーラーの演奏会だった。昨年第3番を聞いて感銘を受けたからだ。今や私はシンガポール人のこの若手指揮者のファンである。彼は日フィルのシェフとして、アジア人の作曲家の作品を積極的に取り上げているが、それと同時にマーラーの作品を順に演奏している。それでもさすがに、第9番ともなると演奏する方だけでなく、聞く側も覚悟がいる。

このマーラーが完成させて最後の交響曲は、声楽を含まず、楽章も4楽章構成と一見純器楽作品に回帰している。そのため親しみやすいと考えるのは禁物で、各楽章の構成は大変入り組んでおり、複雑極まりないのも事実である。どのように複雑であるかを記述するには音楽的な知識を要するので、私には書けない。幸い深澤夏樹氏によるプログラム・ノートに詳しく書かれているので、開演前のわずかな時間をその読解に充てた。

私はこの作品を鑑賞するのは3回目である。ただ以前の2回はほとんど記憶がない。1回目はヘルベルト・ブロムシュテット指揮NHK交響楽団で、記録によれば1992年11月(第1185回定期公演)となっている。30年も前のことである。まだ東京に出てきたばかりの頃で、仕事の帰りにNHKホールへ駆けつけ、ほとんど居眠り状態で3階自由席で聞いたのだろう。

2回目はベルナルト・ハイティンク指揮ボストン交響楽団(1995年11月カーネギーホール)である。このコンサートは記憶に少し残ってはいるが、やはり後の方の席で聞いたこともあって、どんな演奏だったかを思い出すことはできない。定評あるハイティンクの指揮なので、それなりに感銘を受けたはずである。だが私はこの作品をちゃんと理解するには早すぎた。

ここのところの私は生活の区切りをつけたいと思っていて、最近はクラシック音楽のコンサートでも、それまでにあまり触れてこなかった重要作品を立て続けに聞いている。オペラの「トリスタンとイゾルデ」や「エレクトラ」についてはすでに書いたが、それと並行してブルックナーとマーラーの最後の3つの交響曲作品、すなわちブルックナーの第7番、第8番、第9番、マーラーの「大地の歌」、第9番、それに第10番が取り上げられる場合には、時間を何とかやりくりして聞いている。これらの作品は規模が大きく(補筆版を含む)、音楽的にも難解である。プログラムに休憩時間がないことも多い。

けれども人気があって、プログラムにのぼることは結構多い。マーラーの交響曲第9番も、毎年どこかで演奏されているような気がする。来年は佐渡裕指揮新日フィルの演奏会も予定されているようだ。そういうわけで今回の日フィルの演奏会も、二日目については売り切れてしまったようだ。私は金曜の第1日目の会員なので、その指定席(1階A席、向かって左手)に向かう。すでに管楽器のメンバーは舞台上に揃っており、やがて弦楽器の方々が登場した。

冒頭の演奏が始まってすぐ、私はオーケストラの音がいつもと違うような気がした。聞く位置によるからだろうか、あるいは演奏のせいか。ちょっと違和感があって、それは第1楽章の後半まで気になったが、全体にどことなく集中力が続かない。私は直前まで多忙な時間を過ごしていたので、平日のコンサートではよくあることだと思うことにした。ただ日フィルはとても良く鳴っている。いつものようにカーチュン・ウォンの指揮は細かく敏感で、まるでパントマイムのように指揮台で見事に踊っている。

マーラーの第9交響曲は「死」を意識する作品と言われている。だが私が今回聞いた演奏からは、絶望的な悲壮感もなければマーラー独特の厭世観も少なかった。それもまだ30代の若手が演奏するのだから当たり前ではないか、と思う。いやこういう演奏があってもいいと思う。ウォンもそのことは意識していて、彼は「今の自分にしかできない演奏」もあるのではないかと語っている(4月のプログラム・ノート)。

第2楽章のワルツはスケルツォ風だが、この楽章も軽やかであったし、第3楽章の「ロンド・ブルレスケ」では打楽器も入って大いに盛り上がり、賑やかだった。プログラムにも書かれているように、マーラーがこの作品を作曲したのは、決して死に怯えながら、というわけではなかった。実際、本当に「死」を意識する時、人間は創作などしていられないはずだ。新しいものを創り出すエネルギーがあるのは、「死」の恐怖から一時的にでも開放されているか、あるいはそれを意識する時間を忘れるだけの気力が残っている証左である。これは私自身の経験からそう思う。マーラーがテーマとした「死」は、そういうわけで差し迫った自身の「死」というよりも、もう少し観念的な「死」の概念であろう。あるいは娘の「死」の記憶か。

そう思ったとき、今日のコンサートがわかったような気がした。この作品はマーラーのそれまでの作品の延長上にあって、決して昔に回帰した作品ではない。むしろその次の第10番で試みようとしたような二十世紀の音楽への挑戦だったと見るべきではないか。すると純音楽的な意味で、まず器楽曲の新鮮さ、すなわち聞こえる音楽の透明かつ明晰な感覚(それはシェーンベルクに通じるような)を終始維持していることに気付く。ウォンはそう意識していたかはわからないが、よくありがちなマーラーの粘っこい、どろどろとした音楽としてこの作品を表現していない。

それはあの第4楽章の長大な「アダージョ」でも同様だった。ただこの楽章は、様々なモチーフを回帰し、最後は消え入るように弦楽器が長いアンサンブルを響かせる。その時の会場と舞台が一体となった感覚は奇跡のように静かで、しかも宇宙的な広がりを持っていた。会場が物音ひとつしない協力的な姿勢を貫けることができたのは、会場の聴衆のほぼ全員が、この音楽に思いを寄せ、演奏をリスペクトしていたからであろう。指揮者が腕を下ろすまでの長い時間(彼は第4楽章では指揮棒を持っていなかった)、会場は静まり返っていた。その時間は30秒も続いたであろうか。

やがて静かに拍手が始まり、2度目に指揮者が登場したときには一斉にブラボーが飛び交った。ホルンを始めとする管楽器の奏者をひとりずる立たせながら、満面の笑みを受かべて拍手に応えた。その風貌から、決して背伸びをせず、自身の「今演奏できる」マーラーをとことん演奏しきった充実感が感じられた。最近ではオーケストラが立ち去っても、ソロ・カーテンコールを促す拍手が続くことも多いが、今回はその人数も多く、この指揮者が今や大変な人気者になっていることがよくわかった。

多忙な日々を送っていると想像するが、来年にはついに「復活」がプログラムに上っている。今から楽しみである。

2024年4月26日金曜日

ラフマニノフ:交響曲第2番ロ短調作品27(ミハイル・プレトニョフ指揮ロシア・ナショナル管弦楽団)

昨年のラフマニノフ・イヤーに因んで、交響曲第2番を取り上げようと思っていたのに忘れていた。季節はもう4月。寒かった冬は一気に過ぎ去り、今ではもう初夏の陽気である。チャイコフスキーとはまた別の哀愁を帯びたロシアのメロディーは、やはり秋から冬にかけて聞くのがいい、と昔から思ってきた。寒い冬空を眺めながら聞くロシア音楽はまた格別の味わいがある。そんな季節は過ぎたけれども、今年はこの曲を取り上げないわけにはいかない。すっかり軽装でも寒くない夜の散歩にこの曲を持ち出し、夜風に吹かれながら耳を傾けている。これはこれで、なかなかいい。それにしても何と美しいメロディーなのだろう。

ラフマニノフが交響曲第2番を作曲したのは、大失敗に終わった第1番の初演から10年程度経ってからのことである。あまりの落胆のせいで精神を病んだ作曲家は、ピアノ協奏曲第2番の成功あたりから自信を取り戻し、政情不安を逃れてドレスデンに滞在していた際に2番目の交響曲が作曲された。サンクトペテルブルクで行われた初演は(ここは第1番の大失敗を経験した町でもある)大成功に終わり、大作曲家としての地位を確実なものとした。

以上は、この曲にまつわる話としていつも記されることである。全4楽章を通して聞くと、1時間程度の長さとなるので、規模は大きい方である(かつては通常、省略版で演奏されていた)。しかし全曲を通して大いに親しみやすく、長さを苦痛に感じることはない、と言える。特に有名な第3楽章は、いつまでも聞いていたいような美しい曲である。ラフマニノフは天才的なメロディー・メーカーだと思うのだ。

第1楽章の冒頭は、低い弦楽器の憂愁を帯びたメロディーで始まる。ここを聞くだけで、壮大なロシアの大地へと誘われるようだ。このチャイコフスキーとはまた異なる雰囲気は、ロシア独特のものに発してはいるが、それを超えて何か普遍的なムードも醸し出す。そしてこの主題のメロディーは、手を変え品を変え、後半の各楽章でも顔を出すのが特徴である。交響曲がひとつの叙事詩のようになって、一体化している。まあ素人はそのようなことを意識するわけではないが、時にさっき聞いたメロディーが回想風に登場するのは、まるで映画の回想シーンを見るようで効果的だ。

第2楽章はスケルツォ。何かが突き進んでいくような音楽がいきなり顔を出す。まるでパトカーが犯罪捜査に出ていくような映画のシーンのようだ。でもそれがひと段落して、憂愁を帯びた旋律が流れる(中間部)。再びパトカーが走り去ると、甘美なメロディーが突如として現れる。第3楽章アダージョである。すぐにクラリネットが長いソロを吹く。伴奏する弦楽器が緩やかに波のように寄せては返す。

この第3楽章を思いっきり甘く切ない演奏に仕立て上げると、それは実演で聞くには大いに効果的だが、ディスクで繰り返し聞く時には注意が必要だ。他の音楽でもそうだが、過度にロマンチックになると、食傷気味になってしまう恐れがある。これでは繰り返しの聴取に耐えられない。ここは少し知的な節度があることが望ましい。私が初めてこの作品に触れたのは、1993年に録音されたミハイル・プレトニョフの指揮した一枚。当時ソビエトが崩壊し、食うのにも困るモスクワのミュージシャンを集めて結成された民間オーケストラが、ロシア・ナショナル管弦楽団だった(民営なのに「ナショナル」となっているのは不思議だが、ロシアという国家、その文化に対するこだわりだろう)。

ピアニストだったプレトニョフが率いたこのオーケストラは、西側のレーベル「ドイツ・グラモフォン」にいくつかの録音を行った。その中の一枚がラフマニノフの交響曲第2番だった。私はリリースされたばかりのこのディスクを購入した。録音は秀逸で、演奏も洗練されている。そのあたりが好みのわかれるところで、もっと土着的なロシア風の演奏を好む人も多いのだが、私は上述した「ちょっとした不満」が残る演奏の方が長く何度も聞けるのではないかという思いから、このディスクを所持し続けている。そして、あれから30年以上が経過したが、今でも時々聞いている。

甘く切ないムード音楽で始まるのが第3楽章だが、まるでミュージカルでも見ているような錯覚に捕らわれる。ここの音楽を実演で聞く時の感動は、ちょっとしたものだ。何せクラシック音楽のプロが大勢集まって映画音楽の如きメロディーを歌いあげ、そこに12分も続くのだから。

物語は大団円を迎える。第4楽章は速いアレグロで、冒頭は祝典風。時折、前の楽章のメロディーも顔を覗かせ、音楽がまたも憂愁を帯びたかと思うと、再び行進曲風の高揚が繰り返されて気持ちが昂る。音楽に聞き惚れているうちにコーダとなる。ロシア音楽をロマンチックかつ都会的にアレンジした作風は、ラフマニノフの真骨頂だが、この交響曲第2番ほどその傾向が顕著で、しかも長く続く作品は他にないだろう。長くこの曲が聞き続けられ、愛されているのは当然のことと言える。

なお、プレトニョフのディスクには「岩」(作品7)という短い管弦楽作品が併録されている。

2024年4月24日水曜日

R・シュトラウス:歌劇「エレクトラ」(2024年4月21日東京文化会館、セバスティアン・ヴァイグレ指揮)

ちょうど桜が咲く頃の上野公園で開催される「東京・春・音楽祭」も今年20周年を迎えた。IIJの鈴木会長が主体となって始まったこのコンサートも、すっかり春の風物詩として定着、昨今は世界的なオペラ公演が目白押しで目が離せない。今年は何と「トリスタンとイゾルデ」「ラ・ボエーム」「アイーダ」それに「エレクトラ」の4つが上演された。

いずれの演目も大いなる名演だったようだが、その中で私は「エレクトラ」の公演に出かけることになったのは、いつものように前日のことだった。一連の音楽祭の最終日にあたる4月21日は、すっかり桜は散りはててはいるものの、多くの人出でいつものように大混雑。少し早く家を出て、東京国立博物館などにも足を運びつつ、15時の開演を待つ。休日午後の演奏会が14時に始まるものが多い中で、15時開演というのは大いに好ましい。14時だとお昼が慌ただしく、夜には早すぎるからだ。

R・シュトラウスの歌劇「エレクトラ」は、単一幕のオペラで休憩がない。100分もの間中、切れ目なく音楽が鳴り響くのは前作「サロメ」同様である。ただストーリーはより陰惨で救いようがなく、しかも主人公のエレクトラは終始舞台にでずっぱりであるばかりか、大音量で大声を張り上げる必要がある。そればかりか、その妹クリソテミスもまた、大変な声量が必要とされる難曲である。

私はこの「エレクトラ」に長年馴染めないでいた。数年前にMet Liveシリーズで映像を真剣に見たときも、不協和音だらけのとっつきにくいオペラで、それはシェーンベルクの「ヴォツェック」のような作品ではないか、とさえ思った。なぜか「サロメ」や「影のない女」のようにはいかなかった。そういうことがあって、ワーグナーにおける「トリスタンとイゾルデ」同様、この作品が私の前に立ちはだかっていた。

今年、オペラ体験の集大成として「トリスタンとイゾルデ」をとうとう実演を見たことは先日ここに書いたが、考えてみるとまだ「エレクトラ」が残っている。この作品はR・シュトラウスの作品の中で、唯一実演に接していない主要作品となっている。丁度いい機会が訪れた。「エレクトラ」はさほど人気がないのか、それともチケットが高すぎるのか、前評判がいいにもかかわらず多くの席が売れ残っていることがわかった。これは行かない手はない。いやここで行っておかなければ、後悔するとさえ思った。なぜなら「エレクトラ」の公演は、我が国ではまだ数回しか行われていないからだ(その数少ない上演史の中で、20年前の小澤征爾指揮による「エレクトラ」が「東京・春・音楽祭」の幕開けであった)。

開演時刻が来てオーケストラの団員が自席に着くと、その規模の大きさに圧倒される。管楽器のセクションだけでも6列。バイオリンは4パートもあり、さらにビオラから持ち替えて6パートにもなる。左端にはハープと打楽器が陣取っているが、3階席最左翼の私の位置からは見えない。やがて舞台には侍女たち6人がずらり勢ぞろい。指揮者のクリスティアン・ヴァイグレがタクトを振り下ろすと、いやそれはもう聞いたことがないようなすさまじい大音量が会場に鳴り響いた。

ベルリン生まれのヴァイグレは、2019年から読売日本交響楽団の常任指揮者に就任しており、もう5年目ということになろうか。お互い知れつくした間柄から見事というほかない音楽が、怒涛の如く流れ出すのは驚くべきことだ。そしてそれに負けじと歌う侍女たちは、いずれも我が国を代表する女性歌手たちで、みな奮闘している。この最初の数分だけで、興奮のるつぼと化した会場に、早くもエレクトラ(ソプラノのエレーナ・パンクラトヴァ)が登場した。

エレクトラはここでいきなり長いモノローグを歌う。その声量たるや、舞台上に陣取った大規模なオーケストラが大音量で鳴り響いても、なおそれは3階席までも十分届くもので、さらに驚異的なことには、そのボリュームを幕切れまで維持するという離れ業である。パンクラトヴァはロシア生まれの歌手で、世界各地の歌劇場で主役を歌うディーヴァだが、プログラム・ノートが配布されておらず、そのような記載はオンライン検索しないとわからない。音楽祭の全公演を網羅した分厚いプログラムを購入すれば、少しは掲載されているのだろうけれど、それでは興味ない公演のものも掲載されていてちょっと冗長である。

続けよう。次に登場したのがエレクトラの妹、クリソテミス(ソプラノのアリソン・オークス)である。英国人の彼女は、さらに驚くべきことにパンクラトヴァ以上の大音量で、聞くものを圧倒した。その声量は、まるでもうひとりエレクトラがいるのでは、と思わせるほどだったが、彼女は姉と違い、あくまで女性としての幸福を願ってやまない。姉から母への復讐を持ちかけられても、頑なに拒否する。

この劇の前半はすべて女声である。続いて登場するのが母親のクリテムネストラ(メゾ・ソプラノの藤村美穂子)である。彼女も何年もバイロイトで歌ってきた我が国を代表する女性歌手で、その歌声はお墨付きだが、夫を殺害し娘から復讐を企てられている悪役としては、ちょっと物足りない。いや、何というか、悪役になりきれない上品さが、ここではちょっと役柄に合わない、というか。ただそれは極めて贅沢な話で、歌唱そのものは圧巻であり、二人の娘に交じって壮絶なドイツ語の歌唱を披露する。

3人の主役級の女声陣が登場して、丁々発止の会話に巨大なオーケストラが盛り立てる。クリスティアン・ヴァイグレという指揮者を聞くのはわずかに2回目で、あとはMETライブで「ボリス・ゴドゥノフ」を見たくらいだが、この指揮者はこうも身振りの激しい指揮者だったかと思った。全身全霊を傾けて100人以上はいるだろうオーケストラをドライブする様は、それだけで見とれるのだが、歌手の見事さに耳を奪われ、さらには字幕を追わなければならないので非常に疲れる。シュトラウスの音楽が聴衆にもドッと押し寄せて、こちらの体力を試すかのようだ。まさに会場と舞台ががっぷりに組む真剣勝負である。

音楽が切れない。登場人物が入れ替わるわずかの時間に、オーケストラにスポットライトが当たる。シュトラウスの音楽は、この作品ではいつにも増して豊穣で急進的、緻密にして描写的である。歌詞のひとつひとつに合わせて、楽器がその事物を即物的に表現する。だから陰惨な話がよりヴィヴィッドに展開される。演奏会形式ではあるものの、歌詞を追うだけのであるにもかかわらず想像力が掻き立てられる結果、かえってそのおぞましさが強調されているようにも感じる。オーケストラが舞台上にいる、というのもある。

姉が復讐殺人の実行犯にと考えていた弟のオレストは、馬に惹かれ死亡したと告げられる。なら妹と二人で実行するしかない。しかしここでも妹はあくまで拒否。失望するエレクトラは、もはやひとりで実行するしかないと腹をくくる。そこに見知らぬ男が現れる。それこそ友人に扮した弟オレスト(バスのルネ・パーペ)だった!

ここの音楽は全体のクライマックスのひとつだろう。陶酔に浸るエレクトラ。この時点でもう舞台は半分以上が経過している。ひとり譜面台を観ながら歌ったパーペだが、彼の活躍を知らない人はいないほど有名な歌手だ。数々のビデオ、CDあるいは各地の公演で私もその存在をよく知っているが、実際に聞くのは初めてである。舞台に初めて男声が響く。うっとりするほど綺麗な低音である。脇役にもこれだけの大歌手が揃っているのは、見事というほかない。

とうとう復讐を実行するときが来た。このシーン、あまりに凄惨である上、オペラでないと見てはいられない話(もとはギリシャ悲劇だが)である。おそらく虐待されて育ったであろう長女が、父親を殺されたその場面を見ていたというくだりだけでもおぞましいが、それを殺った母親とその情夫エギスト(テノールのシュテファン・リューガマー)に復讐するというのは現代でもある話である。そのようなニュースを聞くことはつらく怖いが、そういう話は大昔からあって、それが舞台になっている。それに生々しい音楽が付いている。

ただ実際の舞台でもさすがにこのシーンは場外で行われることになっていて、その状況が逐一告げられ、それを聞きながらエレクトラが舞台上で歌う。断末魔の叫び声が舞台裏から響き、歓呼の声を上げるエレクトラとクリソテミス。ここから歓喜の踊りに狂う最後のシーンは、興奮を通り越し、もう何が何やらわからないようなだった。舞台が一層あかるくなり、指揮者の身振りがさらに大きくなって、ぐいぐいと音楽が進む。そしてそれが頂点に達したところで舞台の照明が一気に消され、幕切れとなった。

圧倒的な歓声に包まれた会場は、早くもスタンディングオベーション。最前列から5階席後方に至るまで、ブラボーの嵐となった。順に舞台に登場する歌手陣、指揮者、合唱団、それが何度も繰り返され、カーテンコールは20分近くに及んだ。出演した人はみな会心の出来ではなかっただろうか。満面の笑みをうかべて喝采に応えているその表情は、この音楽祭の最終公演に相応しい素晴らしい瞬間であった。

全身が硬直していた。外に出ると小雨が降りだしており、火照った頬に当たるのがわかった。

ブラームス:「大学祝典序曲」ハ短調作品80(ブルーノ・ワルター指揮コロンビア交響楽団)

いまの大学入学共通テストが共通一次試験と呼ばれていた頃、理数系の大学を目指す受験生として私が毎晩耳を傾けていたのが、旺文社の提供する「大学受験ラジオ講座」だった。この番組は全国のAM局でも放送されていたが、私が専ら聞いていたのは日本短波放送(ラジオたんぱ。現、ラジオNIKKEI)...