
それはオペラという音楽上の形式がどのような歴史的時代背景をもとに確立され、大衆化していったかという音楽史の知識である。もちろんこれらは双方に絡み合っているので、ひとつだけを切り離して理解できる代物ではない。まさにオペラが「総合芸術」と言われる所以でもある。
ではそのような音楽上の基礎的教養とも言うべき部分・・・音楽と歴史や文化に関係する総合的な知識・・・それはもちろん西洋の、特にルネサンス以降近代までの・・・を素人向けにわかりやすく解説した本があるだろうか、と調べたら、昔は沢山あったようだが最近はてっきり見かけない。これはクラシック音楽が「教養」と見なされていた時代(それは明治以降、1960年代あたりまで続いた)の反省(というか反作用)によって、音楽をむしろ個人的な感性で語ることが主流になってしまった昨今(もちろんそれは間違っているのだが)に特に顕著な傾向で、そもそも西洋音楽の背景に乏しい我が国では、だからといって是正されるわけではなく、クラシック音楽は「教養の中心」から「オタク的趣味」へと変貌してしまった。
これは必要不可欠なものに触れる機会を逸してしまうという点で大変残念な傾向であり、それが欠如した音楽鑑賞などありえないということに気づく機会をも喪失してしまっている原因となっている。そういう意味で、「オペラの運命」は音楽鑑賞上の基礎的知識を(音楽上の側面ではなく、文化や歴史との関わり合いにおいてのそれとして)概観できるという、 最近にはめずらしいがむしろ本来「新書」とはそういうものであったはずの書物であり、しかも古臭くてお仕着せがましい権威主義の衣装を着ていない新鮮さと、説得力のある文章のお陰で、読み進めるのが楽しい一冊である。
ここで語られるのは、バロック時代に端を発するオペラの成立から、フランスのグランド・オペラの形式を経てイタリアに渡り、そこで開花して隆盛を極めたオペラの上演史とでも言うべきものである。読者はこの経験が、通常の音楽史、すなわちどちらかといえばドイツ寄りの音楽史の知識とは別の脈路が、歴然と存在するという事実に心を奪われる。もしかすると大切なもう片方の足を忘れたままで走っていたのか、と気付かされるようなものである。
管弦楽中心の音楽はそれほどにまでドイツの重みが大きいが、オペラとなるとワーグナーについて語られる程度で、そのことが読者を混乱させ、もしかすると落胆させる。だが私にとっては新鮮なパンチであった。いままで知りたくても適切な書物にめぐり合って来なかったゆえに、私の音楽鑑賞上の知識から、フランスからイタリアに至るオペラ形式上の変化や展開については、あまりに遠い存在だったのである。
そういう知識を得た後では、ただ「感想文」を書き続ける音楽評論家の、何と虚しい文章が多く氾濫していることか。そしてThe MET Live in HDシリーズで毎回注目の幕間のインタビューが、いかにオペラを多角的に捉え、その中での新しさの追求に余念がなく、その最先端上で歌手や指揮者が取り組んでいるかを知る手がかりとなる。私にとっての音楽鑑賞は、素人の趣味の域を出るものではないが、そういう人こそ本書で基礎的な知識を得て、趣味を広げるきっかけにすべきだと思った次第である。
第一章 バロック・オペラへの一瞥、または、オペラを見る前に
第二章 モーツァルトと音楽喜劇、または、オペラの近代化ここに始まる
第三章 グランド・オペラ、または、ブルジョアたちのベルサイユ
第四章 「国民オペラ」という神話
第五章 あらゆる価値の反転、または、ワーグナー以降
冒頭でオペラは「絶対王政」の時代を背景に始まったと説く。バロックのオペラの水戸黄門的ハッピー・エンディング(保守的幸福感)とあらすじの荒唐無稽さの起源がここにあったのだ。しかし市民階級が勃興するにつれ、オペラが市民化し、その中で彗星のごとく登場するのがモーツァルトなのである(グルックに対する評価は、意外に低い)。
モーツァルトの音楽史における登場は、なるほどオペラを軸に考えるとわかりやすい。しかしイタリア語のオペラを数多く残したモーツァルトも、オペラの世界での後継者となるとわかりにくい。その頃オペラの中心地はパリに移っていたからである(音楽の中心地はウィーンとパリである。バロック時代はヴェネツィアだった)。ここで登場するマイアベーアなどの代表的作曲家とその作風(すなわちグランド・オペラ)について、本書は多くを割いている。しかもそれがドニゼッティやロッシーニなどのベルカントを経てヴェルディへとつながる流れが、大変よくわかるのである。ここにはシューベルトやシューマンなどドイツの作曲家はほとんど登場しない。
ドイツの「国民オペラ」はウェーバーが確立し、そのあと間をおいてワーグナーの登場となるが、このワーグナーに触れた部分も注目に値する。ワーグナーが目指したメルヘン的世界の誇大妄想的な絢爛豪華さは、グランド・オペラに起源を持つというのである。一方、イタリアの巨匠ヴェルディについては、やや不満ながらあまり多くが語られていない(同様にプッチーニについてもそうだが)。
筆者によれば、ワーグナー以降のオペラについては、あまり語るべきことがないのかも知れない。それはあのオペラの毒々しい雰囲気がもはや失われているからだろう。その理由も本書は示されるが、本書はそのオペラが今後どこに向かうかについて、明快な記述を避けている。前半の記述が優れているのは、筆者の思いがそこに注がれているからだろう。そういう視点から見れば、ワーグナーは肥大化したオペラが行き場を失う直前の、いわば絶滅前の恐竜のような存在だということになる。そして彼が夢見た世界が、絶対王政時代の懐古趣味だった、というのである(ワーグナーは自ら「王」になったと筆者は述べている)。
だから私は読み終えて、オペラの運命に悲観的だ。現在でも新しい演出で多くの作品が演じられてはいるものの、長い目で見てこれだけ大掛かりな芸術を維持しているだけの知恵と余裕を、これからの人類が持ち続けるだろうか。オペラという投資対効果無視の歌芝居が、近代化の過程で丸で間隙を縫うように咲いたあだ花のような存在だとすれば、それを舞台やビデオで触れることができる現代の我々は、むしろまだ幸福な部類に入るのかも知れない。
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