
前作の「ワルキューレ」が女性の成長物語だとすれば、この「ジークフリート」は男子のそれであって、ワーグナー特有の神話だの、神々だの、といったまわりくどい対話が延々と続く割には、テーマをシンプルに捉えて自分に照らし合わせてみたり、なかなか素人でも楽しめるストーリーである。音楽の美しさも小鳥のさえずりや剣(ノートゥンク)の鋳造シーンなど、あっけにとられるほど見事である。
声も年齢も「怖れ」を知らない若者の性格も、この逞しい主人公の輝きに相応しい性質だが、ではこのオペラがそれだけの魅力を持つ作品にすぎないのか、と問われれば答えはやはり違ったものになるだろう。丁度強すぎる光が、まわりの暗さを強調するように、このオペラの影の魅力があるからだ。
それはジークフリートの周りに登場する小人族の養父ミーメ、ヴォータン扮するところの祖父であるさすらい人の二人である(さらには大蛇に化けたファーフナーとミーメの兄アルベリヒもいわば「悪人」で、影の存在としてジークフリートを強調する)。ミーメとさすらい人が、ともに重量級の役者でないと、このオペラは引き立たない。そして今回のルパージュの演出による「ジークフリート」は、その意味で成功と言える。
ミーメは、小心者で小賢しい存在だ。モーツァルトの憎めない三枚目役とは少し異なるが、どこにでもいるような性格の持ち主で、その俗っぽい性質が際立てば際立つほど、ジークフリートの真っ直ぐな性格が浮き彫りになる。そしてそのミーメ役に起用されたジーゲルは、まさに当たり役と言っていいほどの出来栄えで、この作品の成功の第一の鍵はここにあると思う。
ヴォータンとさすらい人を演じるターフェルも、実に堂々とした雰囲気だが、神々の長というよりは世捨て人としての風貌が意外にも好感を持てる味わいであった。孫との1回きりの出会いのシーンは特に印象的で、威厳とそれをもはや誇示しない老境の雰囲気に私は何ともいえない淋しさを感じた。こないだまで若手歌手のホープと思っていたターフェルも、今や大役をこなす重鎮である。
ブリュンヒルデ。彼女が目を覚まし発する第一声が、このオペラの最大の見所のひとつでもある。18年以上もの眠りから冷めた彼女は、4時間以上もフルパワーで歌い続けたジークフリートと初対面する。大変なのはもちろんジークフリートだが、ブリュンヒルデがここでつまらなかったらいっかんの終わりである。だがボイトの声は広いメトの会場に響き渡り、存在感といったらちょっとしたものだ。アメリカ人としての彼女の雰囲気は、先日見た「西部の娘」の印象がどうしても拭えないのだが、まあそれは仕方がない。
さてジークフリートである。世界でも数人しか満足に歌えないこの難役に抜擢されたのは、何と数年前まではセントラル・パークでローラーブレードを売っていたジェイ・ハンター・モリスという若い歌手で、この役がほとんど初めてなら、メトで舞台に立った経験もほとんどないという経歴の持ち主である。アメリカンドリームを地で行くようなこの成功物語をモリスに託したメトのマネージャも大したものだが、彼はその期待に見事に応えたのではないかと思う。何せ病気の代役である。しかし彼はまじめで入念にこの役を練習し、その舞台稽古の様子はメイキングドラマに記録されている。そのさわりが上映されたが、これはなかなか面白い。
彼は前週の「ドン・ジョヴァンニ」の幕間のインタビューにも登場し、そのときは何とも固い表情で無難に質問に応えていたが、今回の舞台での彼はその表情からは何枚も皮の剥けたようなところがあって、まさに開き直りの全力投球だったのだろう。周りのサポートも好意的に見えたし、それははじめての主役級をこなす新人歌手へのプロとしての気遣いのようだった。
ジークフリートの歌への集中が、舞台上での演技という点をややぎこちないものにしたという印象はあるものの、大蛇も倒した怖いもの知らずの若者が女性!と初めて出会って動揺するあたりは、大変印象的だった。ただ、私は初めてこの作品を見たブーレーズ&シェローのビデオでは、何かもっと印象的だったような気がする。もう記憶が薄れ、もしかしたら初めて接するこの作品にただ圧倒されていたからかもしれない。舞台の本番と、ビデオ用のセッションを単純に比較するのも良くないと思う。
舞台一列に設けられた何枚もの細長い板が、縦に回転しつつ風景を表現するルパージュの演出は、見ていて飽きない楽しさがある。そこに本作品では小鳥をはじめとする3Dの効果が加わった。本当に鳥が飛んでいるような感じも良いが、それが音楽に同期しているのである。広い森や洞窟で小鳥に導かれて怪獣のような大蛇を倒す第2幕は、なかなかの見物であった。水たまりや滝のように流れ落ちる水も上手く表現されていて、そういうことを考えている間に時間は過ぎる。
体調不良のレヴァインに変わって指揮台に上ったルイージも堅実な音楽作りで、驚きはないが不足もない。メトの舞台が一生懸命にリリースする超大作の数々は、それがたとえ議論を呼ぶものであったとしてもそれなりに大したものである。観衆が音楽の終わるのを待たずに拍手を始めるのも、まあアメリカ風で許すとするか。
(2011/11 東劇)
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