
だがそれより以前にオペラは誕生し、数多くの作品が上演されていた。バロック時代のオペラである。バロック・オペラと呼ばれるジャンルは、その予定調和的で体制順応的なハッピー・エンド・ストーリーと、小規模で女声を必要としない歌によって、近代以降は遠ざけられ、博物館でしか体験できないものの類に分類されていたと言って良い。だが時代は変わり、今では何とバロック・オペラ・ブームと呼ばれる状況になって久しい。
背景にはいわゆる古楽奏法によって、バロックの音楽が音響的に新鮮さを取り戻したという影響が大きい。しかしCDで聴くのと違い、4000人クラスの大規模歌劇場でとなると、とてもヘンデルのオペラなど演奏できる代物ではない、と考えられていただろう。ところがメトは、何とその上演に成功したのである。有名なヴェルディやワーグナーの作品に勝るとも劣らないブラボーの嵐なのである。これには私も驚いた。
バロック・オペラだからと言ってオーケストラが違うわけではない。メトロポリタン歌劇場管弦楽団はちゃんと2台のチェンバロに合わせてバロックの響きと化していた。指揮は英国人のハリー・ビケット。彼はこの大規模劇場においてもなお新鮮な古楽的音色を見事に再現して見せた。演出はスティーヴン・ワーズワースという米国人で、舞台は台本通りではなくヘンデルの生きていた時代に移している(だが、そんなことは素人にはどうでもいいくらいに、やはり古い)。
表題役はルネ・フレミングで、彼女は2年前にもこれを歌ってているようだが、その理由のひとつが子供を持つ母親の心境に共感するからであることは、インタビューにおいて示唆される。だが彼女の出番は、他の表題役に比べると多い方ではない。むしろ夫ベルタリードの訃報に接した彼女に、継承した王位を濫用して言い寄るグリモアルド(ジョセフ・カイザー)や、グリモアルドのいいなづけでベルタリードの妹でもあるエドゥイージェ(ステファニー・ブライス)には、実力派としてのアリアが多い。
さて、王ベルタリードは、実際は死亡したわけではなく生きていたのだが、彼は何とグリモアルドによって捉えられ、投獄されてしまう。えっ?なぜ王が逮捕されるの?と私は混乱し、これは最後まで続いた。話は荒唐無稽で、あとから振り返って見れば、母親による夫と子の救出劇ということがわかる。誰かが刺されて死んだ所で、そこに流れるのはバロック音楽である。音楽の起伏は、実際あるのだが、歌詞を追って聞いていないとよくわからない。その歌詞は、通常アリアにおいて2回も(!)繰り返される。
このオペラを理解するには、時代背景への理解が欠かせない。それはミラノのあたり(ロンバルディア地方)が兄弟によって分割統治されていた、という史実である。それによって、奇妙な兄弟の争いがオペラ化された。ドイツに生まれ、イギリスに帰化したヘンデルだが、音楽はイタリア仕込みである。音楽史上最大の国際的作曲家としてのヘンデルの、まるで澄み切ったミネラル・ウォーターのような音楽が、最初から最後まで耳を覆う。
同じ内容で3回歌われる各アリアの歌詞も、実際にはそうとは気づかずに心地よく聞き惚れてしまうのは、歌に付けられる表情が毎回異なるからである。このようなテクニックによって、3時間を超える長さを何とか耐えることが出来る。そして登場する歌手の中に、カウンター・テナーが二人もいることが見逃せない。一人はロダリンデの夫ベルタリーデを歌うアンドレアス・ショル、もう一人はベルタリーデの友人ウヌルフォを歌うイェスティン・デイヴィーズである。バロック特有の彼らのの実力を評価できるほど私はこのパートのことを良くは知らないが、彼らが非常な喝采を受けていたことは見逃せないし、貴重なインタービューも興味深い。
この作品は、バロック・オペラであってもメトのような大規模な歌劇場で上演可能であることを存分に示した。ビデオで鑑賞することによって、衣装や細かい動きにまで見入ることができる。だが、ヘンデルの他の作品にまで積極的に聴いていこうとまでは思わなかったのも事実である。歌の技巧が大変なレベルにまで達しているが、それもまた聴き方というのがあるのだろう。玄人好みの作品というべきだろうか。
(2012/01 東劇)
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