
だが話が進むに連れて、この問題提起が曖昧になる。歌は美しく、バレエもあるフランス風のオペラで、それもそのはず、ゲーテの「ファウスト」が問題とした部分が展開されてこないのは、第1部のみのオペラ化だからである。つまり本作品は、「ファウスト」を題材としているにもかかわらず、娯楽作品としてのオペラの枠を守りぬいている。そしてそのことがかえって、このような問題ある演出を中途半端なものにしてしまったような気がする。
核、あるいは原子力との関連付けを思いついた演出家のデス・マッカナフは幕間のインタビューで、やはり有名な物理学者が長崎を訪れたエピソードに触れている。けれども「ファウスト」を一種の娯楽作品として作曲したグノーの音楽に、この演出は相応しいかどうかは意見が分かれるだろう。そしてその問題・・・グノーの「ファウスト」は果たして「ファウスト」か・・・は、これまでにも幾度と無く議論され、文豪を生んだ彼の国ではこれを「ファウスト」であるとは認めていない。
しかしグノーはゲーテの熱心な読者であったし、「ファウスト」を熟読していたことでも知られている。だからこれはグノー流の長い考察と工夫の末に編み出された、彼流の「ファウスト」のオペラ化である。その音楽はフランス風の美しい歌で彩られ、見所も多く、従って上演される機会もまた多い。
私はといえば、しかしながら有名なバレエ音楽しか知らなかったことも、また事実である。そして今回の上演を見ても、なんとなく聞き所を思い出せないのはなぜだろうか。物語が進むに連れても、あまり興奮を覚えなかったし、ヴァルプルギスの夜という酒池肉林の騒ぎのシーンも、いつの間にか通りすぎるという有様だった。ここでも演出に問題があったのだろうか。最終幕で「キノコ雲」が現れたり、妊婦が子供を産んで殺すシーンなどもあったことは良く覚えているが。
歌については、これはもう大変充実していた。筆頭はメフィストフェレスを歌ったルネ・パーペで、貫禄といい歌といい申し分がない。本上演が成功だったとすれば、その功績の半分は彼にあるとさえ思う。そして指揮のヤニック・ネゼ=セガン。モントリオール生まれのこの若手指揮者は、今やメトのフランス物の最右翼であろう。ソプラノはロシア人のポプラフスカヤ。主人公のひとりマルグリット役としては、容姿の点でも申し分ないが、歌は好き嫌いがあるかも知れない。
ファウストはヨナス・カウフマンで、若き青年に蘇った彼は、何とも魅せる。老学者との対比も面白いし、歌の点でも素晴らしかった(と思う)。だが何度も言うように、全体の焦点はぼけた感じが否めず、ストーリーや音楽をほとんど知らない者にとって、楽しめたかと言われれば若干減点を付けざるを得ない、というのが正直なところだ。結構評価は高いようだが、それだけに個人的にも大変残念である。CDでも買って音楽を聞き直し、再度チャレンジしようか、などと思いながら寒風の中、家路を急いだ。
(2012/01 東劇)
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