2012年2月4日土曜日

ドニゼッティ:歌劇「ドン・パスクワーレ」(The MET Live in HD 2010-2011)

昨日の夕方に「ルチア」を見たばかりだと言うのに、今日の朝の上映が「ドン・パスクワーレ」である。同じドニゼッティの作品だし、続けて見るのもつらくなってきたので、今日はパスしようと思っていた。けれども家族は「行ってきたら」と言ってくれる。そういう時は滅多にない。いくら有名なオペラ作品でも熱中して見る機会となると、一生に一度あるかないかである。

というわけで連日のベルカント・オペラと相成ったのだが、これが期待に反して素晴らしい。この1週間で立て続けに見た6つの作品の中で、これはもっとも楽しめた作品であった。あらすじも、そしてひとつの歌も知らないのに、である。

 同じドニゼッティとは言っても「ルチア」がオペラ・セリアなのに対し、「ドン・パスクワーレ」はオペラ・ブッファである。悲劇的なストーリーで歌われる内容は悲惨で残酷な「ルチア」は、やはりどこか違和感がある。悲劇性を強めれば強めるほど舞台は暗くなるが(場所がスコットランドであることにもよる。しかも幽霊が出る)、奏でられる音楽は変わらない。デセイが「喜劇の方が難しいが、悲劇の方が自由に歌える」と言っていたのを思い出した。だがデセイは狂乱のシーンを計算した通りに演じるのだ。計算された取り乱しシーンは、そうとわかればわかるほどやはり違和感がある。

それに比べて「ドン・パスクワーレ」の喜劇的ストーリーは素晴らしく綿密に計算されて、ドニゼッティの音楽の魅力がストレートに伝わってきた。早口で重唱となるシーンもいくつかあるが、カヴァレッタの続くロッシーニとは異なりもう少しドラマ性がある。見事なのはクラシックな演出のオットー・シェンクである。まだこの人の演出が使われているのかと思ったが、その舞台のわかりやすく必要十分な配置と展開は、歌手も演じやすいのではないかと思われる。

ジェームズ・レヴァインの意外にも初めてというこの作品への取り組みが、この公演の成功の多くを占めていたようだ。ぴたりとルチアに寄り添い、時にはテンポを抑えた「ルチア」でのサマーズと異なり、レヴァインは作品の性格をグイグイと引き出す力強さが健在だった。歌手が指揮者を信頼しきっているからこそ、このような音楽が可能なのだろう。その見事な歌手陣は、リノーラを歌ったネトレプコ、エルネストを歌ったポレンザーニ、医者でマラテスタを歌ったクヴィエチェンなどで、いずれもトップクラスの出来栄え。ネトレプコは最初イタリア語の発音に少し違和感があるかと思いきや、偽装結婚により悪女と化し、徐々に迫力を増すシーンはさすがに凄いと思った。彼女は悲劇を演じることが多いが、喜劇の方が似合うような気もする。

 だが主役はもちろんドン・パスクワーレで、それはバスバリトンのプレンクという歌手によって歌われたが、彼の演技を含めた素晴らしさは上記の歌手に勝るとも劣らない。第3幕でマラテスタとの早口な二重唱に至っては、場の展開の合間に後半部分をアンコールするというオマケまでついて会場は沸きに沸く。あっという間の3時間が短く感じられ、ええ、もう終わってしまうの、という気持である。

こうなったら来週はロッシーニ「オリー伯爵」も見ておかねばならないではないか。台風による豪雨が去って、少し気温が下がったように思われた築地の町に出たがまだ午後2時である。なぜ今まで見に来なかったのかと悔みかけたが、よく考えれば昨年まではいろいろあって、それどころではなかったのだろうと思いなおした。だからこそ今年は、アンコール上演を含めてできるだけ多くの作品を見ておこうと決意を新たにした。

(2011/09 東劇)

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