専門家ではない立場では、かえって言いやすいことがあると思う。この交響曲について勝手なことを言うとすれば、この曲はベートーヴェンよりもモーツァルトに近いハイドンである。第1楽章を聞いてそう感じた。
その理由がどこにあるのかはよくわからないが、一つだけ強いて言えば、音程が隔たって上昇したりするあたりである。モーツァルトは音が急上昇、急降下するが、それが独特だと思っているからである。序奏がしっかりとついているのも久しぶり。第2楽章は静かなメロディーだ。ピチカートの強弱に聞く方も注意を向ける。同じことは第3楽章のメヌエット中間部に挟まれたトリオ部分もそうだ。ハイドンは(他の作品でもそうだが)、聴衆の耳を集中させるための工夫を繰り返し施している。快活な両端楽章に挟まれた2つの楽章の聞きどころを緊張感を作り出すことで保持しているように思える。
とすれば両端の楽章はこれらに対する緩和の中で迎える。もちろん演奏がおろそかにされているわけではない。むしろ気持ちが外に向かうという意味である。この曲の第4楽章も少し特徴的だ。早い小刻みなリズムは小鳥がさえずるような感じで、そこに合わせて奏でられるメロディーが一種独特な感じをもたらしている。
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