2012年7月7日土曜日

ハイドン:交響曲第55番変ホ長調「校長先生」(鈴木秀美指揮オーケストラ・リベラ・クラシカ)


1774年の作品であるこの曲は、どういわけか「校長先生」などというタイトルがつけられているが、その理由は定かでないし、音楽が「校長先生風」というわけでもない。そもそも校長先生というのは、私の経験でいえば、飛び抜けた存在で、それがかえって風変りな印象を与えていたのだが、でも原語のドイツ語によれば、単に学校の先生という意味でもあり、いけずで乱暴か、といえばそうではないし、教養があって威厳があるか、と言われるとそうでもない。

このような標題は聞き手にいらぬ想像を掻き立てることとなるので、あんまりこだわらない方がいいと思う。そしてそういう雑念を極力取り払って聞いてみると、この第55番はなかなかいい曲である。順に見ていこう。

冒頭の4つの強い和音から、私は一気にハイドンの楽しみに順化した。ここで聞くハイドンは、ヨーロッパ中で人気者になりつつあった田舎の作曲家が、飛ぶ鳥を落とすがごとき勢いで作曲にまい進している姿を思わせる。それまでの試行錯誤の段階の作品とも、あるいは後年、人気が確固たるものとなった時点の有名作品とも違う、もっと素朴な楽しさに満ちている。

冒頭のリズムが繰り返されるたび、これが再現部か、あるいは反復か、などと考えていたが、もうそんなものはどうでもよくなっていき、気がついてみるとハイドン音楽に見事に取り込まれているのである。わずか10分足らずの、しかし見事な第1楽章だと思う。

それに対して、続く第2楽章以降は、何かとても静かな印象である。特に第2楽章では、小刻みなリズムがなんとなくコケティッシュなダンス音楽にも思えてくる。第3楽章のトリオ部分は、過去の作品でもしばしば登場したものだったが、ここでは何か懐かしく感じられると同時に大変ユーモラスである。

第4楽章の、少し中途半端な感じは、この楽章が変奏曲になっているからで、このような曲はベートーヴェンだと「英雄」で、あるいはモーツァルトだとヴァイオリン協奏曲で、その後の作曲家でもしばしば見受けられる手法である。あえて大団円ではない、すっと終わるのが、またいい。

鈴木秀美と彼のオーケストラは、ここでも最高ランクの名演である。古楽奏法がこれほど美しく溶け合い、耳に心地よい響きとなること、それを日本の団体がさりげなく実現していることに感嘆する。録音もいいので、何枚かそろえておくのは十分に価値がある。

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