
この作品はなぜかとても聞く気にならない作品である。それまでの作品とは違う印象があるのは事実だ。例えば第1楽章の冒頭も、メロディーが流れるような感じで、いわばイタリア風とも言うべきか。音と音の差を音程と言うが、続く音との音程差が少ない。度数という言葉があるが、これが小さいということだろう。そのような音楽は、古典派の中でも後期、つまり初期ロマン派の雰囲気を醸し出す。だから私はこの作品が、ハイドンの作品の中でも何か区切りのような作品のようにも思えてくる。
だがその音楽が何度も聞きたくなるような曲かと言われると、少なくとも私に関する限りそうではない。その後の多くの作品を知っているからか、平凡で面白く無いのである。だが、そう言ってしまうとハイドンに申し訳ないような気がする。
第2楽章がとても長く感じる。そして第3楽章もこれという特徴が感じられない。第4楽章に至っては、せっかく始まった音楽が途中で停滞し、流れが阻害される。そういうわけで、私はこの曲について何を書こうかしばし中断を余儀なくされた。そのような曲がり角の作品がハイドンにはいくつかある。それもこれもハイドンが交響曲の世界で続けた飽くなき追求心の間で、結果的には成功とは呼べないまでも、実験的な作品を次々生み出していった過程に生じる、過渡的な(しかしかなり大胆な試みを持った)成果だからだろう。
さて、ここで専門家の力を借りよう。この曲における特徴は以下の様なものである。
・第1楽章の主題がアルペッジョであること。Arpeggioとは和音の構成音を順番に弾いていくことで、私の「流れるような」印象はこのことか。またピチカートが多用されている。
・第2楽章の最後に指定されたコル・レーニョ(col legno)奏法。これはバイオリンの弦を弓の背中で弾く。
・第3楽章はスコルダトゥーラ(scordatura、変則調弦)が利用されている。本来の調とは異なる調に調弦し、そのまま引くと違う音になる。
・第4楽章は中間部にAdagio e cantabileが置かれ、第2の緩徐楽章ともいうべき部分がある。
というわけで、様々な実験がなされていることがわかるのである。
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