
ほとんど毎週のように新曲を発表しなければならなかった当時の作曲家は、ある作品に使用した曲をアレンジするか、もしくはそのまま別の曲に転用することは頻繁に行なわれていた。歌劇の序曲が交響曲になることもしばしばだが、これは序曲がシンフォニアと呼ばれていた時代もあったので、当然と言えば当然である。バッハの作品にも数多くある。そしてハイドンのこの時期は、まさしくオペラ多作時代であって、次の63番などは使い回しの代表例のような曲である。
62番の交響曲は親しみやすさがこの曲の魅力であろう。第2楽章が3拍子で舞曲のような曲も何か陰影の富む感じがして、モーツァルトやベートーヴェン、あるいはシューマンに繋がっていく感じ。第3楽章も3拍子でこれはメヌエットだが、トリオもあってやはりどこかで聞いた感じがするのだが、錯覚だろうか。終楽章はアレグロでそれまでの曲とのバランスがいいのですっと耳に馴染む。
61番と同様に、聞いていて楽しい曲だが、どうしてもこの曲でないと、という感じはない。従って数多くあるハイドンの交響曲の中で、特に取り上げるべき作品かと問われれば残念ながらそうではない。ここがハイドンの難しいところで、数が多いだけに有名な、あるいは重要な曲に埋没してしまうが、埋没した作品が客観的に見て劣っているわけでは決してないと思う。だが人生には限りがあって、忙しい現代人の生活の中でわざわざハイドンの第62番目の交響曲を聞く時間は、そう多くはない。で私はこの曲を、世界最初にハイドンの交響曲全集をリリースしたドラティ指揮のフィルハーモニア・フンガリカの演奏で聞いてみた。溌剌としたいい演奏だと思う。
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