これまでベートーヴェンの交響曲を一つずつ取り上げ、その作品に対する思いと、好みの演奏について書いてきた。30年以上に亘って趣味としてきたクラシック音楽の、その中でも最高峰とも言えるベートーヴェンの交響曲について、これだけ一度に文章にしたのは初めてだし、意識的には避けてきたことをついに果たしたという思いはある。だが、これもひとつの通過点に過ぎないのだろうと思うし、これからも多くの名演奏に出会い、新たな発見をそれなりにするはずである。
思うに「決定的な演奏」というのは存在しない。そのような演奏に出会っても、またしばらくたつと別の演奏で聞いてみたくなる。それがクラシック音楽だと思う。
無数にあるベートーヴェンの交響曲のディスクを取り上げるにあたって、私はひとつの方針を決め、それに従って書いてきた。その方針とは各曲に関して、まず曲の魅力を語ること。それに続いて、3種類のディスクに限定して、お気に入りの演奏を取り上げることである。3種類とは、すなわち次のようなカテゴリーである。
(1)主として1990年代以降に登場した「新しい」スタイルによるベートーヴェンの演奏
その多くがジョナサン・デル・マー改訂のベーレンライター版による楽譜を採用し、古楽器奏法の影響が見られる演奏。
(2)おおよそ私がクラシック音楽を聞きはじめた70年代以降に登場した、ステレオ録音(多くがデジタル録音)による演奏で、(1)に属するものを除いたもの
これは私にとって、もっとも同時代的な、そしてベートーヴェンの音楽の魅力を知る上で中心的な役割を果たした演奏が中心である。これはまたLP時代の終わりからCD時代にかけての演奏となる。
(3)1960年代以前の「歴史的」演奏
(2)より前に録音され、すべて私はディスクを通してのみ触れた演奏で、しかもその価値は今でも変わらないもの。モノラル録音も多いがCDとしてリマスターされ、音質は改善されている。
何せ、ベートーヴェンの交響曲のディスクは映像も含め、限りなく多いため、すべてを聞いて判断することは不可能である。だがそれなりに沢山の演奏を聞いてきたので、私の好みの評価はここ10年ほとんど変わっていない。それで、上記の選択作業となったのだが、以下に3点ほど注釈が必要だろう。

・全集として所有し、複数の曲においてその素晴らしさを伝えたいものについても、なるべく多くのディスクを取り上げる目的から、「代表的な演奏」として限定することとし、原則としてひとつの演奏はひとつの曲でのみ取り上げたこと。
・ごく最近になって登場した最新の演奏は、取り上げられなかったこと。たとえばリッカルド・シャイーによる素晴らしい全集も、私はレコード屋でわずか視聴したに過ぎない。
・いくつかの個人的な思いの強いディスクも、全体のバランスを考慮して取り上げることを今回は断念した。たとえばクラウディオ・アバドの「田園」などがそれに該当するが、それについてはまた別の機会に触れようと思う。
このような方針において取り上げたディスクを以下に再度列挙して、このシリーズを締めくくろうと思う(※はモノラル録音)。
■交響曲第1番ハ長調作品21
(1)ヘルムート・ミュラー=ブリュール指揮ケルン室内管弦楽団(00)
(2)ウォルフガング・サヴァリッシュ指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団(93)
(3)アルトゥーロ・トスカニーニ指揮NBC交響楽団(51※)
■交響曲第2番ニ長調作品36
(1)ニクラウス・アーノンクール指揮ヨーロッパ室内管弦楽団(90)
(2)ロジャー・ノリントン指揮ロンドン・クラシカル・プレイヤーズ(86)
(3)ブルーノ・ワルター指揮コロンビア交響楽団(59)
■交響曲第3番変ホ長調作品55「英雄」
(1)パーヴォ・ヤルヴィ指揮ドイツ・カンマーフィルハーモニー(05)
(2)コリン・デイヴィス指揮シュターツカペレ・ドレスデン(91)
(3)ウィルヘルム・フルトヴェングラー指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(52※)
■交響曲第4番変ロ長調作品60
(1)デイヴィッド・ジンマン指揮チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団(98)
(2)リッカルド・ムーティ指揮フィラデルフィア管弦楽団(85)
(3)カール・ベーム指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(69)
■交響曲第5番ハ短調作品67
(1)ケント・ナガノ指揮モントリオール交響楽団(08)
(2)ゲオルク・ショルティ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(90)
(3)エーリヒ・クライバー指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団(53※)
■交響曲第6番ヘ長調作品68「田園」
(1)ロジャー・ノリントン指揮シュトゥットガルト放送交響楽団(02)
(2)ギュンター・ヴァント指揮北ドイツ放送交響楽団(92)
(3)オットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団(57)
■交響曲第7番イ長調作品92
(1)クラウディオ・アバド指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(01)
(2)カルロス・クライバー指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(76)
(3)トーマス・ビーチャム指揮ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団(57)
■交響曲第8番ヘ長調作品93
(1)トマス・ダウスゴー指揮スウェーデン室内管弦楽団(05)
(2)ハンス・シュミット=イッセルシュテット指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(68)
(3)ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(62)
■交響曲第9番ニ短調作品125「合唱」
(1)ジョーン・ロジャーズ(S)、デラ・ジョーンズ(A)、ピーター・ブロンダー(T)、ブリン・ターフェル(Bs)、チャールズ・マッケラス指揮ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー合唱団・管弦楽団(91)
(2)ギネス・ジョーンズ(S)、ハンナ・シュヴァルツ(A)、ルネ・コロ(T)、クルト・モル(Bs)、レナード・バーンスタイン指揮ウィーン楽友協会合唱団、ウィーン国立歌劇場合唱団、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(79)
(3)アデーレ・アディソン(S)、ジェーン・ホブソン(Ms)、リチャード・ルイス(T)、ドナルド・ベル(Bs)、ジョージ・セル指揮クリーヴランド管弦楽団・合唱団(61)