2012年4月13日金曜日

ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」 ②オットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団

数ある「田園」のお気に入りのディスクの中で、もっとも好きなひとつがオットー・クレンペラー指揮による演奏である。1957年の録音だが、状態はなかなか良く、クリアーな音が部屋いっぱいに広がる。このコンビの演奏らしくどっしりと遅めながら、中間音から高音にかけて伸びやかで、フィルハーモニア管弦楽団の演奏が素晴らしい。

この演奏に初めて触れたのは、今から10年ほど前で私は長期に亘る病気療養中の身であった。このころの自分の心を、「田園」の音楽がどれほど癒してくれたかは知れない。当時の日記から、その時の感激を拾ってみた。

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しばしば「標題音楽」の元祖とされるベートーヴェンの「田園交響曲」は、確かに親しみやすい自然描写の解説が付けられていますが、単純な自然の描写音楽ではない、ということは、この曲の解説に登場する常套表現です。つまりあくまでそれを感じる人間本来の「感情を表現したもの」ということです。これは、第2楽章の小鳥の描写でさえ、既に聴力を失いつつあった音楽家の自然への憧れを描いている、とさえ言えるのかも知れません。

ドイツの豊かな農業地帯を空撮した風景。それに乗せて「田園交響曲」の第4楽章から第5楽章に入る部分が荘重に奏でられます。これ以上ない、というようなゆっくりとしたメロディーから、この演奏家が世紀の大指揮者であることは明らかでした。ナレーションがその演奏に乗ってドイツ語で語り始めます。「指揮者ウィルヘルム・フルトヴェングラーは1886年、ベルリンに生まれた・・・」。「フルトヴェングラーの秘密」とかというタイトルの白黒映画を友人と梅田の映画館に見に行ったのは、中学生時代でした。その時の最初のシーンに流れた曲が「田園」だったのです。

フルトヴェングラーの「田園」が聞きたい、そう思っていながら十数年間、私はこの曲(とカップリングのワーグナー風「モルダウ」)への数千円の投資にためらいを感じていました。もっと新しい演奏で、この第5楽章の冒頭を最低速度で演奏するレコードはないものか、そう思ってきたのです。しかし、テンシュテットの中途半端な田園も、ウィーン郊外を地で行く明るいE・クライバーの田園も、はたまたフランス風のベルリン・フィルという変てこなクリュイタンスの演奏も、私には違和感がつきまとい、なかなか名演奏にめぐり合わないのです。

思うに第1楽章が明るすぎるのがいけないのではないか、そう思っていた1980年代の後半、アバドの演奏が登場しました。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮した由緒ある全集で、アバドは何とこの曲をゆっくりと開始したのです。数あるウィーン・フィルの「田園」でも白眉となるこの演奏は、ついに昨年、購入し、幾度となく楽しんだのですが、残念なことに第5楽章の冒頭はフルトヴェングラーほど感興豊かではありません。これは現代風で仕方のないことかと半ば諦めていますが、結局、私は往年の名演奏から、私の理想にふさわしいものを追い求める旅を続けることにしたのです。

私に相応しい「田園」は何か---その解を得るべく遂にフルトヴェングラーのEMI盤を手にして、恐る恐る針を下ろしてみました。そこに流れる「お化け屋敷」の田園は、確かに神経症にかかったような田園でした。これはちょっと不健康だ。嫌な予感が私の脳裏をよぎります。第2楽章はやや持ち直すものの、いくら遺書まで書いたベートーヴェンといえども、これでは少しかわいそうです。バーンスタインの健康体丸出しの田園もいただけないが、かといってここまで鬱状態が続くのは精神衛生上好ましくありません。そして注目の第5楽章の出だしは、かつて私が見た映画の冒頭の音楽ほどロマンチックではありませんでした。それは聞き手である私の勝手な思い込みによるものなのでしょうか、それとも演奏にムラのあるフルトヴェングラーのせいでしょうか。他にもリリースされている録音を聞いてみたいとは思います。しかし、そのことのために一体いくら投資すればいいというのでしょうか?

思うに「田園」はドイツの田園です。それはベートーヴェンがドイツ人であるから、ということもあり、たとえ本当にはハイリゲンシュタット、すなわちウィーン郊外であったとしても、そして今では観光地となった新種のぶどう酒を飲ませる「ホイリゲ」が立ち並ぶ界隈が、夏の間いかに豊かな輝きを見せるか、を考えても、この田園は私のこだわりの中で「ドイツの」しかもやや寒い田園でなくてはならないのです。かといって精神病ではなく、自然の風景に豊かに共感する内面的充実を持つものです。

北ドイツ交響楽団を指揮したギュンター・ヴァントの演奏が私の最も好きな演奏のひとつでした。しかし、ここに新たに加わったコレクションは、この偉大な指揮者がやはりそういう演奏をしていたのか、と敬意に似たものさえも抱かざるを得ない素晴らしいものだったのです。その演奏とは、Great Recordings of the Centuryシリーズで見事にリマスタリングされた1957年録音のクレンペラーの指揮する「田園」だったのです(カップリングはプロメテウス序曲、コリオラン序曲、エグモントの序曲を含む数曲で、これがまた素晴らしい!)。

この「田園」、遅く始まることは言うまでもありませんが、その確固たる足取りは他を寄せ付けない「冬の」田園です。しかしフィルハーモニア管弦楽団の明るい音色が、不思議にこの演奏に重苦しさを与えていません。これはまぎれもなくオーストリアの田園ではありません(かといってイングランドの風景とか言い出すと一体何を根拠に行っているのかわからなくなるので、この辺で止めておきます)。むしろ「絶対音楽」としての自然描写をこれほど見事にやってのけた演奏は、他にはありません。この「田園」に聞くベートーヴェンの確固たる足取りに、その後の発展を見せる大作曲家の精神風景を感じることが出来ます。

このような演奏、なかなか出会えるものではないと思います。というわけで、私の「田園」を巡る旅も、一段落をつける時がやってきました。ついでに、どうしてもウィーン風の明るい田園を聞きたい向きには、S=イッセルシュテット盤を私の推薦盤リストに加えることとしたいと思います。また最近流行りの南欧風田園をどうしても聞きたい時には、ムーティ盤を聞くことをお奨めします(こちらは全集として推薦盤リストに入っています)。

(2003年)

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