ウィーンの雰囲気満点のベートーヴェンである。ハンス・シュミット=イッセルシュテットが指揮したウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によるベートーヴェン全集のうち、この第8番と「田園」をカップリングしたCDを持っている。お目当ては「田園」だったのだが、第8番も実に伸びやかで明るさに満ちており、幸福感が漂っている。この演奏を聞くと、速度の指示がどうの、といったことはどうでも良くて、音楽はこのようにいつも幸せな気分で聞いていたいものだと思う。ただ緩慢な演奏ではないということはお断りしておく。
この演奏を聴いていると、ウィーンのような音楽の都で、昔から変わらずに音楽を聞き続けてきた人の思いを感じる。保守的という言葉があるが、誤解をせずに解釈したい。現状満足ではなく、かといって必要のない改革など意味が無い。まあ誰がなんといっても、自分としてはこれでいいのだという、惑わされない信念と余裕。そういうものを持っている。ベートーヴェンが何を意図していたかはわからないが、このドイツの田舎生まれの作曲家をもウィーンは飲み込んで、そして彼ら流の音楽史に置き換えてきたはずである。ベートーヴェンが活躍していたこの時代には、すでにシューベルトやロッシーニが活躍し、ワーグナーも生まれていた。
そのウィーンの音楽の都としての歴史が、ここの作曲家の、あるいは演奏家の意図したものになっていたかははなはだ疑問で、そういうのとは違うところで、自分の芸術としての価値を求める必要が生じるのも当然のことである。だが、そのような活動は、ウィーンのような保守性のアンチテーゼとして存在することも確かである。そのどちらをも消化するのが、都会の凄いところだろう。先進性と保守性は相反する概念ではない。これは共存し、互いに対立して昇華してゆく。
シュミット=イッセルシュテットの第8番を聞きながらそんなことを考えていたら、演奏がいつのまにか終わっていた。難しいことを考えている自分が、何かつまらなく感じてしまう。ウィーン・フィルの演奏はいつも同じ演奏に聞こえてくる時がある。大指揮者でさえも、それはウィーン流の音楽をするための飾りと言えば、言い過ぎだが、そのような演奏もあるのであって、最近のティーレマンの演奏などはそういう匂いがする。そしてこの演奏もまた、ウィーンの演奏を聞くためのCDである。
第2楽章の典雅なリズムと、第3楽章のホルンの合奏が美しい。だが第1楽章のおおらかな演奏も大音量で聞くと大変に素敵である。
なお「田園」も同様の名演奏で、私はこの「田園」で初めてこの曲を最後まで聞いた。最初から驚きの連続で、退屈だと思っていた「田園」が全曲を通して絵画のように美しい曲であることを知った。中学2年生の時だったと思う。その時の感激は、この演奏で聞くと見事に蘇る。だから最初の経験というのは、重要なものなのだろうと思う。
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