
注目の第2楽章は、昨日紹介したノリントンの演奏の対極にあるものと言えるのではないか。こちらの演奏は、まさに歌う音楽そのものである。ワルターがいつもこのような演奏をしていたかは定かでないが、良く親しんだモーツァルトなどを知る人にとって、これはまさに音楽的な演奏である。ワルターの良さが出ている。そしてそういうワルターらしさが出ている演奏の中でも、この第2番の完成度は非常に高い。
第1楽章の序奏からパーフェクトである。主題が出てくるあたりからは熱も帯びてきて、この目立たない作品がちょっとした迫力の演奏となっていく。このあたりがむしろ驚きということか。それに対してラルゲットの第2楽章は想定通りか。でも今聞くとその逆の印象もある。第1楽章が想定通りで、第2楽章はいまでは「有り得ない」演奏だと。ノリントンの演奏とこの演奏を比較すれば、クラシック音楽の楽しみを端的に知ることができる。演奏によってこうも表現が違うのか、ということだ。同じ作曲家であるにもかかわらず。
だがそのような経験をもたらすその音楽こそ、偉大であると言うべきだと思う。どのような演奏で聞いても、やはりいいものはいいのである。ワルターは私にとって思い出深い指揮者である。それは初めてクラシック音楽を真面目に聞いた演奏が、ワルター指揮コロンビア交響楽団の「英雄」であったし、初めて自分のお金で買ったLPレコードが、やはりワルター指揮コロンビア交響楽団のモーツァルト序曲集といういものだったからだ。
ある時期私は、ワルターの演奏こそが音楽だと信じていた。アイネ・クライネ・ナハトムジークの冒頭で、少しウィーン風の間合いのある演奏が、大好きだった。「フリーメーソンのための葬送音楽」というのに触れて、何とも言えない感動を覚えたのも、あるいは「リンツ」交響曲の練習風景を収めたレコードに聞き行って、みるみるうちにモーツァルトの音楽が生まれてくる魔法のような指揮にも驚いたものだ。
今ではワルターの演奏を聞くことは少くなった。だがこのような体験は私の原体験である。もしかするとワルターは若い頃、戦前のドイツで活躍していた頃はもっと荒々しく、荒れ狂う指揮者だったのかも知れない。だが米国に移住してからのステレオ録音は、そのような姿を感じさせない。もしかするとそれは、嘘のような姿かも知れない。だがこの第2番の両端楽章では、若々しい頃のワルターが垣間見える。そして緩徐楽章では、よく知られたワルターの味わいが捉えられている。このシリーズにしては良い方の録音で、今ではこのディスクが、私の唯一のワルターのCDということになっている。いやブルックナーの第9番を除いて、だったか。
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