2012年4月25日水曜日

N響アワーの最終回

3月でN響アワーが最終回を迎えたことにより、私にとって現在のテレビ放送は、まったく魅力のたいものになってしまった。N響アワー程度の番組もなくなったので、もうあまりテレビを見ることはないと思われる。

これまで小さい頃から見続けてきた番組は2つだった。ひとつは「アタック25」であり、もうひとつは「N響アワー」。いずれも見なくてもどうということのない番組だが、ほかに見たい番組があるわけでないので、仕方なくつけていた番組である。しかしそれがとうとうなくなった。日曜日の夜9時に、他にみたい番組はない。そしてN響アワーくらいは、そういう私でも辛うじて楽しめる番組だった。だがもうそういう時間はない、ということである。

後続の番組はやはりクラシック音楽の番組だが、1時間の枠に司会者とアシスタントの女性が司会をするという同じスタイルなら、なぜN響アワーのままでいけないのか不思議である。ベルリン・フィルや世界の音楽界の話題もそれなりに面白いがそういうものは他にやればいい。そして演奏会をちゃんと放送するのは「芸術劇場」と相場が決まっていたはずだ(この番組もいつのまにかなくなった)。

N響の演奏会が我が国の音楽界の先端だとは思わないが、せめてN響の音楽くらい定期的に放送されることがあってもいいと思うし、ごく最近までは台本を見ながら司会をするという、今では珍しいトークにも新鮮さがあった。どだい時代遅れの古風な番組がひとつくらいのこっていてもいいし、西村朗の司会は特に好ましかった。そもそもこの時期に番組を終わる理由が理解できない。

というわけで、私は大変に残念で、かつてFM放送でクラシック番組が大幅になくなっていった時期と同じ気分である。最近ではお正月でさえもクラシック番組が減った。そういうわけだから、もうインターネットでドイツやアメリカのクラシック専門ラジオを聞くことに何の違和感もないし、ベルリン・フィルの定期だってオンラインで見られる時代である。

N響アワーの最終回をもって、もはやクラシック音楽が日本のテレビの定期的な番組となっていた時代は象徴的に終わったと思う。N響アワーが敬遠された理由をひとつあげるとするなら、それはN響のリスナーが首都圏中心になりすぎていたからだろうと思う。番組の内容に共感で来るのは、定期演奏会に通う人くらいだ。だがこれはN響の問題である。

N響アワーが終わる理由が理解できないのは、それに代わる番組が全くもって楽しくないからだ。これは他の長寿番組にも言える。そういうわけで私は昨年からほとんどテレビをみなくなった。そしてとうとうN響アワーの終焉を持って、クラシック番組をテレビで見ることもほとんどなくなった。

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