エロイカの歴史的名演奏の筆頭にあげられるのは、やはり何と言ってもウィルヘルム・フルトヴェングラーのものである。フルトヴェングラーのエロイカは、私が中学生だったころには、2種類あった。ひとつが戦後ソビエトに没収された1944年のもので、「ウラニヤ盤」と呼ばれた幻の演奏だが、そのころにはもう廉価版で入手することができた。この演奏は戦時下のドイツでなされたもののライブ録音で、手に汗握る白熱のものだったが、録音がすこぶる悪く、そのことがかえってこの演奏の魅力にもなっていた。丁度バイロイトの第九のように。
今ひとつのエロイカは、戦後にスタジオ録音されたもので、1952年のウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とのものである。長い間、フルトヴェングラーのエロイカ正規盤はこれで、私が今日取り上げるのもその演奏である。私のコレクションの中で、フルトヴェングラーのベートーヴェンとしてはこれを代表的なものとして飾ってあり、そのジャケットはLPでの最初の発売時のものを採用した99年のリマスタリングCDである。ジャケットの裏には、これもLP時代の解説がそのまま縮小コピーされており、LPで聞いていた中学生の頃を思い出させてくれる。
「フルトヴェングラーの解釈は、テンポはどちらかと言えばゆっくりしており、鋭い緊張感に支えられながらかなり大幅に伸縮するが、それが全曲を一貫しておおきくうねるように起伏するダイナミックと相俟って素晴らしく重厚でスケールの大きい雄渾な迫力を感じさせる。」などど書かれた文章には、楽譜の一部までコピーされていて、限られた情報の中で勝手に大演奏家のイメージを膨らませていた頃が懐かしい。学校から帰ってくると、おもむろにレコードの針を下ろし「これがあのフルトヴェングラーの演奏か」などと友人たちと言い合いながら、次はクレンペラー、次はワルター、などと聞いていた。
だがこの演奏はフルトヴェングラーの一連の演奏中でも、非常に折目正しいというか、楷書風なのであって、目もくらむようなアッチェレランドなどを期待すると裏切られる。それでどこがいいのか、ということなのだが、割にきっちりと音楽が刻まれるのは、むしろ好ましいと感じるし、それでいてフルトヴェングラー流のテンポを抑えた大時代風のフレーズも聞かれる。90年以降になって、戦時中のベルリン・フィルとの演奏も数多くがリリースされ、フルトヴェングラーの神格化されたイメージも今では等身大の評価へと落ち着いた。それでもフルトヴェングラーが活躍していた時代にしかなされなかったような演奏の雰囲気が、ここからは感じられる。まさに歴史的録音なのである。
このフルトヴェングラー流の演奏をいまやろうとすると、おかしなことになるだろう。だがモノラルのレコードでしか聞いて来なかった私などとは違い、生の演奏を聞いたことのある世代(はもうかなりの高齢である)などは、ティーレマンやバレンボイムの演奏に接すると、懐かしいと感じるのかも知れない。私は、そういう演奏はモノラル録音でなければ、雰囲気が感じ取れないのである。第4楽章などは非常に遅く始まって少しづつテンポを上げる。そのような演奏が、作為的ではなく何か自然の成り行きでできてしまうようなところが、魅力とでも言おうか。
なお、ついでながらフルトヴェングラーのベートーヴェンとしては、私はこの他に第5番の白熱のある演奏(ベルリン・フィル)も好きだが、「田園」にも思い入れがある。特に第5楽章の嵐のあとのゆっくりとした流れの中で風が吹いてくるあたりのムードは、他の演奏に代えがたい。同様のことが第7番の全体、とりわけ第2楽章にも言える。ここで聞く演奏は、フルトヴェングラーでしか有り得ないし、それが言わばベートーヴェン演奏のひとつの極をなすものと言える。そして第9番では、第1楽章の終盤と第3楽章の止まるかのような遅い演奏に、初めて聞いた時から心を打たれた。だが、これらの演奏は超のつく名演であるため、取り出して聞くことは極めて少ない。
一方、「エロイカ」の他の演奏ではクレンペラーの録音に未練が残る。クレンペラーがフィルハーモニア管弦楽団を振った演奏には2種類あって、モノラルの古い方が素晴らしい。またトスカニーニやワルターの演奏やバーンスタインのウィーン・フィル盤にも親しんだ時期がある。そしてカラヤンの颯爽とした録音(フィルハーモニア管弦楽団のものと60年代のベルリン・フィルとのもの)については、今聞いても新鮮である。フルトヴェングラーの演奏の流れを汲む古楽器系としてはブリュッヘンのものが有名で、私も持ってはいるがあまり楽しくはない。
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