
そのバーンスタインがウィーン・フィルと入れたベートーヴェン全集こそ、私のベートーヴェン体験の基本とも言える演奏である。1980年、丁度デジタル録音へと移行しつつあった頃にリリースされたドイツ・グラモフォンによる録音は、どの曲の演奏を聞いても「何か違う」演奏に思われた。音色が活き活きとして、新しい時代の演奏のように思われたのだ。
私は当時中学生だったが、友人と共に第1番から順に毎日1曲の割合で聴き始め、そしてとうとう第9番までたどり着いた。すべての交響曲を通して聞いた経験は、これが最初であった。友人はいたく感激し、持参したマクセルのカセット・テープに、すべての曲を録音した。楽章の長さを計算し、すべてが丁度収まるように何枚ものテープを交換し、そして再度第9で締めくくった。
第9のレコードは我が家に数多くあって、有名なフルトヴェングラーのバイロイト盤、トスカニーニ盤、ワルター指揮のニューヨーク・フィルハーモニック、それにミュンシュの輝かしい演奏などであった。しかしそのいずれの演奏をも曇らせてしまうくらいに、バーンスタインの演奏は素晴らしいと思った。第1楽章の低弦の響き、第2楽章の躍動感あるスケルツォ、第3楽章の暖かさと悲しさに溢れたロマンチックで愛情あふれる響き、そして第4楽章の人間性に溢れた名演である。
ウィーン・フィルがここでは指揮者に共感し、そして滅多にない力演をしている。ライブ録音とされた全集は、拍手こそ収録されていないという不思議な演奏だったが、そこには音楽というものがそもそも等身大の、人間性を飾りけなく表現するものだというバーンスタインの音楽観というようなものが示されている。装飾された芸術性から開放し、同時代の共感を優先するアメリカ生まれのこの指揮者は、間違いなく新しい時代を形成し、それは一方にいるカラヤンなどとは対角線上に位置する音楽であった。
私はそのようなバーンスタインの音楽を、自分たちの時代の代表的な演奏として歓迎したのは事実である。それはカラヤンに魅せられた上の世代よりは少し後であり、そして古楽奏法などが主流となる時代よりは少し前である。この第9に代表されるバーンスタインの演奏は、このあと超越的なマーラーの全集となって結実し、それは音楽史に名を残す名演だったと思われる。ウィーン・フィルとの良好な関係を示すベートーヴェンの演奏に限っても、かの有名な歌劇「フィデリオ」、ピアノ協奏曲全集などと並んで、この時代の輝かしい遺産である。
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