2012年4月22日日曜日

ティーレマン/ウィーン・フィルのベートーヴェン(2)


年末といえば「第9」というほどに、この曲は我が国のクラシック音楽シーンにおいて年の瀬の雰囲気に結びついているが、もちろんそういう曲ではない。それでも年末になると今年も第9を聞いておこうか、などと思うのだから条件反射というのは恐ろしいものである。今年は年末年始にかけて休暇を取るため、昨年に聞いたN響の第9は聞けない。けれども諦めていたらティーレマンとウィーン・フィルによるベートーヴェンのシネマ・コンサートが開かれる。そこで私は今年の締めくくりに、この全曲演奏会の最後を飾るビデオ上映に出かけることにした。

ティーレマンというのは少し変わった指揮者で、見ていてさほど面白い指揮をする人ではないし、その音楽はなんというか、まあ体つきににて少し野太い感じのする音楽で、いまとなってはあまり聞かれないタイプだが、かつての延長上に位置するようなところがある。保守系の最右翼ということだが、そのティーレマンがウィーン・フィルをどう指揮するのかというのが見どころである。

この全曲演奏会をビデオ録画するにあたり、何と足掛け3年もの歳月をかけるあたりは何とも気の長い話だが、考えてみるとウィーン・フィルのベートーヴェンの交響曲全集録音はサイモン・ラトル以来であるし、ビデオでの全集となると記憶にあるかぎりバーンスタインの80年頃の映像にまで遡るように思う。ベルリン・フィルを含めてもアバドとカラヤン位しか思い浮かばない。

そういうわけでこれは言わば記念碑的な収録ということになるのだが、そこに起用されているのが3人のビデオ・ディレクターで、その映像の撮り方の違いというのももう一つの見どころである。また客席を埋めた聴衆の熱狂ぶりもすごいが、ではその演奏はウィーン・フィルをどのようにコントロールした結果なのだろうか、などと見る方も力が入り、音楽がどのようであったかあまり思い出せない。もしかすると平凡な第9だったかも知れない。

ティーレマンは他の指揮者ならさらっと流すようなところで敢えてブレーキをかけている。これがオーケストラの注意を喚起し、何回か繰り返すうちに、独自の音楽のようなものになっていくあたりのプロセスはビデオならではのものである。だが、ここでどうしてもう少し丁寧にゆったりとしてくれないのだ、と思うところであっさりと流れることもあり、その裏切りはどちらかと言えば気味が悪い。

第9ほど指揮者の個性を発揮するのは難しい曲はないだろうと思うが、実際かつてこれは名演だと思った演奏は、それほど多くない。私の経験ではセル、フルトヴェングラー、それにバーンスタインといったあたりだろう。最近ではコリン・デイヴィスである。ウィーンでの記念碑的第9ともなると、やはり比較対象は過去の超が付く名演たちとなる。だが、この演奏がそのレベルに達していたかどうかは疑わしい。

人数の少ない合唱はさすがだし(これは日本人の演奏ではまずありえない)、いつ登場したかわからない4人の独唱(うち、アルトは日本人の藤村実穂子が歌っている)も特筆すべきレベルであると思われた。総じて水準は非常に高いが、かと言って何か新鮮なものを感じるわけでもなく、古い演奏の孤高の名演にも到達しない中途半端な印象が拭えなかった。音響と画質は、時代が新しい分、大変素晴らしかったことは言うまでもない。

(2011/12/17)

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