
歌劇「エルナーニ」は来年生誕200周年を迎えるヴェルディの30歳のときの作品である。まだまだベルカントの雰囲気を残しながらも、晩年の大作への萌芽を感じさせる。ヴェルディ流のドラマチックな歌の表現は、この頃には既に開花し、自信たっぷりなものを感じさせる。幕が開いてすぐに歌われる表題役のアリアの連続にゾクゾクとする。久しぶりに「歌」を聞いている。主人公エルナーニを歌うのは、シチリア生まれのマルチェッロ・ジョルダーニだが、その他にも主役級の歌手が3人も登場して、次々と、ある時は3重唱、4重唱、さらには合唱を伴って、これでもか、これでもかと歌われる。
あらすじはやや複雑だが、実は一人の女性を3人の男性が取り合うという馬鹿馬鹿しいほどのストーリーである。ただそこに国王だの、領主だの、名誉だの、権威などのいろいろ出てくるのはいかにもヴェルディらしい。その舞台が16世紀のスペインというから、「ドン・カルロ」や「イル・トロヴァトーレ」などと同じような舞台。他にもスペインを舞台にしたオペラ、たとえば「ドン・ジョヴァンニ」や「フィデリオ」と同様の雰囲気もある。暗く、そして体制の力が圧倒的で、宿命と人間性の間に揺れる心の葛藤は、ヴェルディの真骨頂でもある。
主人公エルナーニ(テノール)は盗賊の一員だが、エルヴィーラと恋仲である。ところが明日にも結婚式が予定されており、何と彼女は年老いた領主シルヴァに嫁ぐことになっている。それぞれの不幸を嘆くエルナーニとエルヴィーラである。シルヴァを歌うのはやはりイタリア人バスの第1人者フェルッチオ・フルラネットである。
一方エルヴィーラ(ソプラノ)は、この作品で唯一の女性役であり、その意味で表題役以上に目立つ。この役はベルカントの雰囲気を残す初期のヴェルディらしく、技巧的なテクニックが要求されるだけでなく、女性らしさやさらには力強さをも持ちあわせている必要がある。すなわち3人もの男性(はみな領主や国王といった最高権力者たちである)を虜にさせるだけの魅力、名高い家系の出であるという高貴さ、さらには意志を貫く芯の強さを同時に表現しなければbならないのだ。
メトロポリタン・オペラはこの役に、2007年デビューしたアンジェラ・ミードを起用した。幕間の特典映像で、オーディションの際に撮影されたドキュメンタリーの一部が紹介されるが、これが非常に興味深く、そして素晴らしい。ここで歌われたベッリーニの「ノルマ」は、彼女がマリア・カラスを意識している事を隠さずに紹介しているが、年老いたカラスやサザランドしかしらなかった私は、若い声で歌われる圧倒的な歌声に一気に魅了されてしまったのだ。
彼女(はジョーン・サザランドの再来だというふれ込みであるが、何ということだろう!)の歌声は、スペイン国王ドン・カルロを歌うバリトンのディミトリ・ホヴォロストフスキー、山賊の格好をしているが実は貴族のエルナーニ、さらには領主シルヴァと張り合っても引けを取らない立派なもので、聴いているとほれぼれとしてしまう。
物語は現代から見ると滑稽で、いわゆる荒唐無稽なオペラなのだが、お忍びでこっそりと城に潜り込み、結婚の邪魔をするシーンで、あやうく捉えられそうになると身分を証すシーンは「水戸黄門」のシーンを思い起こし、爆笑してしまった。つまり全体に何か時代劇をみているようなところがある。それが面白い。
結局、登場人物はみな「名誉」といった古い価値観に縛られているのだが、それはまだこの時代が、絶対王政の頃という時代設定であることによる。人々はまだ自由を手に入れていないのだが、今ではわかりにくいこの価値観をどのように表現するか、といったことまで案内役のディヂナートは歌手に質問している。
そして少し時代を遡ったスペインに、ヴェルディが作品を書いたイタリアの19世紀が重なっている。当時のイタリアはオーストリアに占領され、独立を求めるイタリアの統一運動が二重写しになっているからだ。そのような政治的意図までも考えると、いろいろ複雑な気持ちになるが、それだけこの作品は歌も楽しく、話は面白い。
ヴェルディの中ではあまり目立たない存在のこのオペラもメトの演出サマリターニの古典的で無駄のない演出、4人もの実力歌手の競演ということになると、やはり見事という他はない。指揮のアルミリアートもきびきびとしていて立派である。合唱のプロフェッショナルな見事さにも驚嘆する。新しい演出による話題の作品もいいが、ヴェルディの王道に原点回帰したような上演もまた立派である。見所満載の3時間は、幕間の舞台回転シーンまでもカメラが追い、オペラの楽しさを堪能した久しぶりの一日であった。