
だが少なくとも我が国では長い間、第2番と並んでこの最初の記念すべき交響曲は、どちらかというと目立たない存在に追いやられていた。私自身、ベートーヴェンの交響曲の中では最後から2番目に聞いた作品(もちろん最後は第2番)で、我が家にあったベートーヴェンの交響曲のLPレコードには、「英雄」が十数枚もあるのに対し、第1番はたったの一枚、それもかの有名な「バイロイトの第九」(フルトヴェングラー)のカップリングに入っていただけであった。
大作曲家の有名作品を紹介した青少年向けガイド本でも、モーツァルトの「ジュピター」の次に登場する交響曲は「英雄」ということになっていた。そしてコンサートでこの曲に接することは(今でもそうだが)まずほとんどないのである。ベートーヴェンの全曲演奏会がある場合には、プログラムの前半で演奏されることもあるが、まあ付け足しの作品のような扱いは今でも基本的に変わっていない。
そのような第1番だが、これは実にいい曲であると思う。若々しくも春の陽気のような作品は、丁度3月ころに聞くにはぴったりでもあると思う。そしてそのようなベートーヴェンの根底にある「明るさ」は、この時期の作品全体から感じられるし、そこから一歩先へ行くのは「エロイカ」まで待たねばならない。私は総じて作曲家の若いころの作品が好きだが、ベートーヴェンとて例外ではない。
この曲を聞く場合に、頭に入れておくべき基本事項は、次の2つであると理解している。
まず第1に本作品は1800年という切りのいい年代に作曲されたという事実である。これは市民社会の成立が本格化し、音楽が一部の特権階級から一般社会へと普及していくまさにそのはじめの頃の作品であるということである。モーツァルトよりも少し遅く、そしてハイドンの晩年に重なり、ロッシーニやシューベルトよりは少し早い。この微妙なタイミングが、この作品の個性に反映している。
冒頭の和音に不協音が交じるのは、それが意図されたからである。確信犯的にベートーヴェンは新しい時代の音楽を、たった1音で表現した。ハ長調という普遍的な調性を取りながら、そこには一筋縄ではいかない気分を持続させる前奏部分こそ、この作品のもっとも特徴的な部分である。
第2には、メヌエットと書かれた第3楽章が実際にはスケルツォの性格を完全に帯びていることである。三拍子であることも気付かないくらい、ここの音楽は早く、そしてショッキングな勢いに溢れている。これはベートーヴェンにしかない特長のひとつである。
19世紀の入り口にあった時代、オーケストラはまだ小規模だった。当時の音楽をただ再現するような演奏がいいと単純には思わない。けれどもこの作品を大きなオーケストラで聞くときの違和感もまた、私につきまとって離れない。だから小規模でありながら、活き活きとした演奏を探してきた。古楽器奏法の時代になったとはいえ、それがあまりに斬新すぎるとベートーヴェンの時代の素朴さが失われてしまうようで、それもまた違和感が否めない。そこで現在のお気に入りは、ヘルムート・ミュラー=ブリュールというドイツ人の指揮者が、ベートーヴェンの生まれ故郷ボンにほど近いケルン室内管弦楽団を指揮して録音したNAXOS盤である。この演奏は目立たないが、見逃すにはもったいない存在である。全体のまとまったリズム感と、明るい雰囲気を損なわない第2楽章も、悪くはない。
なお、この連載では毎回、目下のお気に入りCDを1枚づつ取り上げる。それ以外の録音は(もちろん沢山の名演があるので)あとで再度、第1番から順に書いていく予定である。この時には演奏に特化して述べることとしたい。
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