
東京から常磐道を北に向かうと、いわき市を通り過ぎたあたりで高速道路がなくなり一般道となる。ここから仙台市の南部までは海沿いに進むおだやかな道だ。茨城からいわきまでの区間に比べると険しい道はなく、東北へ向かう他の幹線、たとえば東北道の白河関越えや日本海側よりは行きやすいと感じていた。冬には雪も少ない。
いわき市から北の国道沿いは、海沿いとは言え海岸が見えることは少ないが、なんとなく広々としていてしかも好天に恵まれる率が高い。このような土地なのに、なぜこれまで開発が遅れてきたのだろうか、とふと思ったことは今回の原発事件が生じる前にもあった。原発ができるまでは、東京へ出稼ぎに行くしかない村々だったというのだ。
考えてみれば昔から、東北へ向かう幹線は、今の東北本線や東北道の道沿いで、白河関を超えると郡山、福島、仙台と通り、そこから北上川に沿って内陸を進む。宇都宮までの道のりは、江戸時代には江戸からの街道として整備されたが、それ以前は東山道として碓井峠を下り、群馬から栃木に向かって進むのが都、すなわち京都からの街道だった。このころ東海道は江戸を経由して常陸の国、すなわち茨城県まで延びていた。また北陸道は越後から佐渡へ向かって終わる。
東北は陸奥の国と呼ばれ、もともとは福島以北全体を指す。みちのくという言葉は、陸奥の国のことだろう。その東北地方にあって、福島県の浜通りというのはやはり、中心から遠く隔たった地であったのか、と思った次第である。
その福島県浜通りに原発を誘致する運動は、1950年頃から始まったようだ。今秋発売された「週刊現代」の巻頭には、かつて同誌に連載された評論家、内橋克人氏による記事「原発が来た町」(1983年)のあらましが福島県の原発年表とともに記述されている。
それによれば後に東電の社長となる木川田一隆氏がこのあたりの出身で、当時の福島県知事との間で「話はトントン拍子で進んだ」と書かれている。高度成長が始まる1960年代は、原発こそが夢のエネルギーであった。
思えば私の父の世代、戦後の最初の教育を受けた世代では、理科系の最もよくできる秀才はこぞって原子力工学を目指したようだ。私は原子力がもっとも光り輝いていた時代は、この1960~70年代ではないかと思う。しかし、私が大学を目指した1980年代前半にはすでに、原子力工学はすでに地位が低下し、必ずしも秀才の行く学科ではなくなっていた。
1979年、私が13歳だった時にスリーマイル島の事故が起こり、これが象徴的な意味で原子力発電に疑問を投げかける最初のケースとなった。米国ではこの事件を契機にして、原子力発電所を建設することがなくなった。当時の秀才は、たとえハーバードやMITを出ても就職先がなく、進路変更を余儀なくされたと最近読んだ本には書かれていた。
私は大阪で就職活動をしていた際、中之島にある関西電力の本社の前を通ったことがある。ここには反原発派の小屋があって、ゴシック体の独特の文字で「反原発」などと書いた横断幕を掲げていた。チェルノブイリの事故もあって、世界的な反原子力の流れが加速していたが、日本では対岸の火事だと思っていたのかも知れない。
美浜や志賀、あるいは柏崎、浜岡のような原発(最近では北海道の泊)などの前を通るたびに、僻地に作られた異様な空間を見てきたが、ある電力会社に就職した先輩は、敷地内で作業員と共にソフトボールなどをして遊ぶ様子を語ってくれた。地元の雇用も促進しているが、仕事がないので勤務時間にスポーツをしているというのだ。私は、なんとなく原発は無理をしたものであるという印象を持っていた。
このたびの事故により、東京電力は休止中の原発の再稼働ができなくなる公算が大きい。さらに1年以内に定期点検を迎える日本中の原発が、そのあとに再稼働することは困難だろうと「週刊ダイヤモンド」は報じている。今回の事故で耐震基準が厳しくなり、その結果、対応できない原発が生じるというのである。その場合には西日本にも電力不足が及ぶ。
支持率低下が著しい菅政権に対する動きが連休明けに活発化するとの噂がある。しかし菅政権が存続して喜んでいるのは東電かもしれない。最近の補償問題をめぐる動きは、東電のシナリオを踏襲しているようにも思えるからだ。ニュース番組に東電のCMが多いというのも気がかりだが、勝俣会長が震災発生時に中国へ招待していたのはマスコミの連中であったことが分かっている。
学者、官僚、政治家、それにマスメディアまでもが電力会社のいいなりになっている。このような中で、真実の報道はごく一部のメディアにしか頼れないということもはっきりした。昔と比べれば、少しは進歩しているのかも知れない。記者会見でフリーの記者が質問した内容は、その10分後には世界の言語に翻訳されてTwitterで流されるのが今の時代である。それにふさわしい会見を政府も東電も開かないと「想定外」の風評被害が巻き起こる。
東電が示した収束シナリオは今や誰も信じていないが、これさえもわずかな事象ですべてが狂う。今日本列島は、非常に脆弱な基盤の上にある。梅雨、落雷、台風、猛暑、余震、原発の作業のミス、のどれ一つをとっても大規模な災害に発展することは間違いない。余震が柏崎の原発を停止させただけで、おそらく夏の電力供給が狂うだろう。
もう元には戻れない道をあるいていることを我々は知るべきだろう。
(2011/4/27)
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