昨年、平成23年3月11日の午後2時46分に、三陸沖などを震源とする大規模な地震が発生し、東京にいた私もそれまでに感じたことのない揺れを経験した。東京では停電やビルの倒壊などはほとんどなく、鉄道が止まっただけであった。私は新宿のオフィスから港区の自宅に歩きながら帰る途中、ずっとラジオを聞き続けていた。そしてその地震は東北地方を中心に壊滅的な津波をもたらし、さらにその夜には福島第1原発で信じられないようなメルトダウン事故へと発展していった。
このあとの数週間は、まさに悪夢の連続だったが、そのようななかで何を考え行動していたかを、私は地震発生から1ヶ月ほどが過ぎた頃から記録を始めた。その内容をブログ(当時)に掲載したところ、それまで誰も見向きもしなかったであろう私のブログへのアクセス記録は、それまでにない高い数字を記録した。ブログは引っ越したので、丁度あれから1年を迎える今日からしばらくは、その記録をそのまま転載していこうと思う。
この地震と事故は、いまだに収束していないばかりか、それまでにない多くの問題点を突きつけている。今でも多くのチャンネルでテレビは特別番組を続けている。だが、被災地の絆の強さを強調することと、大規模地震のメカニズムを報道するだけで、そこに重要な視点が欠けていることを私は遺憾に思う。それは社会のシステムに対する批判的な視点である。
今でも古い共同体の残っている東北地方の方々の我慢強さには敬服するが、ではひとりひとりの思いや気持ちだけでこの問題が解決するかといえば、そう簡単なわけではない。良い社会を実現するためには、個々人の気持ちの持ちようだけでは不十分である。その思いを実現する政治や地域共同体の在り方こそが、重要な鍵である。あくまで理性的、現実的にそのことを指摘することもマスメディアの役目ではないか。いまだに復興の進まない現実を見ていると、そのようなドラマ仕立ての美談や映像は、むなしく思える。重要な視点を欠いている現代の日本社会の、誰もが気づかぬふりをしているか、あるいは本当に気づいていない問題点こそ、我々が地震から学ぶ教訓ではないかと思う。
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このブログを約1カ月ぶりに再開するにあたり、何から書き始めようかと思い悩んだ挙句、やはり今の気分ではこのひと月の記録をしておきたい、という結論に
達した。ブログは日記であるから、本来はそのような記録こそ残すのが趣旨にかなうのだが、今回ほどその思いを強くすることはない。それだけこの震災の被害
は私の心を動かし、そしていろいろなことを考えた。
平成23年3月11日(金) 新宿の高層ビルの上層階で働いていた私は、トイレから戻る途中にエレベータホールを過ぎたところでひどい揺れに見舞われた。
最初から大きな地震だとは思ったが、それは次第に大きくなり、やがては立っていられなくなった。それまで経験したことのない大きな揺れだったが、物が落ち
たり電気が消えることもなく、パソコンも点いたままだったので、どこか遠くの地震ではないかと思った。
揺れが収まらず、次第に座っているのも困難になったため、机の下に隠れながら、家族のことを思った。子どもが保育園で無事だろうかと考えた。すぐ近くに東京都庁が見え、その下では多くの人が集まっているようだったが、バスや自動車は動いており、高速道路も普通だった。見る限り火事らしいものもなく、雲の向こうに多摩丘陵まで見渡せる初春の光景。いつもとかわらない週末の景色だった。
私はこういうときのために、携帯用のトランジスタラジオを持ち歩いている。私はとっさにラジオを取り出し、FM放送に合わせた。NHKが大津波警報を伝え
ていた。震源が東北であることもわかった。地震の最中のことである。揺れが収まってから電話で家族に連絡を取ろうとしたが、やはりつながらなかった。その
ような中で、インターネットのメールは可能であった。妻の携帯電話にメールした。それから関西の実家に会社の固定電話から電話をかけた。当社は大阪まで専
用線なので、一発でかかった。しかし母親は地震のことを知らなかった。やがて妻から、すでに会社を出て歩いて帰宅中とのメールが来た。地震発生からわずか
1時間もたたないうちに、子どもを含め家族の無事が確認できた。
電車は動いておらず、会社も混乱状態だったが、保守を担当しているコンピュータ・システムに異常はなかった。私の仕事の帰宅時間は16時40分であった。
この時間を過ぎて特に指示がなければ、そのまま帰宅しようと思った。インターネットで読売新聞のサイトが表示された。大きな地震で、電車も止まっているこ
とも確認できた。妻は吉祥寺から歩いているが、自宅到着は深夜になるだろうと思った。子どもを保育園に迎えるには、今歩きだしても夜になる。
私は上司に許諾を得て、いそいそとオフィスをあとにした。ビルを階段で下りるだけで足がガタガタになった。非常階段のところどころに、はがれた壁が散乱しており、やはりこれは大変だと思った。17時になって、私はFMラジオを聞きながら、会社を後にした(つづく)。
(2011/4/13)
2012年3月11日日曜日
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