2012年3月20日火曜日

東日本大震災の記録(10)

3月26日(土)~27日(日)

子どものいない週末に、私たちは買い出しにでかけた。パスタソースや乾麺など、日持ちのする食材を調達、防災袋に電池や懐中電灯を入れた。ミネラルウォーターはある程度買ってあったが、京都の義妹や北海道の妻の実家からも届く。子どもは来週から甥たちと一緒に白馬へ行くという。長野県でも地震は頻発しているが、中部電力の管内で停電の心配はない。

松島を除けば、三陸海岸を含む東北地方の太平洋岸一帯は、私にとってまだ旅行していない地域だった。中学生の頃から、石巻や釜石に、私は幾度となく計画を立てたものの、なかなか不便なところで行く機会を持てないでいた。一方東京に住むようになってからは、福島県の浜通りを常磐自動車道を北上し、磐越道を郡山方面へ旅行したことは幾度もあるし、そのまま海沿いを北上し、原町、亘理、名取市を通ったこともある。

大阪生まれの私にとって、最近まで東北地方は、やはり遠い地であった。しかし、この大震災をきっかけに考えることの一つは、東北地方というところが、とりわけ近代の日本にどのように位置づけられてきたか、ということである。

最近読んだ雑誌の記事などから、目に留まったものを記述しておきたい。

まず「放射能が来る!」のAERAだが、この4月4日号に「震災と日本」と題した養老孟司氏と内田樹氏の興味深い対談が掲載されている。その冒頭で「日本辺境論」の著者であり、東北人の血筋を持つ内田氏は「東北人は戊辰戦争での敗北以来ずっと中央政府からひどい目に遭って来た」と口火を切っている。「明治維新から続く冷遇の歴史が東北人のメンタリティー形成には深く関与している。」

彼は東京生まれだが、長く関西に生活している者の視点で、病人や乳幼児は「パニックになる前に避難した方がいい」と勧めたら、東京の人に「経済が停滞する」と批判されたことを挙げ、人の命と経済を同一に論じる愚を告発している。私も病人で関西出身だから、この考えはよくわかる。「東京が下がっても大阪が上がればいい」という考えの方が「バランスがいい。」

それはさておき、近代化の遅れた東北が、もはや中央政府を信じていないという指摘は鋭い。だから「みな言葉少なに現実に向き合っている」と。これが真実かどうかはわからない。ただ、ここで思いつくのは2.26事件は東北の貧困が招いたという指摘をかつてテレビの討論で聞いたことがあることだ。政府を狙った青年将校は東北出身だった。

同じAERAの記事に仙台出身の山折哲雄氏が「日本人は地震列島人として(中略)、自然の脅威、災害と付き合い続けてきた」と書き、それが穏やかな表情の理由であると述べている。このような日本人の自然観が、津波に苛まれてもなお、黙々と生活している人々の精神的な支えであることはその通りだろうと思う。地震後の首都の、「秩序だった帰宅難民」の姿は気味が悪かったが、それとこれは少し違う。ただ私の聞くラジオ番組では、多賀城市を訪れたパーソナリティーが「被災地は復興に向け頑張ろう」などという気持には、まだとてもなれないんだ、と叫んでいた。「報道は真実を伝えていない」と。

このように自然と付き合ってきた日本人は、西洋とは異なるメンタリティを持っていることは重要な指摘だろう。だから、原子力発電などという西洋合理主義のかたまりのようなものを管理することは、(技術的ではなく制度的に)できないのかもしれない。だとしたら、我が国は安直に原子力に頼るこべきではないのかも知れない。

エネルギーの問題は、日本が科学技術立国として存在する上で避けて通れない問題である。このことについては、改めて考えたいと思う。

AERAの4月11日号の巻末で、姜尚中氏は「東北人は近代に対する怨念を抱えながらも、自ら背負うことで克服してきた」と書いている。その中から後藤新平や新渡戸稲造などの逸材が出てきたことを挙げ、「国家の建前に蹂躙され、国家の建前を信じざるを得ない東北の人々こそ、国家に救われなければならない」と結んでいる。

※写真は松島湾(2005年)。内海だったこともあり、ここの被害は少なかったと聞く。

(2011/4/23)

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