2012年3月10日土曜日

ベートーヴェン:交響曲第9番ニ短調作品125「合唱」

ベートーヴェンがその前の交響曲から10年以上の歳月を隔てて完成させた最後の交響曲第9番は、あらゆる意味で異例な、異常な作品だと思う。単に4人の独唱と合唱を必要とする、というでけでなく、長大な緩徐楽章が第3楽章に存在することや、それまでの音楽を「否定」して神々の歓喜を歌い上げる動機、太鼓やシンバル、ティンパニなどの行進曲や、壮絶なまでに終わるエンディングなど、今ではそういう音楽として当たり前のように繰り返し聞いているが、やはり当時の音楽の存在に比べると、とても理解できる範囲を超えていたと思われる。

そういう音楽だから、おろらく演奏も困難を極めるのではないかと想像できるし、はたして「いい演奏」などという概念で論じていいものかどうか、という疑問も湧く。どのような演奏であっても「第9」なら「それもありか」と思わせるものがある。バーンスタインがベルリンの壁の崩壊後に、各地のオーケストラを集めて指揮した演奏も、戦後初のバイロイト音楽祭でのフルトヴェングラーのライヴも、そして「一万人の第九」もミュンヘン五輪会場での第九も、みなそれは、ベートーヴェンの「第九」だから許される表現ではないか、と思う。

サントリー・ホールで聞いたサイモン・ラトルの第九(ウィーン・フィル)も、それまでの各交響曲と異なり、この曲だけは「何でもアリ」の様相を呈していた。合唱が少し乱れようと、音楽は前に進み、高く歌い上げ、そして歓喜は混乱してもこだましていた。それでいいのだ、という指揮ぶりだった。

今はチャールズ・マッケラスの指揮するロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団の演奏を聞きながら、この文章を書いている。 1991年の演奏だからもう20年も前のものだが、ここで表現されている、素人的とでも思えるような迫真の演奏は、早くも古楽器奏法を取り入れた斬新な演奏である。各楽章は速く、キビキビとしている。それまでに聞いてきた、いわゆる普通の第9とは少し異なる演奏だが、これが今の主流となっている。この演奏が登場した頃は、まだ丁度過渡期にあった。この演奏はそのような先駆けだったと思う。

顕著なのは第1楽章の途中からと、第3楽章の速度、それに第4楽章の全般である。私は何も古い演奏がつまらないと言っているのではない。これらの新しい演奏が、それまでにないベートーヴェン像を創りだしたことのうれしさと、それを可能とした原曲の奥の深さについてである。そしてもはやフルトヴェングラーやバーンスタインだけでない幅の視野で、改めて第9の魅力とは何かと考えてみると、それまで見えて来なかったものが見えてくるような気もするのだ。

第1楽章フーガの重さや、コーダ部分の止まるような重いメロディーから沸き上がるものといった古い上着を脱ぎ捨てる。するとそこにはメリハリの聞いた推進力に満ちたベートーヴェンらしい音楽がやはり存在する。それは第2楽章の素晴らしいスケルツォにも受け継がれ、第3楽章に至ってもスピードは落ちるどころかさらに早くなる・・・。

第2番、第6番、それに第7番のそれぞれの第2楽章で感じたことが、この第3楽章にも言える。編成を少し減らし、ビブラートを抑えて(その結果早くなる)演奏される音楽からは、それまでに聞いたことのない清涼な、しかしより真摯にも感じられる集中力のある音楽が流れる。かつて止まるように遅い音楽に涙を流したくなるようなカンタービレの世界とはまた違ったものである。

第4楽章の「歓喜の歌」は晩年のベートーヴェンが到達した世界観を表している。市民革命やナポレオンによる戦争で混乱していた時代、もはやキリスト的な神は失われたかに見えただろう。ベートーヴェンはそれらを超越する存在として、世界の彼方に神はいると説いたシラーの詩に自らの芸術家としての総括を見出した。

Brüder, über'm Sternenzelt Muß ein lieber Vater wohnen.
「兄弟よ、この星空の上に、ひとりの父なる神が住んでおられるに違いない」

この曲では、それまでと異なり崇高にも荒々しく幕を閉じる。この音楽もあとでは、ベートーヴェンは語るものをなくしてしまったのだろうか。だが、どれほど語っても語り尽くせないほどの音楽を、9曲の交響曲に託した孤独な作曲家は、その生涯を第9の完成後3年で閉じる。

そして私もまたこの音楽の前では、語るものを持ち得ない。多くの分析や評論はいくらでもある。好きな演奏というのもある。だが、それらを語ったところで第9の前では、まあどうでもよいことのように思えてくる。

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