
年度末の慌ただしい時期に、事態は一見静かに進行しているかのようだった。けれどもそれは、それ以前のあまりに次々と生じる非常事態に比べての話であって、もう我々の感覚が麻痺してしまったからなのかも知れなかった。
福島第一原発が収束に向けた動きどころか、膨大な汚染水が漏れ出す事態に至って、東京電力への批判が高まっていった。社長が不在だったなど、不手際はいくら指摘しても限りがないが、経産省の原子力安全・保安院、そして内閣府にある原子力安全委員会に至っても、その存在価値が疑われている。テレビに出演する「御用学者」と、そこに群がる人々を「原子力村」と揶揄する報道が相次いだ。
フランスのサルコジ大統領が来日し、事態収束に向けた汚染水の撤去について協力することになったようだ。加えて米国軍の部隊は、ますますその存在感を増し、我が国の自衛隊も総力戦で遺体の捜索などにあたっていた。
会社では4月1日の人事異動が予定通り行われたが、引っ越しの手配ができず、実際の赴任は約2週間遅れと言う有様だった。
計画停電がほとんど実施されなくなったことによって、首都圏の様子は次第に落ち着きを取り戻していった。私は今のうちにと、刺身が安くて美味しい居酒屋に予約を入れようとしたが、どこも満員でなかなか予約できず、妻の友人一家と出かけた秋葉原の焼鳥屋も、エレベータに乗るのに並ぶという混雑ぶり。会社の歓送迎会でも新宿のパブなどは立っても飲めないほどの混雑ぶりである。上野動物園のパンダも1000人以上が公開初日に列をなし、最近再開された東京ディズニーランドでも大勢のにぎわいを見せた。
ところが、築地市場をのぞいてみると、半分近くがシャッターを下ろしている。箱根や日光などといった主要な観光地も閑古鳥が鳴く。これはどういうことかというと、私が想像するのには、暇な高齢者が「自粛」をしているのだろう、ということだ。若い人々の消費欲は旺盛で、石原都知事の「花見自粛」発言など誰も信用していない(そもそも言われてやる「自粛」は強制ではないか。それから知事に批判される前に、自動販売機やパチンコ屋は「自粛」すれば良い。何も条例を作る必要などない)。
高齢者の文化と若者の文化、その間に菅総理の世代である団塊の世代がいる。今回の震災で考えたことのひとつは、我が国で静かに進行している人口減少と世代交代の流れを浮き彫りにしている点だ。
まず、被災地のニュースを見ていると、各被災地にはいかに高齢者が多いかわかる。その多くが農民や漁民で、彼らは再び仕事をしたいというが、高齢者だけで再開しても数年後にはリタイヤを迎えてしまう。復興させるべき街は、選択と集中を余儀なくされるのではないか、という点がひとつ。
次に思うことは、テレビのCMに代表される「頑張ろう」といった大合唱が、いったいいつから始まった風潮なのか、という点だ。被災した人々は1カ月がたった今でもがれきの山々を見つめながら、とてもそういう気持ちにはなれないだろう。しかも福島の原発の問題はまだ収束しておらず、全員が一丸となって「上を向いて歩こう」という雰囲気になるのを阻んでいる。
悪い予測を冷静に見つめようとせず精神論で乗り切ろうとした戦争に負けたのは、もうだいぶん前のことである。そもそもどのようなレベルで今回の震災に向き合うかは、皆ひとりひとり違うはずだ。それを翼賛的に「頑張ろう」などと言うこと自体、恥ずかしいと思わないのだろうか。私は特に若い人々こそ、そういう安直な風潮に流されやすいような気がしている。
けれども、今回の震災は、戦後から高度成長期にかけての「右肩上がり文化」を名実ともに終わらせ、そのひずみを次世代に付け送りしながらも、新しい価値観で次の創造をしていかねばならない日本の世代交代を早めるものと思われる。古い既得権益を捨て去り、もう一度ゼロからの出発ができるか、政治的な能力が問われる結果となった。今最もラジカルな問題点は、復興か復旧か、そして原発推進か、反原発か。
失われた20年間に何も変えることができなかった日本の社会的風土が、結果的に大きな犠牲を背負うことになりながらも、とうとう変化せざるを得ない状況を作り出し、しかもそれに拍車をかけた。これから始まる変化は、いままで予想されていたもので、それが一部で期待されていたようなポジティブな変化になりえるのかが問われている。これを機会に大胆な改革を、と叫びたいが、今の政権にはその覚悟があるのだろうか。
ただ百歩譲るならば、今の菅政権の良いところは、過去のしがらみが比較的少ない勢力によって運営されていることだ。自民党の長老勢力、建設会社との癒着が指摘される民主党内の小沢系、それに公明党からも距離を置いてきた政権は、脆弱ながらも今のところ、フリーな立場を取れる。これをもう少し上手く利用できないかと思うが、マスメディアも既得権益の一部に過ぎない側面を持つのか、うまくいかないのだろう。菅首相は記者会見で質問されても、「反原発」ひとつ打ち出せないようだ。これでは何が政治主導か。
ただ菅氏に代わる政治家がいて、具体的な代案を示さない限り、建設的な批判にはなりえないだろう。そういう意味で日本は決定的な人材不足状態である。今の65歳以上は、下の世代を信用していないので、古い方法にしがみついている。団塊の世代は、上の世代の影響があまりに大きいので萎縮しているようだが、評価すべき点があるとすれば下の世代の邪魔を比較的しないことだろう。従って世代交代はある時から一気に進むと私は見ている。
ポスト団塊の世代は、団塊の世代を含む前の世代と本質的に異なる点がある。これはあまり語られていないように見えるが、安定的な高度成長期に生まれた彼らは、兄弟が少ない家庭で育ち、しかもその頃はまだ古い日本文化を継承していた。したがってより成熟した世代であるということだ。ここでは昔の世代より自立的な個人主義がもう少し真っ当に存在していると感じるのは、自分がその世代に属しているからか。
私は自分を含むより若い(55歳以下の)ポスト団塊世代に早く交代すべきだと思う。特に震災の復興などは何十年もかかる事業なので、若者にチャンスを与えるべきだ。
ただそう考える私でも、今の20代以下の世代は、バブル崩壊後に育った平成世代だが、あまりに純情過ぎて心もとない。大きな災害も経験したことのない彼らは、今回の被災に心から気持ちを揺さぶられているはずだ。古い絆で結ばれたコミュニティの創造は、彼らが担うとき、あまりに理想化され、負の側面を見逃してしまわないか。そもそも団塊の世代とそれに続く世代は、既成の価値観を覆し、昔の制度に反発してきたはずだ。
そうはいうものの、私は彼らにも期待をしたい。明治時代以降に、2度も復興を成し遂げた近代化の過程にあった日本とは状況が違うだろう。私はむしろ経済的には、日本は復興していかないのではないか、とさえ思っている。それでも日本が、数々の試練を乗り越えながら、それなりに静かで平和な社会を形成することは可能だと信じている。高度成長時のような熱狂ではなく、豊かで落ち着いた社会に、昔のコミュニティの絆のいい部分を取り戻すことができるかが、若い世代に試されている。
※写真はNewsweek日本版に掲載された記事の一部。
(2011/11/4/24)
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