2012年3月30日金曜日

ワーグナー:楽劇「神々の黄昏」(The MET Live in HD 2011-2012)

ワーグナーがその生涯の半分を費やして完成させた超大作「ニーベルンクの指環」は、4つの長い楽劇から成るが、その最後が「神々の黄昏」である。ここまで2年がかりで上演されてきた「リング」も、やっと最後にたどり着いた。それまでの集大成としての性格から、これまでに触れなかったことにも触れなくてはならない、などと考え始め、なかなか文章が思いつかない。だが、あまり時間をおくと、記憶が薄れて新鮮味に乏しい文章となってしまう。このオペラを解説した書物は山ほどあるので、ここはこれまで通り、私の感想文を率直に書いておこうと思う。

「神々の黄昏」を見て最初に感じたことは、これが普通のオペラ作品にどちらかと言えば近いのではないかと思うことだ。登場人物がもはや神々ではなく、人間主体ということもあるだろう。ドラマの展開がそれまでの作品に比べて速いので(といってもこれが普通だが)、長々と経緯を説明される下りは少なく、むしろ第2幕のように合唱団も混じった緊迫した場面が多い。つまり引き締まっているということだ。

この第2幕は、全体を見ないと触れることが少ない。良く売られている抜粋盤は、1枚か2枚のCDに全14時間を凝縮しているので、ここはほぼ間違いなくカットされている。けれどもなかなか音楽的には聴かせるのである。結婚式のシーンで、ジークフリートに裏切られたブリュンヒルデが、彼を告発するシーンは、丁々発止のやりとりである。見応えのある第2幕(は、「ラインの黄金」で登場したアルベリヒが見事に低音の歌を聴かせるところから始まる)に、今回ほとんど始めて見入った。

それに先立つ序幕と第1幕は全部で2時間もある音楽で、有名な「ジークフリートのラインへの旅」が含まれる。オペラというよりも音楽劇を実感するシーンで、音楽が流れる中での舞台の転回が見物。いよいよこれから再びワーグナーの音楽が聞けるという嬉しさを実感するのだが、その前に3人のノルンの合唱などもあって、なかなか前へ進まない。私はこの2時間の間に何と2回も睡魔に襲われ、有名な音楽が聞こえるたびに目を覚ました。歌手や指揮者にとってもこの2時間は恐ろしいほどに緊張の持続を要求されるようだ。夕方4時半に始まった上映も、最初の休憩時間になる。まだ6時半。トイレをほぼ全員が済ませ、各自おにぎりなどを食べている。私もワインなどを飲んでしまった。


今回目を見張るのは、何と言っても数十億円もかけて製作された「システム」である。コンピュータ制御された縦長の何枚もの板が前方に回転し、縦一列に並んだ時には様々なグラフィックも投影され、光が当たって光彩を放ちながら回転すると、滑り台のようになって歌手が滑っては上に上がることを繰り返す、というような見せ場が数多くある。「システム」の効果が最も良く現れていたのが、「神々の黄昏」ではなかったかと思う。その最大の見せ場が、何と言っても「ジークフリートの死」である。ここはおそらく「指環」最大の見せ場だが、ご承知のように英雄は、イタリア・オペラのようには死なない。刺されて死んだジークフリートの体についた血を、グンターが川で洗うと、そこから赤い色となって水が染まった。「葬送行進曲」の開始部分が、これほど印象的だったことはない。

最後の「ブリュンヒルデの自己犠牲」。ソプラノのデボラ・ヴォイトは満を持してここを歌いきり、喝采を浴びた。それまでに登場したあらゆるライト・モチーフが登場し、「神々の黄昏」は壮大な幕を閉じる。ワルハラ城が炎に包まれ、やがてそれもラインの川底に没すると、何もなかったような原始の時代、まだ生命が何も登場していない元の姿に戻る。海なのか、川なのか、とにかくその水面の波が静かに収まって、滔々と流れる最後の音楽が、やがて消えて行くまでの時間を、ニューヨークの聴衆は待てない。幕が降りる前に始まる拍手は、興ざめである。世界一忙しい街では、世界の滅亡も土曜日の午後の出来事だ。

神々の世界では、呪われた「指環」をめぐって争いが絶えない、というのがこの劇のあらすじである。神々によって作られた人間の世界でもまた、常に争いが絶えないのは、まさしくこの神々の争いに原因があるということだろうか。ワーグナーはこの壮大な物語の最後で結論を述べてはいない。

カーテンコールは通常だと、短くても30分は確実に続くが、これはおそらくカットされたのだろう。その中で、主役のデボラ・ヴォイトはやはり大きな拍手だったが、ハーゲンを歌ったハンス=ペーター・ケーニヒは安定した質感で聞かせたし、それに何と言っても往年の名歌手ヴァルトラウト・マイヤーがヴァルキューレの一人ワルトラウテ役で登場し、よく知る人は盛んに拍手を送っていた。指揮者は最初予定されていたジェームズ・レヴァインに代わってファビオ・ルイージ。安定した指揮だが、やはりレヴァインだったらなあと思うところもないわけではない。演出のルパージュは、カナダ人で、やはりアメリカとカナダにこだわった「指環」ということになる。あまり奇抜ではなく、かと言ってありきたりでもない。十分に見応えがあって、しかも新鮮である。お金はかかっているが、それに値するような革新性と、そしてツボを抑えた保守性が見事に融合していた。

4回に亘って見た人生2度目の「指環」体験は、少し疲れながらもなんとか終わった。劇場ですべてを見ることはおそらくないであろう。だが、私はもしあと20年位健康に生きることができたら、遠くに山の見える広大な一軒家を借りて、再度「リング」を最初から再生してみたい。次回は映像がなくてもいい。その時の演奏は、やはりショルティ盤が健在なのだろうか、それともベームを始めとするバイロイトのライヴ盤なのだろうか。どの演奏であっても、私は今回のルパージュの演出を思い出すだろう。20年以上前に家を閉めきってみたシェローの舞台に継ぐ、私の得難い音楽体験となったのは、子供が保育園を卒園する前日だった。これだけの時間を費やすことに協力してくれた家族には、心から感謝したい。

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