2012年3月14日水曜日

東日本大震災の記録(4)

2011年3月13日(日)

久しぶりに関西で迎える朝は、気持ちの良い朝だった。小鳥が鳴き、風が吹き抜けてゆく。まだ初春とはいえ、冬ではない。このような季節感を感じるのも、個人や社会に不安が少ないからだ。

今回の震災は最悪の事態を招いたことは疑う余地がないが、それでもいくつかの幸運があったこともまた事実である。それは次のようなものだ。

1)春休みに入るときだったこと。学校が休校になっても影響は少なく、気温の上昇に伴い電力需要は低下することが見込まれた。疫病の発生が最小限に抑えられた。しかも今年の春は大変雨が少なく、被災地域の作業や放射性物質の地上への拡散が抑えられた。

2)首都圏の直撃が回避されたこと。このため首都機能は保たれ、人々も不安に駆られながらも辛うじて平静さを保っている。少なくとも今のところは。

3)女川を始めとするその他の原発は、震源地に近いものもあるにもかかわらず、安全に冷却停止状態となったこと。そして福島第一原発でも実に幸運なことに、水素爆発までおきながら、辛うじて格納容器の中に大部分の高濃度放射性物質が留まっていること。

民主党、菅直人政権に関する評価はこのブログの趣旨ではない。だが、私は以下のことを指摘しておきたい。少なくとも初動は、阪神淡路の経験もあってか、早かったと思う。そして気象庁は緊急地震速報を始めとして、対応にミスはなかったと思われる。原発に関しては、いろいろと言われているが、どちらかと言うと反原発派に属する首相だったことは貴重である。電力会社から献金を受けていた首相なら、このような事態に対処できただろうか。東電の本社に乗り込んで対応 を叱り飛ばすこともなかっただろう。

朝の新聞に目を通して、愕然とした。3号機でも炉心の冷却ができないとの見出しが躍っていたからである。写真は朝日新聞(大阪版)の一面で、スポーツ新聞を除けばこれ以上ないような大きな文字で、「3号機も冷却不全」となっている。しかも3号機は、1号機より大きな出力を持ち、その一部は何とMOX燃料で ある(このことはあとで知った)。事態は1号機より深刻となった。


週末にかけて、平静さを取り戻すのに少しの時間的猶予があったことも幸運な要素の1つだった。私の勤める会社は、携帯電話で緊急時の安否確認を行い、訓練 を除けばその最初の利用ケースとなった。さらに総務部は震災用のホームページを立ち上げ、全社員がそこへアクセスすることになった。すべての指示はそこから出る。だが、関西にいる私は、日曜日の今日中に帰京しなければ明日からの勤務はできない。

妻が帰ると言い出した。私も3号機の問題が出なければ、子どもを実家に預けてそうしたかもしれない。だが、病気を持つ私の仕事は大したものではなく、こう いうときに足手まといになることを避けた方がよさそうだった。私は即座に電子メールで、上司に1週間の休暇を願い出た。上司は(この後仙台へ物資輸送班と して活躍されるのだが)、快く私の申し出を承認してくれた。

妻は米国人を社長とする外資系の会社である。しかし、この社長は東京から避難することなく、会社を運営しつづけた。彼の兄が原子力の専門家だそうで、 200キロ離れた東京に被害が及ぶことはないだろうという予測(やや楽観的だが)に基づくものだ。だが、彼の家族はシンガポールに滞在していたようだ。

妻は日曜夜の新幹線で帰京した。その前に京都で妹に会い、東京に着いたのは夜遅くだったようだ。

(2011/4/17)

0 件のコメント:

コメントを投稿

ブラームス:「ハイドンの主題による変奏曲」変ロ長調作品56a(クリストフ・フォン・ドホナーニ指揮クリーヴランド管弦楽団)

ブラームスの今一つの管弦楽作品「ハイドンの主題による変奏曲」は、ハイドンの作品を元にしたものではない。ハイドンの作品とされていた頃のディヴェルティメント第46番変ロ長調Hob.II.46の第2楽章を題材としている。この曲は「聖アントニウス」というタイトルが付けられているように、古...