東京電力福島第一原子力発電所の事故は、まだ収束しておらず、水素爆発の危険もなくなったわけではない。東京電力はクリントン国務長官の訪日に合わせ工程表を作成したようだが、これがその通り履行されるとは誰も思っていない。それどころか、今後、どのように事態が進むのか、誰も何も語れないというのが実情のようだ。
避難区域が厳しく設定され、20キロ圏内は立ち入りが禁止されるようになった。原発周辺ではがれきの撤去もままならない状況で、遺体捜索も難航しているが、この避難民に対する補償の話もやっと進み始めた。
夏に向けての電力事情はやはり相当大変で、なんとかこれを乗り切ったとしても冬、そして来年の夏と、逼迫した状況が長く続く。この状況を見越して工場やオフィスを西日本や海外に移転する動きも加速しそうだが、それに対しどうすべきかは意見が分かれているようにも見える。
東電がどのようになるかは誰もわからないが、会社としては存続の危機である。さらに風評被害も深刻で、つくば市は福島県からの避難民に対し被曝量の測定を求めたというから、いかにも官僚主義の強い茨城のやりそうなことである。一部の野菜は出荷されてきているが、海産物についてはもともと基準がなく、今も放射能垂れ流し状態では、国際的な非難も高まることが予想される。
もはや日本は、その勤勉な国民性とは裏腹に、政治的には二流国扱いされている。これでは北朝鮮の核実験を批判できないし、中国やロシアの原発で同じことが生じても、何も言えないだろう。晩発性のがんに対する調査は、これから始まるのだろうとは思うが、やはりうやむやにされ直接的な因果関係が語られることはないだろうと誰もが予想している。
東京を襲う次なる地震の可能性も高まっていると地震学者は警告している。だが、大多数の首都圏の住民は、自分のこととしてとらえきれていない。そもそも一極に集中し過ぎた今の体制こそ、見直すべきではないか。
評論家の田原総一郎氏はラジオの番組で、日本を覆っていた閉塞感がなくなった、と言っていたが、確かにそうかも知れない。何か失うものを全てなくしたかのような気持ちは、被災した方々には失礼だが、ある。けれども日本が背負った宿題は急務にしてあまりに莫大だ。AかBか、どちらにすべきか、と言った国論を左右しかねない緊急問題だけでもいくつもある。それらは、以下のようなものだろう。
1)日本はこのまま原発を作り続けるべきか、それとも縮小させるか(喫緊の課題としては、中部電力の浜岡原発を止めるべきかどうか)。
2)東北地方の被災地は、復旧を優先するか、復興を目指すか。
3)日本経済は復興需要に乗って数年後にはもとの力を取り戻せるのか、それとも「日はもう沈む」のか。
4)復興のための財源は、消費税の税率アップか、国債か(最悪のシナリオは、所得税・法人税の増税だ)。
5)政治は大連立か、このままの菅政権か。
6)復旧に向けた日本人の気持ちが、新しい価値観を創造し、若い世代への交代と既得権益の組み換えが起こるのか、それとも古い価値観を続けるのか。
NHKが放送したサンデル教授の討論番組(震災を扱った特別版)は、被災にも動じない日本人の素晴らしい行動が、世界にとって意味のあることだとのメッセージを伝えようとしていた。私は少し持ち上げすぎだと感じたが、日本人がはるか以前に投げ捨て、そっぽを向いてきた「古き良き絆社会」が、まだ東北地方に残っていたことが称賛されると仮定すれば、それは西洋社会においてもやはり同様に、個人主義が行き詰るという問題を抱えていることを意味するのだろうと思った。

※写真は仙台市の郊外(2001年頃)
(2011/4/26)
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